小・中学校の竹馬の友もいいもんです。故郷の風景のようにホッとする。青春時代を共にした大学時代の友は又違った趣があります。
高知の片田舎、朝倉の地でやっと逃れた受験戦争の末、世間知らずの田舎者が突然放り込まれた激動の1970年安保闘争の波。
多感な子供と大人の過渡期に安下宿でそんな時代を送った友が同窓会をラフォーレ剣山荘に集まり山歩きをする事に。
剣山 西側縦走路より
当初11月1日(土)集合時間までに「塔ノ丸」(1713m)と丸笹山(1712m)の2山制覇をもくろむも、参加者の一人「かまきり2号」が
学校の収穫祭行事の為一日繰り上げとなる。おかげで10月31日金曜日仕事を終えて車を飛ばし、夜8時ラフォーレに集合となる。
酒豪「モネの方」の酒宴段取りで夜遅くまで盛り上がった。 外は満天の星空、中は青春真っ只中、懐かしい語らいの場。
翌日の山歩きの事もあり11時半にお開きとなり男部屋に帰る。ラフォーレ剣山荘は本州あたりの山小屋とは違いゆったりとして
ちゃんと一人づつの布団もある。が・・しかし人生の落とし穴はどこにでも待ち受けている。
同部屋の「シッタガブッタ」は覚醒時はインテリで物静かなのだが、黄泉の世界に入ると畳を揺るがす強烈ないびき。「カマキリ
2号」は趣味のクラッシック音楽のようなリズムで口(くち)ラッパを鳴らし続ける。
丸笹山で日の出を迎える
日帰り山岳民族としては、山でご来光を拝むのが夢だ。地響きイビキと口(くち)進軍ラッパにオサラバして家庭用大型懐中電灯を
持って暗い登山道を丸笹山に向かう。山の生き物はもう目覚めていて笹のなかで音を立てている。鳥のさえずりや羽ばたきが山
の冷気とともにすがすがしい気持ちにさせてくれる。これが山の朝か!ラフォーレ剣山荘の駐車場から登山口があり整備された道
が山頂まで続いている。少々重いがこの大型懐中電灯は足元や遠くを明るく照らすので簡単な登山にはもってこいだね。
炭鉱夫のようなヘッドランプより安全だ。
丸笹山 (剣山登山道より)
ラフォーレ剣山荘の明かりが眼下に見え、その向こうに剣山スキー場がある塔ノ丸が姿を現す。朝食集合の07時半まで時間
があるが、日の出を見たいから休み無しで一気に頂上をめざす。40分くらいで着いた。東から空が白み、地平線あたりの雲が
紅(くれない)に染まる。頂上のススキが風にゆれ、対峙する神の宿る剣山の巨大な山塊が黒く迫ってくる。
丸笹山の夜明け前 朝日が映す丸笹山の影
丸笹山の日の出 朝日を浴びる三嶺と塔ノ丸
地平線に低く伸びた雲間から橙色の日輪が透けて見え、やがてその雲上から現れるとあたり一面に生命のいぶきを吹き込む
閃光が山々にほとばしる。西を見ると三嶺の天辺が朝日を浴びて淡い輝きを放ち、その方面から鹿の鳴き声がこだまする。
剣山の西側には次郎笈の山肌を埋める笹をきらきら輝かせている。 これが剣山系の夜明けか ! 丸笹山から見る剣山(左)と次郎笈(ぎゅう) 丸笹山登山道
太陽が登るにつれて、丸笹山の影が西側の山々に映し出される。自分の影も写ってないかとしきりに動き回るが、お天等様も
そこまでのサービス精神は無いようだ。漆黒の空は群青色からコバルトブルーに移行し、天気は「カマキリ2号」の日程変えが
大吉と出て最高のようだ。
剣山へ出発 !
「ラフォーレで朝食を」の後、同窓会登山は開始された。08時30分リフト乗り場に行くも、リフト運転は09時からですと言う。団体客
がバスでどっと押しかけて気になるが、誰も登山道を選択する者はいない事がわかっているので時間待ちを兼ねて剣神社にお参り。
直前まで体調不良で出席が危ぶまれたさだまさしファンの「さだまさこ」と愛犬ボナンとの平地歩行以外の行為を必要以上恐れて
いる「キントキ・ぽてこ」は両者揃って身の程をわきまえた軽装。
剣山リフト 西島駅 登山道
一番この登山を楽しみに燃えていた「モネ夫人」の装備は中央アルプスへそのまま直行しても良いくらいサマになっている。
「カマキリ2号」は妻から直前に配給されたトレッキング・シューズの紐の結び方がわからず格闘している。「シッタカブッタ」
は冷静なハイキングスタイルだが手に持つストックだけが妻から借りた高級品だ。神社では「かまきり2号」が「願い事は全て
叶いますように・・!」と極めておおざっぱな祈りを捧げ、その横では20年ぶりに大吉のおみくじを引いた「さだまさこ」が狂喜
乱舞し、傍らでは「モネ夫人」がストッキングならぬ長い赤靴下を履き直している。こんな連中引っ張って行って大丈夫だろうか?
