2004年04月27日
スペシャル企画 香川山のウェブサイト(有志) 合同登山会
ナスビ平 間に合った
カタクリの花 (山ネット・オフ会 登山は楽し)
ナスビ平ー冠山ー平家平 ウェブサイト合同登山会 参加者 (4月25日)
「KAZASHI トレッキング・クラブ」 kazashi さん
「里山倶楽部 香川編」 kyoさんと静御前
「REIKOさんの四国発山歩きレポート」 reikoさんとそのハズバンド
「エントツ山から四国の山へ」 エントツ山、サマンサ、カラミティ・ジューン

  
   
エントツ山、串ヶ峰、西赤石を背景に参加ウェブサイトの皆さん

プロローグ

ホームページとは本当に不思議な世界である。それが「山登り」という健全なテーマであっても本名や年齢を名乗るサイトは皆無に
近い。守る物が一つも無い私は本名や年齢を正々堂々(?)と名乗っているが、やはりHPを持つと色々な勧誘や請求書などが送ら
れてくる。なるほど・・・ 「エントツ山」一本で行こうか

名前も顔も知らなくても、HPにリンクを組んでメールや掲示板で交流をしていると大体の人物像が浮かび上がってくる。KAZASHIさん
やKYOさんからリンクしたとの連絡があったのは仕事が忙しく県外の山へ中々行けなくなり、苦肉の策としてそれまで興味の無かった
香川の里山に目を向けだした事がきっかけだった。お二人のリンク先にREIKOさんがいて柔らかなHPについ見とれて今度はこちら
からリンクさせて頂いた。

KAZASHIさんはちょっと変った人で、まだ若いのにKYOさんや私のような年寄りを不思議と慕ってくれ、老眼用にHPのトップページの
字を大きくしてくれたりする優しさを持っている。KYOさんは年長で知識もありHPも充実してちょっと兄貴格としてアドバイスをくれる存在
だ。REIKOさんは明るい人柄がHPに溢れていて、去年あたりから山のページを充実させようとする意欲がみなぎっていた。

こんなサイト仲間で「オフ会」を提案したのは「KAZASHI」さんだった。

最初、大麻山(琴平山)だったのでちょっとかったるく、日頃から週末になると勝手に山へ走る亭主に「私も行ける山へ連れて行って!」
とお小言を頂戴しているサマンサを「あそこなら丁度良いや」と誘っていた。ところがその後色々あって4月25日(日)ナスビ平ー冠山ー
平家平縦走となった。エライ違いや〜〜〜誘ってその気になったサマンサをどうする?

4月25日(日) 香川山ウェブサイト オフ会 ナスビ平ー冠山ー平家平

 
  中七番よりナスビ平ー冠山ー平家平縦走路 略図

    この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院は発行の数値地図50000
     (地図画像)を使用したものである。(承認番号 平15総使、第634号


エントツ山軟弱部隊のコース時間
フォレスターハウス(0730h)ー林道終点(0830h)=約1時間
下部歩道入口(0830h)ー沢休憩所(0905h)   = 約 30分
沢休憩所(0910h)−ナスビ平(0930h)      =約 20分
ナスビ平(1010h)− 一ノ谷越(1100h)     =約 50分   計2h40m

一ノ谷越(1210h)− ナスビ平(1255h)      =約45分
ナスビ平(1300h)−中部歩道林道出口(1410h) =約1時間10分
林道(1410h)−フォレスターハウス(1500h)    =約50分   計2h45m


という訳でこちらはナスビ平まで御一緒という条件で参加する事にする。母思いの娘「カラミティ・ジューン」もお供で付いて来ると言う。
かくて香川里山ウェブサイト出会い系登山は4月25日05時50分高松集合で決行された。

集合場所へ行く途中、「お父さんは皆と積もる話しがあるので別の車で新居浜まで行くから、この車を運転しておくれ」と娘に言うと「お父
さん みんなと今まで会ったことあるん?」「いいや今日初めて会うのじゃぞえ」「え〜?それでよう積もる話しがあるもんじゃねえ」「そう
言やそうだ、でも積もる話はあるような気がするのだな これが・・・・」

