平成25年4月28日 雪彦山「いなみ山の会」と四国隊の交流会  

雪彦山キャンプ場登山口〜出雲岩〜大天井岳〜(不行岳)〜雪彦山三角点〜鉾立山〜尾根分岐〜虹ヶ滝〜
(地蔵岳)〜大曲〜ダム〜下山口  (全行程 約8時間)



カシミールソフトを使ったGPSログ図  雪彦山 登山道周回図


雪彦山(せっぴこさん)とは


                              雪彦山 (洞ヶ岳) 
ピークは大天井岳、正面下が三峰岳(さんぽうだけ)、その上側が不行岳(ゆかずだけ)、右が地蔵岳(じぞうだけ)

雪彦山とは

弥彦山(新潟県)、英彦山(福岡、大分県)と共に日本三大彦山と言われ修験の山として知られている雪彦山は姫路市から30km
程北側にある火山岩(主に流紋岩)を含む山塊で洞ヶ岳(884m)、鉾立山(950m)、三辻山(915m)の総称であるらしい。国土
地理院の2等三角点雪彦山は三辻山に置かれている。この流紋岩という岩は花崗岩と成分が似ていてマグマが地表近くで冷やさ
れたものらしくキメ細かく水が沁み難いので侵食作用を受けにくいそうだ。

一般に雪彦山として知られるのはこの内の「鉾立山」(ほこたてやま)でピークの大天井岳(おおてんじょうだけ)、三峰岳(さんぽう
だけ)、不行岳(ゆかずだけ)、地蔵岳(じぞうだけ)の険峻な4つの岩山で構成されている。これらの岩峰は関西きってのロッククラ
イミング・ゲレンデとなっている。

奈良時代の初期に編纂された『播磨国風土記』(飾磨の郡  加野の里)には品太天皇が巡行したとき、この場所に屋形を造ったが
蚊が多かったので蚊帳(かや)を張ったそうだ。そこからこの里を加野(かや)と名づけ、山や川の名も同じ様に付けられてとある。
この品太天皇という人は5世紀前後の誉田天皇=応神天皇の事でなんとあの仁徳天皇の父ちゃんであり、これに従うと山の名も
「賀野山」という事になる。

開山のルーツは古く推古天皇6世紀後半〜7世紀初め、インドから挑戦半島を経由して渡って来た「法道仙人ほうどうせんにん」
によって開基されたとの伝説がある。このインド出身のお坊さんは何と播磨の国のに110に及ぶお寺が開祖になってるから凄い。
え〜  ホント?インド人によって開山されたってローラも知らなかった〜  バングラディシュじゃないのね〜

山麓の「賀野神社」(かやじんじゃ)の縁起にはこの法道仙人がここに社殿を造営して雪彦大権現とか雪彦山金剛鎮護寺と呼ばれ
たと言うが、この時代に既に雪彦(ゆきひこ)の名が出ていたとするのはちょっと怪しい。

雪彦山の名が書物に出てくるのは平安時代末期に編纂された説話集「今昔物語」に下る。「「今は昔、比叡の山に玄常という僧が
いた。もとは京の人で、幼くして比叡の山に登り、出家して師に従って法門を習い、悟りを得てひろく教義に通達した。また法華経を
習い昼夜おこたらずに読誦した。(中略) そのうち播磨の国の雪彦山(ゆきひこやま)に移り住み、静かに山に籠もり熱心に修行し
た。百の栗で九十日の修行期間を過ごし、百の柚子(ゆず)で冬の三ヶ月間の食とした。その山は人里からはるかに離れた所にあ
る。そのため、猪、鹿、狼、などの獣が常にやって来て、恐れることなく上人に近づき戯れた。」とあり雪彦山はゆきひこやまと読ま
れている。

