笹が峰への最短コース 笹ヶ峰・南尾根ルート

平成231218日、平成231225


 LNG船がスポットで12月22〜23日入港し、安全祈願とお礼参りを兼ねて笹ヶ峰山頂の「石鉄大権現」を12月18日
と25日に訪ねた。時間的に余裕が無い場合の笹が峰への最短コース「笹ヶ峰・南尾根ルート」を皆さんに紹介しよう。

南尾根ルート・アクセス
西条から国道194号線を高知方面へ進み、寒風山トンネルを高知側に抜けてすぐに左へUターンして旧寒風山トンネル
口へと進む。ここには桑瀬峠への寒風山登山口があるが、その手前で右手の大座礼線へと入る。道は舗装されていないが
普段は普通車でも行けるし、四駆車なら冬でもそう問題なく笹ヶ峰・南登山口まで約15分で行ける。
登山口には標識があり、道路が広くなっているので相当数の駐車は可能である。


この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)を使用したものである
笹ヶ峰南ルート 登り:2時間〜3時間    下り:1時間30分


蔵王権現と不動明王 


笹ヶ峰山頂にはご存知の様に石積みの大きな祠があり、ここには金剛笹ヶ峰石鉄蔵王大権現と大日聖不動明王が祀られて
いるらしい。石積みの右肩に不動明王が置かれているのだが、扉が閉ざされた祠の中を覗いて見たことない。 

笹ヶ峰は古く奈良時代より山岳信仰の地として修験者が往来していた事は本などに書かれておりほぼ間違いない。一説に
はこの笹ヶ峰が「石鎚山」と呼ばれていたとの話も聞く。しかしこの山頂の祠がいつ頃から置かれているのかはよく知ら
ない。笹ヶ峰修験道場を(旧)石鎚山の別当として主張している大生院の「石鉄山・正法寺」HPにもこの山頂祠の由来
に関する記述はないようだ。
この正法寺のHPには昭和に入って信者さんの手で2体の権現さん(蔵王権現)を大生院から笹ヶ峰へ運んだのだが、余
りの重さに黒森山手前の堂ノ平どうのなる(堂ノ成の記述もあり)に安置し、後年その場所を捜索した記述があり、この
お寺が笹ヶ峰と因縁が深い事を物語っている。

古い時代にはこの辺りの修験道場は笹ヶ峰、瓶ヶ森、子持ち権現山あたりが中心だった様で、時代の移り変わりで次第に
西側にある石鎚山がその中心になってきた様だ。

蔵王(ざおう)権現」はご存知修験道の祖、役(えんの)行者(役小角えんのおづぬ)が吉野の金峯山で最も強力な
神仏の出現を念じた所「お邪魔しま〜す」と出てきた日本人向けの神仏で、早速記憶が薄れないうちに桜の樹でこの像を
彫った。右手に三鈷杵(さんこしょ)を持って高くかかげ、左手は剣印(刀の形)を結び腰にあて、右足を高く踏み上げ
ているシェーポーズ神である。つまり修験道のご本尊様の位置付けとなる。


一方、「不動明王」は真言密教の教主である「大日如来」の命を受けこの世の悪を絶つ役割の神仏で右手に悪魔を退治
する剣、左手に悪を縛る縄を持ち、背中の後ろがメラメラと炎が立っているあの石鎚ロープウェイ口にある空海お気に入
りの密教仏である。

双方とも悪を懲らしめる強い意志を持った怖〜い憤怒相をしている。




         
     蔵王権現像 (権現さん)                  不動明王 (お不動さん)

 

1218日笹が峰・南尾根コースへはLNG船入港前安全祈願に、おいわさんの滝写真展(松山)とセットで行ったが
誰にも会わず、
25日は無事作業終了のお礼参りに上った時、おじょもさん達に会ったので登山記は後者とする。

高松を出発して寒風山登山口の大座礼林道入り口に0930分頃到着。大座礼林道を笹ヶ峰登山口まで入るが、数人の
足跡が続いていた。冬型気圧が強くこの数日雪模様で先週よりは条件が悪そうだったのでラッキーだった。


登山口で冬装備を整えて10時頃出発。 先行者のラッセルがありアイゼンは要らない程だったが一応10本爪アイゼンを
付けて、スノーシューを背負って歩く。


霧が低く垂れ込めて見通しが悪い。しかしながら北面と違って冷たい風があまり当たらないのが冬場の南面を好む理由
だ。
この笹ヶ峰南登山道は以前「急登キュート・コース」と命名したが、細尾根をうまく使った笹ヶ峰への最短コース
である。


急登は前半の若い植林地帯から始まる。所々に平坦地がありメリハリがあるのもこのルートの特徴だ。背の高い笹が登山
道の両側に生えており、潅木と共に急な坂の上り下りにお世話になる。