時間通り集合場所へ行くとKAZASHIさんとKYOさんらしき人が既にいた。「里山倶楽部」の看板娘、静御前が傍に楚々として朝の風に
震えていたのですぐわかった。KYOさんは掲示板で告白するほど太った人ではなく円熟した男の風格があった。KAZASHIさんは繊細
なHPからしてもっと小柄でひ弱な人かと思っていたが、大きく一番山男の風貌で、礼儀正しい所作がまじめさをあらわしていた。

REIKOさんはまだ来ていないらしい。確かに一番近い人が一番遅く登場するものだ。車やルートの話しをしているとシルバーメタリック
のワゴン車が頭をかきながら滑り込んできた。中ならまじめそうな旦那さんと腕まくりをしたマドンナ・REIKOさんが皆を待たせた事を
恐縮しながら転がり出てきた。

 
REIKOさんを待つ一行(高松)         物より思い出 集合写真
kyoさんがネットで買った格安4WD    kazashi さんの新車セレナに乗る

kYOさんのネットで買った格安4WDで行くか、KAZAHIさんの物より思い出のセレナで行くか迷っているので私がセレナで思い出を作り
ましょうと選択を促した。高松西インターから新居浜まで積もる話しであっという間だった。最初は緊張していたのか眠たかったのか借り
てきたネコの様に黙りこくっていたREIKOさんの旦那さんも会話が進むうちに打ち解けてきた。マドンナ・REIKOを職場でゲットしたこの
控えめで理知的な紳士は、なるほど怒涛の金融界で渡り合っている落ち着きがあり、こういう人が実は壇ノ浦や関が原の合戦でもしぶ
とく生き残り子孫にDNAを残す真の日本男児なのだ。でも日曜日の朝は寝起きが悪いようでした。(確かに5時50分集合はキツイ)

エントツ山の故郷「新居浜」に着いてまずする事は当然「えんとつ山」と「串ヶ峰」の前で仲間と記念写真を撮る事だ。今日は珍しい程
空気が澄んでいて、銅山峰から降りてくる風がこれからの山行きの素晴しさを伝えようと皆の耳元を吹き抜ける。故郷の山々は今新緑
に包まれ、静寂の構えで私の帰りを待っていてくれた。そこから国領川沿いに鹿森ダムマイントピア別子を過ぎるとクネクネ曲がっ
た山道となる。後ろを見るとKAZASHI優良ドライバーの運転するセレナはゆっくりと慎重な運転でついて来る。これなら車に酔うことも
ないだろう。

 
フォレスターハウス前は既に車が一杯 住友フォレスターハウスにて 皆元気

大永山トンネルを抜け、住友フォレスターハウスに着くともう車は一杯で、やっと道端に車2台を停めるスペースを見つける。「萩生の
森」さんは川沿いの登山道を行ったらしいが数日前に行った「高嶺フラワーズ」は川沿いの道は橋が壊れているから通れないと管理人
さんに言われたそうだ。「KAZASHI」さんは初めて参加するREIKOさん夫婦を川沿いの素晴しい登山道から案内するつもりらしいが、
ほぼ無理だろう。

フォレスターハウスへ渡る橋へ来ると案の定「腕章」をつけた管理人さんが道まで出てきた。「ここは私有地だから入山届に記帳する
ように」と注意喚起。道をそれる人にも行き先を聞いて「入山届」を繰り返す。特に悪人という訳ではない。どちらかと言うと善人である。

でも管理を任されている立場からか、この人ほど評価が分かれる人も珍しい。いい人とそうでない人のと境目はほんのちょっとした事
なのだ。そのほんのちょっとした事が原因で良い印象を持ったり嫌な思いをする人が多いのも事実で、ここでは道を間違える人が続出
している。管理人さんは登山者のマナーが悪くなったと嘆く。それはそれとして「記帳」までさせて私有地に入山を許可するのであれば、
住友林業株式会社はもっと親切な標識を立てるべきだと思う。

 
住友フォレスターハウス裏に進む      広い未舗装林道を歩く

予想通り山と渓谷社のガイドブックに載っている川沿いの登山道は「橋が壊れているから通れない」と言う。フォレスターハウス裏
の白樺並木を抜けて奥七番川沿いに進むと、橋に大きな杉の枝を被せて通れない様にしている。橋は壊れてはいない。子供だまし
のカモフラージュに失望しながらも団体行動の責任上「KAZASHI」隊長も通行止めの看板を無視して皆を先には進ませられない。

