エントツ山 四国百名山完登記念特集

ラスト四国百名山を飾る  「野根山街道」全ルート完全踏破 (平成23年4月23日〜24日)


実録  野根山街道  全ルート歩き

奈半利〜米ヶ岡〜宿屋杉〜岩佐関所 (テント泊)〜野根山〜一の門〜四郎ヶ野峠〜一本松〜左手ヶ坂〜野根


カシミールソフトを使ったGPSトラックログ図
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)を使用したものである 


いよいよ
後編! 「野根山街道」 岩佐の関所〜野根山〜地蔵峠〜 一の門〜四郎ヶ野峠〜 一本杉〜
      左手ヶ坂〜押野川渡渉〜二本松〜野根 

平成23年4月24日

外では雨か滝の音みたいに風が木々を大きく揺さぶっている。この時期だからシュラフカバーだけで十分と踏んだが、
この寒さは何だ。さすがの肉布団マーシーも寒さで寝返りを度々打っている。でもすぐイビキが聞こえてくる・・・
こんな環境でも平気で寝られるマーシーさんが羨ましい。

寒くて寝られずふと時計をみると午前2時。先ほどからテントの外が気になり、東屋に掛けている雨具を取りがてら
抜け出してみる。するとお由里さんの帰って来そうな南側、林の間に黄色い光が怪しく揺れているではないか!  

げげっ  人魂か? よ〜く見るとそれは半月のお月さんの光だった。半月の割には煌々と輝き、手前の枝が揺れるの
に連動してこの光も揺れている。ほっとしながらついでにヘッドランプをかざして辺りをぐるっと探検してみる。

最近のヘッドランプは相当遠くまで光が伸びていき、昼でも薄暗いこのライムスリップした空間を照らすが、風に揺ら
ぐ木々以外は何も不思議なものは見えない。またテントに潜り込みむ。



何度どかウトウトした後、隣のテントで声がしてもうトンちゃんたちが起き出している様だ。下界ではこの時期5時頃
にはもう明るいのだが、岩佐の関所はまるでドームの様に周囲が杉林で囲まれているので真っ暗だ。どうせ寝れないの
で起きる事にする。



スープ類を持って来ているのだが、昨夜の宴会でお湯割りが売れて水があまり残っていない。取り敢えずコーヒーだけ
を用意する。岩佐の清水は非常の時しか使わない事にしているので汲みには行かない。モンベルで買った金網と焼器の
セット方法がわからず綺麗にトーストが出来ないが各自適当に朝食を摂る。


昨夜はもう暗くて辺りを十分に散策出来なかったので、明るくなったタイムカプセル空間「岩佐の関所」を見学。

06時40分、記念写真を撮った後この幕営地を出発。岩佐の清水は直ぐ右手、屋敷跡の外れにあり、インターネット
で写真を見ているので現地取材は3人に任せる。


階段状の通路を笹薮の街道へと進む。この当りも雨量が多く沢山の石が小高い周りから道に転がり落ちて少し荒れ気味
である。


 
    無事一夜を明かす                薄暗い岩佐の関所

 
岩佐の関所の数々の歴史にも別れを告げる      この屋敷跡の奥から岩佐の清水へ下りて行く

 
 
やはり1222年5月に土御門上皇が通っているらしい        岩佐の清水は コレだ〜〜!

06時56分野根山分岐の印が左手にあり、藪っぽい登山道へと進む。途中一旦コルに下がるまで笹薮などが少し
存在するが、あとはツルシキミや潅木の生えた踏み跡を辿って高みを目指すが、結構倒木が多く、それを避けて
色んなルートに別れている様だ。ザックが大きいので倒木を潜るのに苦労する。

マーシーさんは別ルートから先回りしている。遊びに関しては先見の明がある様で最適なルートを見つけるのが
得意だ。

07時13分、先を行くマーシーさんとトンちゃんから「山頂に着きました〜」と声がする。あれ? もう着いたの?
 四国百名山「野根山」って登山口から所要時間18分かい


左手から野根山山頂へと歩いて行くと、山頂ではトンちゃんとマーシーさんとで私の「四国百名山完歩」の垂れ幕を
出して、丁度ピッタシの樹に紐を括り付けて準備をしてくれている。まあ それにしても立派な垂れ幕だ事。

ふと日付をみると平成23年4月吉日となっている。これを知らない私は今日天気が悪い場合は5月末に延期をする
つもりだった。
トンちゃんたちはヒヤヒヤした事だろう。気恥ずかしい気持ちで記念写真に納まる。

