平成24年1月15日

宮島(厳島)の弥山(535m)駒ヶ林(506m)  西駒ヶ林(  焼山 487m)  (広島県)


宮島 弥山(みせん)登山ルート図

厳島神社〜大聖院〜仁王門峠〜奥ノ院〜仁王門峠〜駒ヶ林〜焼山〜仁王門峠〜御山神社〜弥山〜もみじ谷


この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)を使用したものである 
(GPSトラックログ図ではありませんのでおおよそのルートです)

広島方面への用事の前にNHK平清盛で人気が出ている宮島へ寄り、以前グランマー啓子さんから聞いていた
「弥山」(みせん)を歩く事にした。宮島に弥山という山がある事をそれまで知らなかったのだ。

 
ところで弥山(みせん)とは

弥山と呼ばれている山は奈良の大峯山系、石鎚山、大山など修験道にゆかりの聖なる山につけられており、インド
古来の世界観が仏教に影響を与えた物で宇宙の中心にある「須弥山」(しゅみせん)から来ていると言われている。


じゃあ 須弥山とは?何ぞや  う〜〜ん 

       
インド世界観の全体イメージ図 (下記HPより引用)           瑠璃で出来た南の島にある人間界のイメージ図

人間の世界は風輪と水輪の上にある金輪(こんりん)部分に
乗っかった南側の島である。下の境が「金輪際」(こんりんざい)だ
須弥山の中腹を太陽や月、星が水平に回っている

      
  おおよその距離          須弥山から世界の果てまでのおおよその距離  (4図とも下のHPより引用)


宗教観に出てくる世界を具体的な図にするとなんだか嘘っぽいのがたまに傷だなあ

須弥山に関する上記の図解などが入ったやさしい仏教入門:宇宙解説のHPは ここ


宮島に渡る




10時40分宮島口駐車場から近いJRフェリーに乗り約10分程で宮島に着く。海上から大鳥居を眺めながら
料金は往復で340円と安い。
JRのフェリーは宮島の大鳥居を海側から拝めるルートを取ってくれるので嬉しい。
初めて行く宮島、厳島神社に寒さを忘れてデッキで眺める。

フェリー桟橋から人の流れに乗って右手に進むと商店街があり、みやげ物屋が並んでいる。
金比羅さんでもそう
だが同じ物を売っている店の数が多くこれで経営が成り立っていくのだろうか?
 土地柄「もみじまんじゅう」を
売る店が圧倒的に多い。


弥山を歩く前に昼食を食べようと食堂の値段表を見るがどれも高い。お好み焼き屋を探すが見つからない。何故
広島なのにここには無いのだろう? 仕方なく牡蠣(かき)はあまり好きではないが一応名物なので牡蠣丼を食
べて又人の流れに乗り、厳島神社の入り口まで進む 後からグランマー啓子さんに「あなご飯は食べましたか?」
って聞かれたがそれが名物だとは知らなかった。 牡蠣丼よりはあなご飯の方が好物だったのになあ。


厳島神社は外から十分に見る事が出来るので帰りに時間があったら入ろうかと考え、フェリー乗り場で貰った
地図を見て大聖院コースで登る事にした。

 
 宮島行きJRフェリー乗り場             大鳥居を海側から見れる航路を通ってくれる

 
   厳島神社の境内へ
進む              楠(クスノキ)で造った大鳥居 (箱枠の中に納めて自重で立っている)

 
     世界遺産が見えて来た                         厳島神社への入り口

 

大聖院〜仁王門峠 :約1時間

 
神社の裏手を進み「大聖院」へ行きここから「大聖院コース」で登る事にする。

鹿のたむろする水路を抜けて路地の正面に見える大きな屋根を目指す。鹿はかわいい動物であるが四国の山での
食害などで自分の中では猿やイノシシと共にイメージが悪い動物となってしまった。


大聖院」は厳島神社の別当寺で真言宗(空海)の御室(おむろ)派の大本山らしい。(御室派の総本山は京都
の仁和寺)豊臣秀吉が朝鮮出兵の際戦勝や航海の安全を祈願した「波切不動明王」や「十一面観音菩薩」、明治天皇
の御幸御宿などで有名である。