仕方なく大永山トンネル付近から続く未舗装林道に向かって急坂を登り、丁度良い準備運動をする。林道に出たところから鉄塔巡
回路が上に伸びており、ここが良く間違う所なのだ。KYOさんも以前これを上がったと言う。かく言うエントツ山も数年前に初めてこの
地に来たときフォレスターハウスの管理人さんから「材木の切り出しをしているからそことそことその道は通ったらイカンよ」といわれて
この林道に出た所、大型トラックとユンボで木材の搬出作業をしており林道が通れない状態だった。これが通ったらイカン場所か・・
と思い同じように鉄塔巡回路に上がり一日中山の中を彷徨った苦い経験がある。

 
 REIKO家の朝ごはん風景      林道にも岩盤を水が落ちている箇所がある

林道に上がって気がついたのだが、最後に集合場所へ滑り込んできたREIKOさん夫婦は車の中でも何も食べていない様子だった。
聞くとやはり朝食抜きだった。「どうぞ遠慮なく」と言うと行儀の良いREIKO'S ハズは女性が着替えをするがごとく隠れるようにして
朝食を摂っている。いい人に違いない。

KYOさんはさすが営業畑の人と見えて私やKAZASHIさんに実にそつなく話しかけてくれる。静御前はあくまで上品で物静かだ。この
人が「踊るさんま御殿」をみて笑い転げている様を見てみたいものだ。

林道は一人だと退屈だが、広いお陰で皆並んで歩く事が出来、積もる話の続きをしながらゆっくり歩いた。我が家の部隊もまだ元気
で女性達は「私が一番足を引っ張るでしょう」「いや 私こそ」と謙遜し合っている。道端にはタチツボスミレが咲き、沢部では大きな
岩盤の上から水が落ちてこの山系の水の豊かさを物語っている。ここではありふれた谷の風景だがこんなのが香川にあろうものなら
もう名所になっている事だろう。

  
林道には杉の木が横倒しにされていた  林道終点 (ここから中部歩道に入る)

林道の真ん中に大きな杉が何本も横倒しにされている。何の目的かわからない。林道が終わり昔の中持ち道(中部歩道)に入ろう
とすると、「そちらは通行止めで行けませんよ」と後から来る男性登山者から声がかかった。そんなはずはないんだけど・・・ここも団体
登山の責任上、沢へ降りる道を進み、途中から川沿いから来る道と合流して「下部歩道」に入る。ここでも他の登山者が道がわから
ず右往左往していた。ほんとうに何故登山者に「ナスビ平方面」の標識ひとつサービス出来ないんだろう。

でもこんな話題を「黄色いテント」まんでがん掲示板に投稿すれば「初心登山者の甘えだ」とか「私有地へ入山させてもらえるだけでも
ありがたい事」とか残置テープ論争のように色んな意見が出るだろうなあ。ANちゃんの二の舞は遠慮しておこう。

 
一旦沢沿いの道に行きかけて下部歩道に戻る  下部歩道を歩く

この下部歩道も沢道の延長で中々の景色だ。新緑が目に優しくせせらぎの音が活力をくれる。ここまでは誰が落伍者であるか傍目
には予想がつかないデッドヒートを展開する。しばらく進むと一箇所広い沢を渡る場所があり、ナスビ平には下手から入る事になる。
急坂を控え、晴天の青空にツツジが咲くこの沢は丁度良い休憩場所を登山者に提供する。

親子連れが上から下りて来たらしく誰かが「カタクリ」情報を聞いたようだ。すると眼鏡をかけた細身の男性は申し訳なさそうに「朝の
霜で全滅です・・・」とこの残酷な発言はさも自分のせいのように落胆しながら我々に通告する。一瞬の静寂の後、サマンサの視線が
このオフ会を発案した不運な隊長KAZASHIに注がれる。精悍な褐色の肌が静御前と同じくらい白くなり、体積が一割程恐縮していた。