 
     大座礼線の谷にかかる橋           笹ヶ峰・南尾根コース登山口


 
   尾根に出る最初のトラバース道         尾根に取りつくと急な登りとなる

  
ルートは尾根が明確でなくなった頃、正面に崖が現れる  この崖を右にトラバースして上側の尾根に出る


中盤への目安は10m程の崖を横掛けする場所となる。今ではここにロープが敷設されており冬場でも安全に通過出来
る。
中盤の目玉は言うまでも無く「ブナ広場」である。腕を大きく広げたブナ斜面の壮観はこのルートを歩く誰もを深
く魅了する。
雪が深く無ければ登山口からこのブナ広場まで約1時間、山頂まで更に約1時間が私の目安である。

 
崖をトラバースしてしばらく進むとブナ林が現れる        ここのブナは迫力満点だ


       大座礼山のブナ広場に匹敵する笹ヶ峰南尾根のブナ

ブナ林を越えると若いダケカンバの林となり、更にそれを抜けると笹原の斜面となり左手に寒風山と伊予富士、右手に
冠山からチチ山が並ぶ。天気が良い冬場は実に爽快な雪山歩きが楽しめるのである。


笹原の斜面にはクリスマスツリーの様なモミの木が点在し、低いドウダンツツジの樹が見られる。 ルートは大きなモミ
の樹の間を抜け更に笹原の急斜面を進む。
この辺りから現れるコメツツジに霧氷が付きカリフラワーの様な形になってい
る。
コメツツジが沢山出現すると山頂まではあと一息だ。

 
    ダケカンバの樹林帯                    それを越えるとモミの木が現れる

 
    写真では樹氷もガスの中で映えない           ダラダラと登り斜面が続く

 
     12月18日の霧氷                     これも12月18日のコメツツジ霧氷



山頂直下で上から声がして数人が下りて来た。「ラッセルどうもありがとうございました」と一人ひとりに挨拶をかわ
す。一番後ろから来る人の体型はどうもおじょもさんみたいだ。
すると向こうから「エントツ山さん?」と声がかかる
。やっぱり!!


お互い冬の重装備の為素顔がほとんど見えないが声でわかった。おじょもさんが先行する知り合いの島田さんにも声を
かけた。ありゃ〜 高松山の会有志でしたか。思わぬ場所での出合にお互い喜び合う。



             おじょもさん       エントツ山       島田さん

 
   こんな所でお会いするとは・・・  ヤッホ〜         山頂の解説版にも霧氷が付いている


山頂で笹ヶ峰蔵王権現(石鎚大権現?)にお礼参りをする。 山頂ポールのエビフライは先週よりも衣が多く付いて迫力
満点となっていた。
手袋を脱いでカメラのシャッターを押す指が寒さで痛い。今私が極寒の中で雪に覆われた石積みの祠に手を合わせている
ものの正体は一体何なのだろうか。正面に鳥居が置かれているから神社? う〜〜ん



           笹ヶ峰名物のエビフリャ〜霧氷 


笹ヶ峰山頂の祠 (12月18日)  12月25日は雪に覆われて原型を留めず


修験道とは

私が今拝んでいる蔵王権現をして最高神仏とみなす修験道について少し触れておこう。神仏と言ったのには訳があり、
「修験道」とは日本古来からある山岳信仰がインド〜中国を経て日本に入ってきた仏教に取り入れられた日本独特の
宗教である。つまり修験道は日本の神様と仏教の仏様が融合した(=神仏習合)ものである。

古来自然界は人間にとって住む場所と違う「異界」で、そこで人間の想像を超えた神聖な畏力に神仏の存在を感じ畏怖
の思いをはぐくんできた。

修験者あるいは山伏としてこの異界である山に入り厳しい修行を行う事によって超自然的な能力を得て、単に隠遁者で
なく衆生の救済を行う極めて実践的な宗教である。つまり験力を獲得した修験者は護摩を焚き、雨乞いや病気平癒の
加持祈祷を行った。これが平安時代に貴族から現生的な要請により社会的地位を作り上げたのだろう。


開祖役行者(634年〜701年)以降の「修験道」の推移はどうなったのか? 中国に渡った高僧が持ち帰っ
た密教と結びつき大まかに天台宗と真言宗の2派の流れとなり歴史的に包括されてきたようである。

天台宗は正式には天台法華円宗と呼ばれ、学校で習った様に最澄(さいちょう)が805年唐に渡り持ち帰った
法華経の教えをその根幹として、「円教」「戒律」「密教」「禅」などを含む総合仏教であり、後の世に長く日本仏教
の流派を輩出した。(念仏宗、浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗など)

この中の天台密教(台蜜という)を基に845年頃、最澄の弟子、智証大師・円珍という人が那智の滝千日行、熊野〜
大峰山〜吉野への大峰奥駈修行を行い「天台寺門宗」・修験道の宗祖と言われる存在になった。