つまり、実際の雪彦山・修験道開祖は9世紀になって京都生まれの天台宗派の「玄常上人」という日本人で、比叡山で修行の後に
この雪彦山(洞ヶ岳)で修行を重ねたという訳だ。その後修験道の場として栄え僧坊などもあったらしい。戦国末期から江戸時代に
姫路を治めた池田輝政一族により「賀野神社」は庇護され、牛馬神を祀る神社としても農耕の民からも信仰されていたらしい。


いなみ山の会」との前夜祭


高御位山さんをはじめとする姫路「いなみ山の会」の皆さんと四国の訪問者エントツ山、マーシー、ふ〜みん

「いなみ山の会」のお誘いで4月27日地蔵岳合同クライミングを行った。その夜キャンプ場にて交流会を行うので下山して車
からテント類を運んで設営する。管理人さんが到着しないので重たい荷物をテン場に運んだ。自分の荷物を分散しない様に
剣道の道具袋みたいなデカイ巾着袋に全部の荷物を入れたので重たいしゆ〜みんさんには笑われながら苦労して運んだ。

そこに高御位山さん、森安さん、深田さんが合流する。テントを張って広場にビニールマットを敷いて酒宴の開始ゴングが鳴
らされる。女性陣は早速調理場にてすき焼きパーティの準備をしてくれていた。概して山男、山女は豪胆な性格の為酒飲みが
多い。こんな世界で私の様な小心者で下戸は何とも分が悪いのだ。

さっそく高御位山さんとマーシーさんが乾杯をして冷酒を酌み交わしている。森安さんはいつも酔っ払っている様に大声で話す
ので酒が入っているのか良くわからん。藪山雲水さんはそんなに騒ぐ事無く楽しい酒だ。知識も豊富なのでマーシーさんから
「藪山うんちく」と早速あだ名を付けて呼ばれていた。

女性陣も酒どころ土佐のふ〜みんさん、酒豪前田、アマゾネス西川、年齢不詳・深田と粒ぞろいの陣営だ。もちろん話題は本
日のロッククライミングで盛り上がる。

そのうち、別働隊で雪彦山から裏側を縦走されていたノッポ大西、宇宙人カンスケさん達が下山して寄ってくれた.。カンスケさ
んのハグで若さを少し吸い取られた後宴会が再会され、豪華なお肉を使ったすき焼きパーティとなった。高御位山さんの一昔
前の登山論と藪山雲水さんの近代的登山論を楽しく交わされている中、酔っ払いマーシーさんのダジャレが続く。でも私の嫌い
な酒飲みのタイプ、同じ事をくどくど何度も繰り返したり説教を始める人が居なくて下戸にも楽しい酒宴だった。

 
      待てない男たち                       おっ やっぱりこういう風景が女性らしいわ

 
女カンスケ登場  のっぽ大西さんも・・・お懐かしや        いなみ山の会の皆さんと

  
   後方のテントは藪山雲水さんの大型テント          こんな豪華なすき焼き食べたことないわ

 
  前田〜 トップご苦労さん  まあ 飲め〜〜            雪彦山キャンプ場 向こうが若者ワンゲルグループ


エントツ山HPを介して姫路と四国の山仲間が集う・・・剱岳・立山縦走、三嶺登山、石鎚北沢、石鎚東稜〜御塔石、御来光の
滝〜石鎚東稜など合同登山の思いでが蘇る。山が結ぶ人間の絆って不思議なものだなあ香川のトンちゃんから差し入れの冷
酒やおつまみ、エントツ山のしょうゆ豆、マーシーさんとふ〜みんさんの柑橘類、その他  ノッポ大西さんが差し入れてくれたお
酒、シャンパン、ワイン等などで遅くまで賑やかな交流が続いた。

翌日の縦走登山もあるので切り上げると、今度は隣でテントを張っていたワンゲル学生連中のトランプゲームではしゃぐ声が
昨夜賑やかだった鹿の鳴き声に取って変った。

平成25年4月28日  雪彦山周回登山 伊予の鈍亀ファミリー サプライズ登場!