カタクリの花を見に来てカタクリが終わっている、こういう話題は私の登山記にとって実は格好の得意ネタとして大歓迎なのだが。

  
  絶好の沢部休憩地点            娘が撮ったひどいアングル

私はそばに居た小学生の両肩を押さえながら「お父ちゃんの言った通りカタクリの花は本当になかったの?」と迫ると「本当だよ」と
言いながらこのオオカミ少年は小川の向こうに逃げていった。基本的にはインディアンと子供はウソつかない。気合を入れる為に
「誰じゃ〜今日カタクリを見に行こうと言ったのは〜〜」と大声を上げるがこの冗談は生真面目を絵に描いてその上に切手を貼った
ような性格のKAZASHI隊長を余計に落ち込まさせたかもしんない・・・。気を取り直した一行はこの沢に入った時のテンションを半分
以下に落としながらも急な登り坂を喘ぐように「ナスビ平」を目指す。

       
   見上げるような急登           誰も見えないよう  トボトボ

このあたりから我がエントツ山一家の遅れが目立つようになり、本隊にいるKYOさんとも話しが出来なくなるし、絶対自分が一番足を引っ
張ると高らかに宣言していたREIKOさんまでもがはるか彼方に隠れてしまった。すると前方からどよめきが起こりナスビ平に着いた気配
がした。本隊に追いついて、KAZASHI隊長の血色が回復している所をみると、どうもカタクリの花が咲いているようだ。

     
      ナスビ平で霜を耐えて待っていた けなげなカタクリの花

駐車場のバスや車の数からして相当ナスビ平が混雑していると思いきや、意外と静かだった。カタクリ群生地にはロープが張られ3倍
ズームではいい花をいい角度で撮る事は困難だった。以前秋の季節にきたので想像していたよりも沢山群生していた。我が隊はここ
までのつもりなのでゆっくり休憩して写真を取り合い軽い食事とする。KAZASHIさんを見ると今や余裕の表情で何処から見てもたくましい
隊長に復活していた。彼は大柄だが神経が細やかで人なつっこく優しい。犬でいうならばセントバーナード犬のタイプだ。

    
          カタクリの繊細で愛らしい花  ナスビ平

この付近の上部では平になって石積みの後が残っている。土佐と伊予を結ぶ交通の中継所と炭焼きで栄えた中宿で「奥七番集落」と
呼ばれていた所だ。カタクリ群生地の上端部から右に谷を下がる中部歩道は江戸時代から明治にかけて「中持ち道」として沢山の人
が往来していた。今は春のカタクリと秋の紅葉の時期が賑わうのみの静かな場所となっている。

その昔、雪のちらつく夜、うら若い女性がダミ声で「ほんでの〜え〜、なすびがようけあるんじゃあ 買(こ)うてや いらのんえ〜?」と
上品な東予弁を発しながらこのあたりをさまよっていた伝説から「ナスビ平」と名づけられたらしい。

  
  KAZASHI隊長 ご苦労さん        KYOさんと静御前

  
 食べてる姿が一番いい顔REIKOさん夫婦  よくぞここまで エントツ山母子

さて半時間ほど休んだあと、皆とお別れするのも寂しいなあ・・・と思っていると「セントバーナードKAZASHI」隊長が「ここまでこられ
たら尾根まで御一緒しませんか?」と石原裕次郎がささやく様なソフトな声でエントツ山軟弱部隊に呼びかける。待ってました〜その
言葉!見ると意外と元気そうな母子。これならひょっとして冠山まで行けるかも?(結果的には大いに甘かった!)

いきなり大勢の登山客が上から高知弁を口々に叫びながら大挙してやって来た。どうやら林道から直進して中部歩道を来た部隊の
ようだ。丁度良い頃合いと出発する事に。するとすぐ上の段にもロープを張った群生地があり、その上には数は少ないがロープを張っ
ていない自生地があり、ここが一番個体写真を撮るには良い場所だ。道が左にカーブして上っていくところに、右下の沢へ下る中部
歩道
への分岐があった。