その後、増誉(ぞうよ)という人が1090年に後白河法王の熊野御幸の先達を務め貴族社会にその確固たる地位を築
き、本山派・修験の祖と言われている。つまり加持祈祷などにより現生的なご利益を発揮する修験者の地位が当時の貴族
やその後の武家社会の中で独特な地位を保ってきたのだろう。
石鎚のお山開きの際に黄色の美しい装具をまとった修験者に会うが、この人たちが天台宗派の修験者さんである。


もう一方の真言宗は正式には真言密教と言われ、最澄と同じ時期(804年)唐に渡った空海が密教そのものを日本
に持ち込んだ。この教えは「大日如来」を全ての宇宙を成り立たせている根源の仏様と捉え、現世において悟りを得て
宗教的な最高の人格を完成する即身成仏となり、すべての人々を導き救うというものである。
お釈迦様でさえこの世で仏教を説く為に大日如来が姿を変えて現れた姿で、不動明王は大日如来の使者という訳である。

この真言派修験道の祖と言われる人は聖宝(しょうぼう)(832〜909年)と言う人だ。この人は役行者を尊敬し
吉野の金峰山(きんぷせん)で山岳修行を行い、参詣道の整備や仏像建立などに貢献し、これが役行者以降衰退気味で
あった修験道の再興の祖とする所以である。この人大の犬嫌いで若い時お師匠さんの可愛がっている犬を留守中に知人に
あげて師匠によって追放された経験がある。真に仏の道は生々しい世界ですわ。

この2派はそれまでの奈良仏教界が人里にお寺を立てていたのと違い、天台宗の最澄が比叡山、真言宗の空海が高野山と
いう様に人里離れた場所に道場を置きその山中を修行の場とした。この密教がそれまでの山岳修験道を体系立てて融合し、
役行者を慕ったのがそもそも修験道の祖として敬われ様々な伝説を誕生させた所以である。


その後明治5年に近代化を目指す明治政府により修験道廃止令が発布され消滅の危機を迎える訳ですが、天台宗の聖護院
か、真言宗の醍醐三宝院のいづれかに所属しながら耐え忍びて、昭和20年に施行された宗教法人令により晴れて法的に
認められる存在になったのである。


まあ 我々は難しい経典や教え、作法には無縁で只々厳かなる地に出向き、有り難い神仏が祀られてある祠に向かって
無心に手を合わせるだけである。 こんな事でご利益があるとは思えないが単に山に登るよりちょっと意義があるかも
知れないとする希望・想いってとこだろうか。 「人事を尽くして天命を待つ」

寒〜〜〜  祠に向かって拝んだら帰ろ 帰ろ  撤〜退〜〜


 
一応お祈り姿も撮って会社にアッピールしなくちゃね    さて 下山しますか

大きなモミの木の陰で風を避けながらパンをかじっているおじょも隊に、「下山したら車まで送りますから」と声を
かける。
雪の斜面は程よい角度なのでガンガン下に向って快適に歩く事が出来る。しかし10本爪アイゼンの締め付けが
甘く2〜3度外れた。 どうもアイゼンの靴サイズ合わせが緩かった様だ。

笹ヶ峰南尾根ルートの醍醐味はこの下山の軽快さと土佐の山をバックに円を描く斜面の美しさにある。運が良ければ
右手に寒風山と伊予富士、左手には端正な形の冠山がステレオの様に広がる。 抜群の展望には恵まれなかったものの
雲の下に広がる雪景色を楽しむ事が出来た。




             クリスマスにふさわしい光景


                更に下の段にもモミの木集団がある

 
   おじょもさん達が昼食だって                 こんなに寒くちゃ パンかじるのが関の山だろう

 
こちらは車に帰ってカップ麺でも作りますわ  おっ先に〜〜       ガンガン下りる

 
     12月18日のサンゴ型霧氷                   12月18日 桜型霧氷

 
                 12月18日  南斜面から東側を覗く


                     笹原の世界から樹林帯に入る


                   12月18日 冠山方面


                        12月25日 寒風山が見えた

ブナ林をもう一度楽しんで、急坂を笹に助けながら先に車に帰りカップラーメンを作ろうとしていると、おじょも隊が
早くも下山してきた。ドライバー
2名(おじょもさんと野口さん)を積んで寒風山登山口分岐へ送る。万が一に備えて
二人が帰って来るまでカップラーメンを作って食べる。あ〜寒い冬は暖かい食事がホットする。(のんびり山歩師匠
クラスのダジャレ)。




                  帰りも楽しみなブナ林の通過

 
        何度も振り返る                   ちょっとローアングルから

 
  ロープが敷設されている崖トラバース場所           大座礼林道が見える場所まで下る

 
   おじょもさん達も下山は早かった               サイナラ〜〜 ラッセルありがとね〜〜

いつもの事だが、山を下りて国道を走っている頃には天気が回復して青空と白い山並みが姿を現した。 
「高松山の会」の皆様 お疲れでした。  来年も宜しくお願いします。



平成19年1月の笹ヶ峰 南尾根ルート登山記は ここ 
平成23年2月の笹ヶ峰 南尾根ルート登山記は ここ 



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