早朝、甲高い小鳥が騒ぎ出し目が覚める。そのうち他のテントからも人の声がしてくる。06時15分朝食は昨夜のすき焼きの
残りにうどんを入れたうどんスキだ。おかげで今回持ってきた食料はほとんど使う事がなかった。

雪彦山縦走交流登山を行うに当たり、折角だからエントツ山掲示板にて読者で希望を募るお知らせをしていた。誰からも応募
が無かったのでマーシーさん、ふ〜みんさんの四国組のみで合同登山を行う事にする。

駐車場が混む前にテン場に上げていた車を移動し、そこで登山準備をしていると何と伊予の鈍亀さん達が現れた。聞くと朝03
時30分頃新居浜を出発してきたと言う。気の毒だったが有りがたい事でもあった。

 
   伊予の鈍亀さん達  四国から登場               雪彦山キャンプ場登山口

高御位山さんを先頭にいざ大天上岳(おおてんじょうだけ)へ

07時40分キャンプ場から川沿いに広い林道が続くが、高御位山さんを先頭に左手の段を上がり表登山道を賑やかに皆で出発
する。だが直ぐに自然林の急登となり次第に声が出なくなる。そんな中で森安さんと菅さんの元気な声が聞こえる。二人共80歳
近い筈だが大きな声は元気のバロメーターだ。

10分程で不動岩を過ぎて更に急な登りを喘ぐと08時04分展望岩に着いてそこから見える大天井岳を眺める。更に左手に細い
植林の坂を進むと08時33分コル部に着き少しなだらかで明るい植林の尾根を奥に進む。又岩の多い急坂に変わり左手に岩が
立ちはだかる細い小道を抜けて、左へ折り返すと08時48分「出雲岩」に到着。

 
藪山雲水さんと前田さんに見送られて07時40分出発       いきなりの急登りにびっくり〜


08時05分 雪彦山を眺める展望岩に着く   ここから見ると上から大天井岳、不行岳、三峰岳が区切りよく見える

 
       藪は得意なんだけどね                  08時50分出雲岩に到着

出雲岩で神戸の解読者に遭遇

右側にオーバーハングの岩場が続き、岩にはピンが打たれているのでここも岩のゲレンデになっているのだろう。先ほど我が隊
を追い抜いた単独者男性が岩に座っていたので「その向こうの岩穴は大きいですか?」と声を掛ける。私はチャンスがあればな
るべく登山道で会う人に一期一会の挨拶か短い言葉をかける様にしている。たまには無視される事もあるが大抵はにこやかな返
事が返ってくる。

この男性は急に声を掛けられて少し面食らっている様だった。彼の奥に進むと修行が出来そうな岩屋になっていた。すると「エン
トツ山さん?」とくだんの男性から声がかかる。「はい  そうですが・・・どちら様ですか?」「いえ  誰かからエントツ山のHPを紹介
されて時々見ています」「どこから来られたのですか?」「神戸です」  え〜〜関西にも読者が居たのか〜〜

マーシーさんを呼ぶと「あっ  マーシーさんですか」と私に会った時より更に嬉しげな顔になる。なんで皆エントツ山よりマーシーな
んや!  まあ HPの登山記はマーシーさんの写真で溢れているんだから主役は彼だよなあ・・・と一応納得はしているのだ。
我が隊は高御位山さんのリハビリ歩きだから若者を先に行ってもらう。しかし後で考えると彼もひょっとすると掲示板の呼びかけに
応じて参加してくれたのかも知れない。ごめんね〜ゴメンね〜

 
     オーバーハングのドデカい出雲岩            神戸から来られた読者様 ありがとうございました

マーシー セリ岩をクリアせり

その後も急登が続くが寝不足で心配していた伊予の鈍亀隊も奮戦している様だ。左手に岩が立ちはだかる細い小道を抜けてると
09時06分迫割りが前に現れる。この幅ではマーシーさんやおじょもさんは通れんぞ。  案の定マーシーさんはザックを下ろして何
とかここをクリアした様だ。