    
     ナスビ平を歩く         上部には石垣がありここから峠に進む

ここから一ノ谷越の道は左手の樹木越しに赤石山系が見え隠れして自然林のすばらしい道となる。所々に頼りない木橋や崩壊地が
あるがロープなどが設置されて命が惜しい人はまず滑落しないだろう。道端にはエンレイソウが沢山みられ、ブナの木やシャクナゲの
美しい道だ。美しい道が歩き易い道とは限らない。我がエントツ山一家は次第に遅れをとり、もう合同登山会とは言えない落伍部隊と
なっている。次から次へと登山者がやってくるのだが全てに追い抜かれる。こんな登山は初めてだ。

 
 登山道脇にたくさんあるエンレイソウ    沢付近は崩壊が進んでいる

途中、皆がこの落伍部隊がやってくるのを待ってくれていたが、これも虚しい一時の出会いですぐに私のウェブサイト山仲間は又はるか
彼方に消えてしまった。それからも「ゴボウ抜かれ」よたれ歩きは延々と続きもうこれが限度か?と思ったときに皆の暖かい出迎えがあった。

一ノ谷越に着いた。ここが目標だったが、この峠は何の見晴らしも無く笹が生い茂るだけ。「せめて尾根が見渡せる所まで行こう」と比較的
なだらかな笹道に家族を追い立てる。先刻より二人の口から日本語は消えていた。彼女らから発せられる言葉は、ため息、吐息、嘆き、
呪い、祈り、擬態語、うめき声の類(たぐ)いのみの阿修羅の世界に入っていた。

  
  しゃくなげの急登             木々の向こうには赤石山系が見える

        
           一ノ谷越  落伍前に集合写真をお願いする

  
      笹の生い茂る尾根道     チチ山方面が見える地点までやって来た
 
やっとの事で尾根の西側、チチ山、笹ヶ峰が見渡せるところまでこぎつけた。こんなに視界の良い展望はそういつも見られるものでは
ない。すばらしい眺望だ。でも疲労で魂が抜けた二人にはこの感動を受け入れるキャパシティが残っていないようでうつろな顔をしてい
る。動かざること牛のごとし 「もうダメ!」久々に二人から日本語が発せられたその場所がエントツ山一家の山サイト・オフ会終焉の地
となった。

     
              冠山への尾根道より チチ山方面

前日用意していた「非常食」を手に持って皆のいる場所に走る。冠山を望む見晴らしの良い尾根で追いつき今日のお礼を述べ、足手まとい
を連れて来た非礼を詫びる。

ひるがえって母子にも無理をさせたと詫びなければならぬ。会社でも私生活でも頭の下げ通しで最近猫背がひどくなっちゃったようだ。
笹原で記念撮影の後互いの健闘を誓って西と東に分かれる。東に進む人達にはこの縦走路の醍醐味を十二分に味わえる尾根歩きが
待っている。ほんとうにいい仲間が出来たと感謝。 さようなら〜〜〜

 
尾根にてサイト集合写真          みんな ボクを置いて行くのね

それからのエントツ山一家

急な尾根道を西に引き返すと母子は笹の中にぶっ倒れていた。ササダニが心配で慌てて二人を起こし服を払う様に指示。現状でも相当
悲惨な状態なのに、このマダニにやられるとさらに悲惨な事になる。皆と別れた場所の素晴しさを説明するとちょっとやる気を起こして100m
くらい歩く姿勢を見せるが、急坂を登る途中で案の定ギブアップ。しばらく休んで下山開始となる。稜線から見える伊予富士、桑瀬峠、寒風山
、笹ヶ峰、チチ山の姿はそこに登った記憶とともに懐かしさが入り混じって余計にその景色を美しいものにする。

      
                   伊予富士ー桑瀬峠ー寒風山

  
  冠山への急登         もう一歩も歩けましぇ〜ん 地蔵になる

冠山から南に伸びた支尾根はアケボノツツジの柔らかなピンクに包まれている。カタクリのけなげさもいいが個人的にはアケボノツツジ派だ。
冠山まで頑張れば北側の赤石山系や西側の石鎚山系が一望出来るのだが今は一刻も早く下山する事が肝要なのだ。ナスビ平までは何や
かや言ってもまだ少し余裕がありブツブツ言いながら歩く。下から登る人に「冠山まで行かれてましたか?」と聞かれ「その辺りまで行ってき
ました」と正直に答えるこの屈辱感。エントツ山軟弱一家としては200%の実力を発揮したんだが、それでも冠山には到達出来なかったのさ。