 
野根山 入り口                   コルまでちょっとした笹薮もある

 
ザックが大きいので倒木を潜るのが・・・        一応山だからね

 
     南西側が開けている            北側も少し展望がある


トンちゃん  まーくんパパ  立派な垂れ幕ありがとう

 
いい四国百名山・野根山街道の思い出になりました  マーシーさんも二日酔いでお付き合いありがとさん

山頂からの見晴らしは2箇所良い場所があるものの、名も定かではない土佐の山並みがそこに脈々と続いていた。


ここでエントツ山の四国百名山完登記念に恒例の替え歌を・・・
原曲は 長渕剛の「乾杯」です


「四国の山に乾杯」


(一)
四国の山に  想いを寄せて ♪ 語り尽くせぬ  山狂いの日々 ♪


   時には喜び 時には苦しみ  歩き続けた あの日  ♪

あれからどれくらい 登ったのだろう ♪  登山口探しを いくつ数えただろう ♪

  故郷(ふるさと)の山は いつでも私の 心の中に聳えます ♪

乾杯 ♪

今 私は野根山の小さな頂に立ち はるか四国の山並みを 眺めながら

山キチに幸せあれ


(二)
ヘッドランプの 光の中に ♪ 浮かびあがる 岩佐の関所 ♪

 
 歴史を刻んだ 人の息吹きを 感じながら 眠ろう  ♪

朝の光を 身体に浴びて ♪ 振り返らず そのまま歩けばいい ♪

  奈半利を出てから 野根の浜辺まで 立てた計画に 背を向けるな ♪

乾杯 ♪

今4人は野根山の小さな頂きに立ち はるか四郎ヶ野峠を 眺めながら ♪

山キチに幸あれ 〜〜  ♪



ビバ! 野根山街道 ! ビバ 四国百名山 !



先がどえりゃ〜長いのであまり感傷に浸る余裕もなく、07時25分野根山を撤収する。


 
    撤収
〜〜〜                            倒木の登山道を迂回して下りる

15分で元の街道に復帰し、ひたすら四郎ヶ野峠を目指す。最初は背の高い笹垣の広い道を歩き、次第にツバキなど
の潅木となる。五色台の遍路道を彷彿とさせるが、ウバメガシではなさそうだ。炭窯の横を歩くトンちゃんは昨日と
打って変わって元気そうでホッとする。所々に宿屋杉のミニチュア版が鎮座する。



08時22分、舟型地蔵が祭られた「
地蔵峠」に到着。ここは幕末に地蔵が祀られる以前は千本峠と言われた様に
多くの天然杉に覆われていた場所だ。街道沿いには偶にヒメシャラの樹も見られた。この峠を過ぎると直ぐに具同寺
分岐がある。道は広いが荒れ気味の下り坂が続き、巨大な倒木が何本か立て続けに倒れこみこれを潜(くぐ)る。



08時50分「
五里塚」を過ぎる。09時07分巨大なヌタ場が左手に出現この辺りは木漏れ日が美しく、ベース
になっている杉の背が高い為、登山道脇の広葉樹も全て光を求めてひょろ長く天に伸びている。



09時11分 「
小野(この)御茶屋の段」を通る。街道には各所に野根山街道の地図と現在地、各チェックポイ
ントまでの距離を記した大きな表示板があり、退屈しのぎになる。
これが四国の道整備の大きなサービスと言える。

 
  野根山を下りて街道に復帰           五色台の遍路道と錯覚してしまう

 
大きな炭窯跡がある                  こういう街道風景が好き

 
たま〜に右手が開けて喜ぶ 太平洋は確認出来ない   ミニ宿屋杉が沢山見られた     



 
08時22分 地蔵峠を通過             具同寺分岐

 


 
土佐は倒木もスケールがデカイにかわらん      08時50分 五里塚通過

 
   でかいヌタ場が街道脇にある         トンちゃん 綺麗に撮ってくれてありがとう


 
 退屈しのぎにこういう表札を眺めるのが       ヤブツバキとたまにヒメシャラもある 
  街道歩きの楽しみ、慰めとなる



09時15分 尾根が直角に北側に曲がる「
一の門」ターニングポイントに着き少し休憩する。奈半利側から歩く
野根山街道の後半部は俄然広葉樹の自然林となり雰囲気がすこぶる良い。下り坂だし気分的に楽である。



一の門は標高922m地点で、ここから別ルートで桑の木を経て「佐喜浜」へ続く重要な分岐点でもあった。
「佐喜浜」は江戸時代土佐藩によって開かれた漁港で、室戸近辺で栄えた漁師町で現在もここから佐喜浜川沿いに
県道368号(佐喜浜・吉良川線)が野根山の南まで伸びている。