 
     上昇志向は女性が上だ                       大岩の横を回り込む

 
   大丈夫やろか? (マーシー)                     何とかクリア出来たわい

その後展望岩を越すと09時20分ロープが敷設された樋状の岩を這い上がる。そして更に前方にはアケボノツツジの下に尖った
岩があり(馬の背?)それを乗り越える。先行する伊予の鈍亀(♂)を見ると身軽で岩を這い上がっている。この武者人形は結構運
動神経が発達している様だ。この岩を皆に付いて一旦迂回した細身のバネ女ふ〜みんさんが戻って来てこの岩場に取り付いている。
この山や岩での積極性は人生に活かされているのだろうか。

 
     高御位山さん 先頭を堅守                 おっ  みんな鈍亀状態になっているぞ

 
  00歳深田さんもガンバル〜                  樋状の岩を這い上がる高御位山さんと森安さん

 
  アケボノツツジも随所に咲いて嬉しい            ここが馬ノ背? 亀吉さんは非常に身軽だった

 
  引き返して来てまで岩場を歩くふ〜みんさん              雪彦山のアケボノ

第一目標 大天井岳(おおてんじょうだけ)884m に着く

今歩いている一般登山道は「表登山道」などと言われ岩が多くて急峻な所が人気になっている。最後は右手の急な岩場を上がると
09時36分  祠のある雪彦山(大天上岳)山頂に着いた。この祠は「洞(ほら)神社」と呼ばれ中には不動明王と役の行者像が祀ら
れているらしい。丁度四国で言えば稲叢山(いなむらやま)の山頂みたいでゴツゴツした岩場であまり広くはない。

繰り返しになるが一般的に雪彦山という岩場があるこの辺りの山全体を洞ヶ岳(ほらがたけ)と言い、正面のピークである大天井岳
(おおてんじょうだけ)、その手前にある3つの岩山を左から三峰岳(さんぽうだけ)不行岳(ゆかずだけ)、地蔵岳(じぞうがだけ)を合
わせて洞ヶ岳あるいは雪彦山(せっぴこさん)と呼ばれたりしている様だ。

江戸時代中期に編纂された「播磨鏡」には応永の頃(足利幕府の頃=15世紀初め)、山内某山にて白蛇に逢いそのお告げで白山
宮をここに勧請した。即ち白山三所権現と言い、伊弉諾(イザナギ)、菊理姫(くくりひめ)、大己貴命(おほなむち=大国主の若い時
の名)を祀ったとある。ちなみに菊理姫(くくりひめ)とは白山信仰の女神である山内の某山とはこの洞ヶ岳付近(現在の山ノ内地区)
だから江戸時代中期の播磨鏡には雪彦山の名前が出てこない。今昔物語に出て来た雪彦山の山名が一般的になったのは果たし
ていつの時代なんだろうか。

 
       最後の急登を右手に這い上がる          山頂付近のアケボノを撮る鈍亀さんを撮る

 
    ゆ〜みんママと                          高御位山さん よく頑張りましたねえ

楠橋さんの弔い合戦・不行岳(いかずだけ

 さて、ここまで先頭を歩いて来た高御位山さんであるが「不行岳へゆかずんばなるまい〜」と言い出す。数年前にしまなみ隊がここ
に来られた時、楠橋さんが勇躍不行岳へ大天井岳から懸垂下降して登頂した思い出の地なのだ。岩組は全員内心(え〜  大丈夫
やろか・・?)と呟く。

頑固者の決意がいっそう固そうなので「楠橋さんの弔い合戦や」と言う心意気には誰も口を挟めなかった。ヘルメットは要らないがハ
ーネスを装着して下さいと言う指示に従う。(でもワタシ懸垂下降などした事ないんだけど・・・)