剣山の主
09時少し前にリフトが動き出し皆ぎこちなく腰掛ける。10月中旬であれば向かいの丸笹山斜面が一面錦繍(きんしゅう)となるの
だが、所々に名残があるばかり。でも抜けるような青空で誰も文句を言わず日程を1日早めた「カマキリ2号」に感謝する。心配し
ていた「キントキ・ぽてこ」も「さだまさこ」も随所に休みをいれるので問題ないようだ。夏にキレンゲショウマの咲く行場への分岐点
である刀掛けの松を過ぎると、少し道が急になり振り替えると「朝飯前の丸笹山」が綺麗に姿を現し、東手には神山から徳島・
小松島方面へ続く谷が長く伸びている。
急な登り坂 徳島、小松島方面(登山道より)
山頂ヒュッテに着き、その前に張り出されたテラスで展望を楽しむ。ショウゼン(岩などをおがす長い鉄の棒)を抱えたヒュッテの
ご主人らしき人に聞くと眼下にひろがる紅葉のシーズンは10月12日、13日の連休あたりで天気が悪く残念だったとのお話だった。
頂上から次郎笈への縦走路へ
剣山頂上の歩み板 縦走路への西側下山道
剣山の山頂は大勢の団体客がどっと下山した直後だったので比較的空(す)いていた。皆が元気だったら一の森まで引っ張ろう
と考えていたが、その隙を見せないくらいこの平凡な頂上で皆満足の様子だった。頂上と西側、次郎笈の雄大な姿をバックに写真
を撮った後、北斜面の白骨林の笹原へ出て記念撮影。それから又西斜面へとって返し、次郎笈への縦走路へと下りてゆく。最低
ここまでは来ないと剣山の登山道の良さ、高度感を味わえない。石灰岩の白い岩と笹のコントラストが青空に映える。
剣山の岩と次郎笈
大剣神社への帰り道を少しやり過ごして、次郎笈への縦走路を少し進み雄大な両山が見渡せるコルにて昼食。前回次郎笈へ来
たときは天気が悪く縦走路を歩く登山道には人影が無かったが、今日はひっきりなしに登山者が通る。ヒュッテで大き目のポットに
お湯を入れ、6人分のカップヌードルを持ってきたが箸が無い。あきらめてカップコーヒーを作り皆に配る。気持ちの良いランチタイム
が持てた。再度「カマキリ2号」に感謝。
剣山西斜面の岩場
次郎笈 縦走路と大剣神社への下山道 ( 最後部のカマキリ2号=某小学校の教頭に感謝 その前のシッタカブッタは某高校教師だ )
いつまでもゆっくりしたい気持ちだが、奥祖谷かずら橋での紅葉見物もありシェルパ原の案内で大剣神社への道を帰る。味のある
登山道を下っていくと、眼前に出来の悪いカツオブシのような縦長い石灰岩の巨石が現れる。これが大剣神社のご神体だ。その方向
に進むと、桃の花のようなピンクの実を一杯につけた「マユミ」の木が沢山ある。花が終わったこの時期に唯一「マユミ」が剣山を
華やかに彩(いろど)る。 沢山の登山客が下から続々登ってくる。 大剣神社への下山道 マユミの木と次郎笈
大剣神社へは少し登山道を上がる事になる。大した距離ではないのだが、数日前足を痛めた幼稚園の園長「モネの方」が「このまんま
下り道を行きたいが」と土佐弁で駄々をこねる。しょうの無い園長にかわらん。有無を言わさず大剣神社に引っ張り上げる。この途中に
も「マユミ」が色香を放っている。
大剣神社のご神体 大剣岩
マユミの木とご神体の大剣岩 マユミの実
奥祖谷かずら橋にて解散式
大剣神社には例の「天涯の花」のモデルになった宮司さんがおられた。宮尾登美子はこの宮司さんの境遇からヒントを得て小説を
書いたのだ。ここからリフト乗り場までは下り坂を少し進むだけ。小旗を掲げたジャンヌダルク女添乗員を先頭に旅行社軍団が列を
なして上がってくる。同じワッペンを付けたおばあちゃんとおじさんがハアハア息を切らせながら相当後を遅れて追いかけてくる。脱落
者には冷たいジャンヌダルクだ。「大剣神社はあとどのくらいですか?」と聞くからまだ15分はかかりますよと答えるとしばらくして引き
返して来た。山歩きはせいぜい5−6人の部隊が限度の様です。
小説「天涯の花」のモデルになった宮司さん 大剣神社
全員無事下山を果たし、最終目的地の「奥祖谷かずら橋」に向かう。もう本家「祖谷のかずら橋」は観光化されすぎて、隣に鉄筋
コンクリートの橋が見えて興ざめにも甚だしい。かずら橋と言えば「奥祖谷かずら橋」だろう。 こことて結構高い入場料の徴収が待
ち受けているが、奥祖谷の静かな秋を楽しむ事が出来る。
奥祖谷かずら橋からの風景
奥祖谷の紅葉 奥祖谷の紅葉
奥祖谷の紅葉 奥祖谷の紅葉
奥祖谷かずら橋 一本目 奥祖谷かずら橋 二本目
ゆっくりこの場の紅葉を愛(め)でながら散策して、来年の再会を誓い合い解散となる。皆離れ離れの上忙しい身なので、日頃
から手軽にお互いの様子を伝え合えるメールは本当に便利である。「カマキリ2号」がくれた晴天のお陰で大変満足で印象深い
山登りとなり、初めての登山経験者にも山歩きの楽しさを伝える事ができシェルパ原としてその任務を無事果たす事が出来た。
色んな山登りがあるがどれも私にとっては「かけがえのない山登り」である
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