  
南に伸びる支尾根はアケボノ色に染まっている 唯一北側の展望が見られた

       
         尾根の主に挨拶をして下山
  
 ロープが掛けられた難所        吉野川の支流、銅山川の源流   

ナスビ平に着くと、中部歩道にアケボノツツジが少しあるのでそちらから下りる事にする。先に行く二人は私がカタクリの花写真を
しつこく撮っている間に「道を間違って」既に中部歩道に入り込んでいた。沢を下って登山道に入ると旧別子のように昔の住居跡を
うかがわせる平地が左右に続く。このあたりで出会う人は皆「ナスビ平は何処ですか?」「カタクリはどのあたりですか?」と質問して
くる。やはり標識が無いので相当不安なんだろう。カタクリの花を見たさに意を決して登ってくるお年寄りの為にに標識を取り付ける
太っ腹なところが無いのかなあ。このケチくささに住友の町新居浜で生まれたことが少し恥ずかしくなる。

   
 中部歩道の難所          ヒメシャラが沢山見られる中部歩道

   
中部歩道では岩盤を伝う水が涼しさと自然林が持つ保水力の豊かさを伝えてくれる

でも、前を行く姫ユリ部隊のあわれな姿を見ていると恥ずかしがってばかりもいられない。今はもう家族と言うよりは、加害者と被害者
の関係に近くなってしまったこの行軍を早く終結させたいが、中部歩道はどうも下部歩道よりも距離が長い様だ。歩いても歩いてもブル
ーライトヨコハマで中々林道に出ない。

         
            中部歩道脇に咲くアケボノツツジ

アケボノツツジが咲いていたが、木が少ない上に生憎杉の中で日当たりが悪く見栄えも悪い。山手のアケボノツツジへ支尾根を登って
見るが大したものは見当たらなかった。結局、姫ユリ部隊の気を紛らわせる材料も無く加害者の立場のまま広い林道に出た。

 
 だいぶ痛んでいる橋         やっと林道に出る        

林道から見える平家平を眺めながら、今頃本隊はどのあたりを下りているのかなと思いながら西陽に照らされる平たい笹原とそれ
から続く緑の急な傾斜を見続ける。
来るときは楽しい語らいの場であったこの広い林道も無言行進曲の彼女達にはとてつもなく長く苦しい道だったに違いない。何度か
ベソをかいて休みながら何とかフォレスターハウスに午後3時近くに帰り着いた。

 
本隊は今どのあたりかなあ       やっとこさフォレスターハウスにたどり着く

日頃から「私も山に連れてって〜」というサマンサに、私の山歩きはあなたには厳しすぎて連れて行く事は出来ないと断言していた。
そうすると最近、「KYOさんもREIKOさんも讃岐富士さんも山登さんもワイワイさんもみんな夫婦で山行ってるじゃん」とリンク仲間の
サイトもチェックして反撃するようになって来た。

「でもねえKYOさんところの静御前さんは平日お膳の前で静かに週末の山行きに向けて英気を養っているんだし、REIKOさんは
ああ見えても鼻水たらしながら3回も富士山登ってるんだよ、讃岐富士さんところのコタンの口笛さんはさあ何せ若いときからヒグマ
と闘ってるんだから鍛え方が違う、山登さんところのウラオモテヤマネコさんはありゃ大きな声では言えんけど実は本当にヤマネコ
なのよ、WAIWAIさんところのお千代さんなんかカナダ、ニュージーランドのトレッキング経験者でヤブ漕ぎ・お泊り登山の相棒って言
われてるのよ、そんな普通の人間じゃない人と張り合ってどうするの?」といくら説得しても信用しなかったのだ。

これでちょっとはコリたかな?

なにはともあれ香川山ウェブサイト第一回オフ会は脱落者が出たものの大成功のうちに無事終了した。 KAZASHI さん  
里山倶楽部のKYOさん達、 REIKOさん達 本当にお世話になりました。 エントツ山にリベンジの機会あれ!



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