何か藪っぽい岩と潅木の斜面を裏側へ下りていく。潅木で下があまり見えないが高御位山さんが「西川!  ここから懸垂下降や」と
指示。「ここからやとロープが下まで届けへんで〜・・」とぶつぶつ言いながらもこの頑固オヤジに歯向っても面倒だからロープを樹に
掛けて09時56分懸垂下降の準備をして先に下りて行く。その間も「西川!  何をとろとろしとるんや ロープワークがなっとらん!」な
どと往年のパワハラ檄が谷に向って飛ぶ。長い事こんなにして皆を鍛えてきたんやなあ。でもパワーが少し切れてきたプチパワハラも
長年の恩義で甘んじて受けているゆ〜みんママも立派なもんや。

しびれを切らしたマーシーさんとふ〜みんさんがいつの間にか居なくなった。高御位山さんを心配しながら眺めていると何とか昔取った
杵柄(きねづか)で懸垂下降の準備をして下って行った。その後を付いて私もなるべくロープを使わず下がる。「やはりロープが足らへ
んで」と次のポイントでロープをセットし直す。

 
  ザイルを伸ばして懸垂下降のゆ〜みんママ          むむっ  森安さんと菅さんは既にお手付きだ

10時10分対岸にある不行岳を見ると既に森安さんや菅さんが山頂に這い上がっている。この会の老老介護ブラザー&フラワーの
活動は一体どうなってんのや〜?ゆ〜みんママ(西川さん)が又先に懸垂下降し高御位山さんがそれに続く。ふ〜みんさんから「不行
山の天辺にいる姿が撮れたらいいのですが・・」と希望が出された。そうとなれば戦場カメラマンは私の任務だ。高御位山さんを追いか
けてロープを素手で掴んで下降する。コル手前に3mほどの垂直岩壁がありここが難所だ。高御位山さんは既にこの難所をクリアして
不行岳の岩場に取り付いている。

 
  ゆ〜みんママがまず懸垂下降で下る               おうおう 高御位山さんも懸垂下降してるぞ

 
森安翁が山頂に立ち、女カンスケは岩を這い上がっている  負けずに不行岳に這い上がる高御位山さん 

 
  懸垂下降で大天井岳から下りてくるふ〜みんさん      最後にマーシーさんも懸垂下降して来る


私はロープを掴んだまま足場の無い岩崖をぶら下がる様に下りる。最後で手を意識的に滑らした所指先が熱くなり少し火傷をした様だ。
やはり手袋が要る事を身を持って体験する。不行岳の山頂に一旦立ち、向かいを眺めるとふ〜みんさんが岩壁を華麗に懸垂下降して
いる。マーシーさんに「お〜い  こちらの写真を撮ってくれ〜」と頼むと「電池がありませ〜ん」と言う。がっくり  又私の不行山山頂勇姿
は無いのか・・・

仕方なく皆の不行山頂上写真を撮るべくロープの確保場所へ急いで引き返す。10時22分何とか全員が山頂に立っているのに間に合
い撮影を終えると大天上岳でしびれを切らして待っているだろう深田さんや伊予の鈍亀ファミリーの所に急いで帰る。

  
      私は又元に這い上がる  忙しい         戦場カメラマンはスリルを楽しみながら撮影ポイントへ向かう


      楠橋さん  見てくれましたよね   高御位山さんは頑張りました


混み合う大天井岳山頂

10時30分大天井岳の山頂は最初に来た時以上の登山者でごったがえしていた。そこへネットで見た雪彦山の記念バッジを売るオジ
サンがやって来た。「バッジ売りのオジサン」と記念撮影をお願いする。次に菅さんと森安さんが大天井岳に帰り、昨夜キャンプ場でテン
トを張っていたワンゲル部の若者と親しそうに話を交わしている。この中に愛媛県宇和島出身の学生もいた。

   
名物「バッジ売りのおじさん」と洞神社の前で          祠の中は不動明王と役の行者だ (yamayaさんのサイトより)