一の門で岩佐の関所から5km歩いて来て、四郎ヶ野峠まで後3.8kmとなる。
残りが4キロを切ると嬉しい


なだらかな鐙(あぶみ)坂を登ると09時40分細尾根の鞍部に「清助地蔵」の標識がある。なんでも貧しい
百姓の清助さんが夢枕に弘法大師が現れありがたい説教をしてくれた。信者となった清助さんは杉の根っこで地蔵を
彫って街道の難所である鐙(あぶみ)坂に祀っていたらしい。でもその地蔵は今は無い。


そこからも少しだけ上り坂や下り坂、あるいは平坦な道を進むと10時06分右手に「五代の崩(つえ)」そして
すぐに「
花折れ峠」の標識が立て続けに登場。




 
09時15分 一の門で少し休憩する         ここから下りが多くなる

  
09時40分 細尾根部の清助地蔵(跡)に着く   10時06分 五代の崩標識を通過


江戸時代末期まで野根山街道は花折れ峠から四郎ヶ野峠には出ず、東側をショートカットし別役(べっちゃく)
経由で野根に至るのがメインルートだった。それが宝永4年(1707年)の大地震以来ルートも少し変更に
なったりしていたが、天宝11年(1840年)の大崩壊によってこのルートが廃止されたのだと言う。

見るからに崩れやすく急峻な地形で、ここに大雨を集めた別役川があったので、山津波が起こり下流の八島千軒の
村を壊滅させる様な大崩壊が起こったらしい。



かつては花折れ峠から別役(べっちゃく)川に向けての街道が主流だったが後に崩壊した。

殿様が花を手折った急坂(八丁坂)とはこの別役への旧道沿いだった訳だ。ここからは下り一辺倒で石や枯れ葉
が街道を埋め尽くし滑りやすい。でも登りはもっと嫌だなあ。


10時37分、右手が開けて四郎ヶ野峠付近への谷部とその向こう側には気持ちよく伐採された山が見渡せる事が
出来た。あ〜やっとここまで来れた事を喜びながら先を進む。


ドンドン植林地を下がって、コンクリートの砂防壁を過ぎると左下に国道493号線の舗装道路が見え、10時
47分 ついに「
四郎ヶ野峠」(標高456m)に下り立った。


 

 

 
   広い街道を下っていく                         自然林でいい風景だ

 
きゃ〜〜いん  落ち葉が体積して気を緩められない        四郎ヶ野峠の向こう尾根はバリカン伐採している
 トンちゃん撮影

 
コンクリートの砂防帯を下る 水が染み出ている場所で植物を見るトンちゃん   そしてコケた


「四郎ヶ野峠」は広い場所だった。道路を挟んだ向かい側にある東屋の日陰で残った食料で昼食を取る。カメラ3台の
タイマーを東屋の柱で合わせて、一斉に道路の向こう側にある野根山街道の標識へと走る。う〜〜ん 皆元気だ。
 足並みが揃わず何度か失敗の後撮影を切り上げる。


 
10時47分 四郎ヶ野峠に下りる           トンちゃん  遅〜〜〜い

 
こんどはま〜くんパパが遅い〜〜  グズ!        まあ これくらいにしとこかね



野根山街道 東口である 四郎ヶ野峠   百聞は一見にしかず


更に左手ヶ坂を歩く

気分的には野根山街道歩きはここで終わった様な終息感、安堵感があるのだが、私の計画ではここから更に左手
ヶ坂を下って野根へまだ8kmも歩く事になるのだ。トンちゃん、こんな計画に参加させてまっことすまんきに。


「土佐の峠風土記」によると

「東側(東洋町側)には「
左手ヶ坂」と呼ばれる急坂の難所があり、殿様の籠の担ぎ手は前後に担ぐ事が出来ない
ため、横に担いで登った。片方は右肩、もう一方は左肩に担ぐ事になる。担ぎ手として使役した野根郷の村人は、この
時の為に日頃から物を左に担いで左肩を鍛えていたと言われている。}とある。


こりゃ、野根まではこのルートをあるかにゃならんべえ

11時09分四郎ヶ野峠を出発し、しばらく車道を下がる。谷の右手には野根山連山から派生した尾根が広がって
いる。あ〜あの天辺辺りを辿って来たのだ。


20分ほど歩くと「一本松」「芝御茶屋の段」という標識がカーブにあった。「四国の道」ルート図によるともう
少し下がった場所から左手ヶ坂の破線が載っているのだが・・・・