 
  女カンスケさんと森安翁も帰ってきた               伊予の鈍亀さん  お待たせしました〜


大天井岳から雪彦山三角点〜鉾立山へ尾根周回

高御位山さん達も山頂に帰って来たので10時50分混雑する山頂を離れてどこか静かな場所で食事にしようと出発する。縦走
尾根のコルに向って下りるとしばらくアケボノツツジが咲く岩っぽい細尾根が続いている。10分位歩くと左手に「天狗岩」が現れ、
その向うに分岐がありそこから左上に縦走路は進む。

この分岐からは地蔵岳コルを経由して虹ヶ滝に下りる道がある。マーシーさんとふ〜みんさんが見当たらないので探しに引き返
すと二人は天狗岩に這い上がっていた。どうやら岩があると這い上がるクセが付いてしまった様だ。

11時12分図根点(ずこんてん)があるピークを抜けて植林帯に入る。11時30分斜面を登りきった涼しいコル部で昼食タイムと
する。深田さんからは冷えた八朔が振舞われ、伊予の鈍亀さんからはクッキーが配られる。おかげで又食料を消費する事が無
かった。

 
  岩の多い細尾根が暫く続く                   先ほど行った不行岳がアケボノ越しに見える

 
マーシーさんとふ〜みんさんが見えないので探すと天狗岩だった 天狗岩を過ぎて右上の周回尾根を進む

 
   11時12分 図根(ずこん)点を通過              なだらかな細い植林地帯進む

 
  平らなコル部に出て25分昼食休憩をとる            その後 急な登りが続く

何という事もなしや 雪彦山三角点 (915.2m)

そこでゆっくり休憩をして出発すると急な植林地帯の登りが続き退屈するが、森安さんの大きな声で皆元気づく。森安さんは元々
素朴な性格だが、益々浮世社会の鎧が外れて見栄や飾りが無くなっている。仙人の一人掛け合い漫才を聞いていると12時10
分雪彦山三角点(915.2m)に到着。

確かに魅力のある山頂では無かった。山というものは山頂だけを指すものでは無いが一応山登りの区切りとして山頂や三角点へ
の訪問が普通である。エベレスト山でも登頂の証明に山頂での写真が必要とされている。

12時30分  虹ヶ滝への下山口分岐を通過。高御位山さんを見るとまだ余裕がありそうだったので少し登りになるが「やはりここ
まで来たら縦走を完結しましょうよ」と言うと合意が得られた。やはりみんなで楽しく歩くと距離も伸びるもんだ。普段会の山行には
参加されていないご意見番も今日はすこぶる機嫌よく歩かれている。

 
12時10分通りすがりの雪彦山三角点に至る                立山や三嶺での師弟コンビしぇ〜を再現

 
この後 地蔵岳の試練があるとは知らない鈍亀ファミリー        12時30分 虹ヶ滝への下山分岐を通過する

眺めの良い鉾立山(ほこたてやま) 950m

この辺りは植林地帯だが尾根筋は切り払われていて明るい。12時50分「鉾立山」に到着。 う〜〜ん ここも何という事もないピ
ークだ。言い伝えによれば、この地に巡幸で滞在した応神天皇(5世紀前後)の夢枕に、イザナギ、イザナミの神が現れ、「祠を建
てて祭れば百姓は富み国は栄える、その場所には鉾を立てておく」と告げたと言われている場所だ。雪彦山の山頂の1つであるこ
の鉾立山に社殿を建てたのが信仰の始まりと言われている。その後、山への参拝が遠く険しいため、現在の地に移されたのが初
日にテントを張った近くにあった「賀野(かや)神社」だ。この神社は農耕が盛んな時期に馬や牛の守り神として人気が高かったらし
い。

奈良時代初期に編纂された「播磨風土記」には以前立船野「鍋倉山」の南麓に鳥居があってここから峰伝いに多くの人が鉾立峰に
参拝をしたとある。「立船野」(たちょうの)という地名は雪彦温泉の少し北側に今でも地図上に記されている。従ってその時、鉾を
立てた鉾立山はこの場所ではなく神社の裏側にあるピークだとも言われている。

この現在の鉾立山から眺める山並みは脈々と続いているが、何せ土地勘がないのでサッパリわからない。高御位山や氷ノ山、播
磨灘まで見渡せるそうだ。

 
   明るい尾根を鉾立山へ向かって登る            周回最高峰 鉾立山 950mにとうちゃこ〜


眺めの良い鉾立山で寛ぐパーティ   ここから北側には氷ノ山、南側には明神山や千種山がみえるそうだ

縦走尾根から虹ヶ滝まで

尾根は更に続き鉄塔が尾根の先を2箇所横断している。最初の鉄塔巡視路を下るのかと思ったが13時16分鉄塔手前942m
ピークから南へ下りる分岐があった。ここからは植林地帯の長くて急な下りが続く。15分位薄暗い植林地帯を下ると沢の源流部
に着き左右の傾斜がきつくておびただしい数の倒木が斜面にずり落ちている。隊長・高御位山さんを先頭に数回右へ左へと浅い
場所を渡渉する。

13時45分大天井岳や三角点で会った家族連れがここで休憩食事をされていた。小さい娘さん2人を連れてこんな場所に来るな
んて何とおシャレな家族だろう。心を和ませてくれたお礼に近くの蔓にぶら下がってターザンのマネをさせて貰った。

 
13時16分下山分岐があり右手に向かって下りる       最初は急な植林地帯をジグザグに下る

 
     元気に歩く高御位山隊                    子どもと歩く家族は実に微笑ましい 

 
おっちゃんが今からターザンごっこを見せたげるからね     マーシーさんは危険の匂いが好きだ

谷が益々深くなり左右斜面にずり落ちた倒木も半端な数ではなかった。14時頃、尾根にあった虹ヶ滝一般下山道と合流。先頭の
高御位山さんからも随所に解説が入り実に良い山行となっている。

その後左岸に渡り返して進むと沢部が一枚岩の「ナメ滝」を通過。更にその下では古い登山道が崩落しており右岸に渡る。14時
10分に畳状の岩が現れるとマーシーさんとふ〜みんさんがこれを見逃す筈もなく沢に下りて岩を飛び跳ねている。二人共祖先の
猿DNAが強く残っている様だ。

ここを過ぎると岩場を含んだ急な下りとなり、その落差を埋める滝が出現する。スミレ以外の花にはあまりお目にかからなかったが
ここにヤマルリソウが咲いていた。
14時20分  上部に2〜3箇所の小滝を持っ「虹ヶ滝」に到着。岩山や滝は原始宗教のシンボルだ。陽が差し込むと虹がかかるの
だろうか?

 
 13時58分尾根から虹ヶ滝近道下山道分岐に合流       14時03分 滑(ナメ)滝通過

 
畳岩の川床に下りるマーシー、ふ〜みん猿の惑星コンビ        この辺りから滝が出現

 
    登山道はよく整備されている                 ルリ色をしたヤマルリソウがあちこちで咲いていた

  
       更に傾斜がキツくなる                雰囲気がとても良い虹ヶ滝 ここが地蔵岳分岐になっている


オ〜 ユア ゴッド ! 四国組 ここで女カンスケからまさかの地蔵岳逆襲サプライズの洗礼〜

この滝付近に地蔵岳に登る分岐(一般登山道)があり、突然カンスケさんが「折角四国からいらしたんですから(伊予の鈍亀さん
達を)地蔵岳に是非ご案内しましょう」と言い出た。もうすぐ下山出来ると思って油断していた鈍亀ファミリーはこの申し出に戸惑
った様に見えたがカンスケさん(もうすぐ80歳)のやる気・迫力・親切心の前には黙って従うしか無かった。