 
野根山連山方面を見る (この尾根は野根山連山ではない)  カーブに一本松の標識があった

辺りを調べると、四郎ヶ野峠の裏側にあった未舗装林道がここで合流しており、その付け根から更に下側に続いて
いる。私がプリントアウトして来た緯度経度が記された2万5千分の1地図を出して確認すると、どうもこの辺り
からルートがありそうだ。


少し未舗装林道を引き返すと、曲がり角に踏み跡が掘れ込んだ道をマーシーさんが見つける。やはりこういう時は
インディアン・マーシーの眼力が役に立つ。


11時35分、これを下る。相当荒れてはいるが、確かに植林地帯の急坂を道が続いている。大きな石がゴロゴロ
して歩きにくい。マーシーさんは藪道になるといつものクセでドンドン先に行ってしまう。こちらはトンちゃんや
ま〜くんパパとの距離を見ながら歩く。


同伴者がある場合は姿が見える範囲、声が聞こえる範囲を保つのが山歩きの基本だ。

トンちゃんは「舗装道路よりこちらがマシよ」と言うが、前日から相当重たいザックを背負って静かに歩き続けて
来たま〜くんパパが少し遅れ気味なので膝を心配して声を掛けるが「大丈夫」と答える。


ジグザグで効率の悪い坂を辛抱して下ると12時15分押野川に降り付いた。倒木や飛び石を伝って渡ると対岸に
広い道があり、そこに向って土手を這い上がる。


 
一本松のカーブから未舗装林道へ少し引き返す    未舗装林道を1スパン下りると、道を発見

 
この掘れ込みは古道以外の何物でもない         ちょっとシダで薮いた場所も

 
    40分程で押野川に下り付く        倒木や飛び石伝いに対岸に渡る

 

 
    広い林道を下る               高知はユキモチソウが多い


あとはのんびりと川沿いの道を河口まで歩くだけだ。昨夜の寒かった事が嘘のような南国の日差しである。遠くの
農家の人が大きなザックを背負った4人組を不思議そうに眺めている。我々も同感だ 野根山街道を歩かなければ
この場所、野根と塀越しにこちらを見るおじさんや家の横で座っているおばあちゃんたちとは一生関わりのない時空
を生きていた筈なのだ。これが旅の不思議であり魅力で、普段何気ない時にふと思い出す風景な訳だ。


やがて前方は土佐ののどかな農村風景となり野根山街道の終わりにふさわしい歩きとなる。
13時10分国道493号線に合流。つまり、東側の押野川と西側の別役川が合流する手前地点だ。

 
こんな下の方まで野趣あふれた風景が続く      道の合流点には自動販売機があって良かった〜

橋を渡ると、国道55線まで1.5kmの標識がある。あ〜あと少しでこの長い旅も終了する。直ぐに二本松の標識
があり、ここから道路の右側に見事な桜並木が続く。桜見物の提灯が残る細い木陰道を太平洋へ向って歩く。


13時30分、誰も居ない青空市場に置いた私のラッシュに帰り着く。前日の大雨と比べて何と明るい場所であろ
うか。


 
押野川と別役川が合流して野根川となる         桜街道を歩く

 
デポしたラッシュにザックを収納          車をデポさせてもらった野根の朝市広場

野根山街道を全ルーと歩くという試みは安全かつ楽しく遂行された。凡人には出来る事と出来ない事があり、
頑張れば我々にも十分挑戦出来る計画を立て実行された。


実に痛快なラスト百名山「野根山街道」であった。


エピローグ


野根にデポしたシルバーのラッシュにザックを積み込み、私の提案で帰りは室戸周りではなく、四郎ヶ野峠を経由
する国道493号線を奈半利まで帰る事にする。あっと言う間に先ほど下りてきた「四郎ヶ野峠」を過ぎる。やっぱり
車は便利だわ


四郎ヶ野峠からは、予想に反して快適な下りの舗装道路が奈半利まで続いていた。これなら四郎ヶ野峠から奈半利
まで自転車で帰る事も十分可能である。山桜の咲いた奈半利川を下り、14時30分 奈半利町役場に帰る。

役場の駐車場にはまーくんパパの白いラッシュがピッカピカで待っていた。


その後、野根山街道歩きの人たちがよく利用する二十三士温泉に飛び込み、カツオのタタキを食べて解散〜

四国百名山の最後を締めくくる「野根山街道・全行程歩き」は相棒・マーシーさんやま〜くんパパ、トンちゃんの
お蔭で記念すべき楽しい思い出となった。


 
    二十三士温泉にて入浴            カツオのタタキで締めくくる


皆さん 楽しい旅をありがとうございました。


野根山街道 前編 「奈半利〜岩佐の宿場」 は ここ



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