前日地蔵岳に這い上がったマーシーさんとふ〜みんさんはお互いをうまく牽制し合って難を逃れている。掲示板読者接待役の私
がお供をするのは当然なので進んでこの悲しい運命を甘んじて受け入れる。ザックを置いて行けばよかったのだが、そんな事を
考える余裕も無く14時25分カンスケ霊媒師の手招きに催眠術にかかった様に四国隊が右手の崖を這い上がる。

そこからはカンスケさんの励ましが終始谷間に木霊した。「ゆっくり行きましょう」というカンスケさんの足は言行一致せず忍者の
様に早い。この「くの一カンスケ」とへなちょこ四国隊の隔たりを微妙に測りながら間合いを取って進む。

前日この道を地蔵岳クライミング後に下山したのだが思いの外急な登りだった。鈍亀ファミリーは縦走の疲れの中良く頑張り14時
50分雪彦山のシンボル地蔵岳山頂に無事到達した。人生にはこう言う結果オーライのサプライズがあるもんだ。菅さん、ありがと
うございました。鈍亀ファミリーさんお疲れでございました。山頂で再度、前日に這い上がった地蔵岳東稜を下に眺めてその切り立
った崖に怯えた。

  
    キャイ〜ン  また登るのね                 あちらに見えますのが地蔵岳でございま〜す げっ

 
      地蔵岳分岐のアケボノ                    前日クライミングした崖を覗く おとろしや


     賀野神社                 奥は千種山  夢前川の谷合が登山口

 
 這い上がったら這い下りなきゃなんないのよね           やっと元の沢へ復帰間近でございま〜す

大曲休憩所〜出合〜オープンダム〜キャンプ場

15時30分元の沢に復帰して大曲休憩所に這い上がると岩コンビ、ゆ〜みんママ、深田さんがが待っていてくれた。ここから
左へ進めば前日車を停めた林道の東屋へ至る。地蔵岳が新緑の木立に聳えて一層厳しい姿を見せていた。大曲から右へ
進むと沢の左岸をなだらかな登山道が続く。


大曲休憩所から眺める(左から) 不行岳(ゆかずだけ)、大天井岳(おおてんじょうだけ)、地蔵岳(じぞうだけ) 

15時40分沢沿いの道となりラショウモンカズラやイチリンソウが見られた。16時00分右岸を下るとネットで見た雪彦川第2
ダムに到着。ジャングルジムをドデカくした独特のダムは迫力満点だ。ダムの下流からは広い林道となり16時05分キャンプ
場に帰り着いた。

 
ラショウモンカズラ   シソ科                        イチリンソウ  キンポウゲ科
京都の羅生門で切り落とされた鬼の腕からついた名前だ

 
  沢沿いの道をキャンプ場下山口へと向かう          雪彦川第二ダム (枠製格子枠砂防ダム)
                                      これで大きな岩の土石流を捕捉して食い止めるらしい

 
奥に地蔵岳が見える  鈍亀ファミリーお疲れ様〜        16時05分 キャンプ場に帰り着く

そこで五月雨式にお互いが感謝の挨拶を交わしてそれぞれの地に別れる。伊予の鈍亀ファミリーの参加で雪彦山交流登山も
一層充実したものとなり思い出深い山行となった。帰りに雪彦温泉に寄るが大勢の登山者で混雑しており洗い場待ちが長かっ
た。マーシーさん、ふ〜みんさん  お疲れ様  

 
菅さん お元気で〜 又お会いしましょう〜       名残は尽きねど楽しい思い出を胸に解散〜〜

雪彦山交流会はこの様にして大成功の内に幕を閉じた。高御位山さんをはじめ「いなみ山の会」の皆さん  本当にありがとう
ございました。 神戸の愛読者さん お土産をありがとう〜  又の再開を願っております。

前日の 地蔵岳東稜交流ロッククライミングは  ここ



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