空海が唐から持ち帰った真言密教も時代と共に後継者の解釈や実践の違いにより他に醍醐派、大覚寺派、東寺派、
善通寺派など48派にも分かれている。 つまり宗教とは1つの絶対真理では無く、人間の発想・希望・必要など
に基づいて作り上げたものであるという証明なのかも知れない。

ちなみに笹ヶ峰の石鉄大権現を祭る「正法寺」(しょうほうじ)もこの真言宗御室派である。寺院に似つかわしく
ない
派手な幕が飾られた仁王門を潜り般若心経が刻んである摩尼(マニ)車がついた手摺のある石段を上がりお参り
を済ませる。


急な石段の左手には鐘つき堂があり、奥には訳の良くわからない色んな仏様が祀られている。出来るだけ小額の小銭
をポケットから探してお参りする。 え? 私だけ〜〜?


 
    大聖院への参道は雰囲気が良い                    大聖院の本堂へ進む   

  
     五色幕の仏旗が飾られた仁王門           スリランカの世界仏教徒連盟(WFB)で採択された「国際仏旗」

仏旗(ぶっき)とは

お寺の山門などに掲げられている派手な色の垂れ幕や旗がある。右の旗はこれは仏旗(ぶっき)と呼ばれ1950年に
スリランカで行われた第1回世界仏教会議にて国際仏旗として採択された。なんかようわからんけど『小部経典』という
お経の中に仏陀がその優れた力を働かせる時、その体から青、黄、赤、白、樺及び輝きの六色の光を放つという謂われ
から5色が使われているらしい。右側の縦5列はそれらを総合した光の色という訳じゃろか。

真言宗である大聖院仁王門の五色幕は樺(橙色)の代わりに緑が入っている。この配色は五智如来の色と言われ5つの
智慧を現す色であるらしい。チベットのタルチョと同じ配色であるので密教とチベット仏教の共通点があるのかも。
ちなみに七夕の「五色の短冊」の色は青、赤、白、黒、黄の5色でこれは中国の五行思想から来ている。

普段何気なく見ている旗や垂れ幕にも奥が深いものがある。


さて、いよいよ登山開始とするか〜〜
お寺の入り口まで一端下りて、あまり水の無い白糸川の右岸に沿って続く大聖院登山道を11時58分出発。

白糸川は平成17年の台風14号で大規模な土石流災害が発生し4年間復旧工事の為登山道は通行止めだったらしい。
景観に配慮した渓流砂防工事で大きな四角い石が飛び石の様に配置されている。


登山道は金比羅さんもびっくりの天にも登る様な石段が延々と続く。途中で橋を渡り土石流の名残を留める大岩盤「白糸
の滝」を左に眺めながら急な石段を登る。


12時20分展望所の東屋があり厳島神社の大鳥居が眺められる。さらに橋を渡り右岸を進むと12時45分石積みの
ダムがあり、その上が賽の河原だろうか。
そこから又右手に沢を渡る。

12時55分 仁王門跡が左上に残る峠に着いた。私の様な普段着の遊歩者に混じって登山装備のグループが結構いる。
仲間とはぐれたらしくしきりに携帯電話で連絡を取り合っていた。


 
    大聖院を右手に見ながら進む                よく整備された登山道だ

 
   正面に白糸の滝らしい岩盤が見えてくる           え〜〜 これって滝と言えるの?

 
    こりゃキツイ石段の登りじゃわ             アベックに遠慮しながら下界をみやる


フェリー乗り場、厳島神社への参道などの位置関係と地形がよくわかる

 
        花崗岩のスラブだ                   こりゃ 土石流が発生するのも無理はない


                  モダンな雰囲気がするy第一砂防堰堤

 
      堰堤の上流部を進む                  川を渡って振り返る  もうすぐ仁王門峠だ

仁王門峠〜奥の院 往復 :約 45分


さて仁王門峠で次にどちらに行こうか思案する。この際大聖院「奥の院」に寄る事にしてその標識方面から来た人
に道の様子を聞くと「ず〜〜と下って下さい」と言う。 え? 奥の院ってどこでも更に高い山奥にあるんだけど、
ここの奥の院は下っていかなかればならないのか〜


まあもう来る事がないかも知れないので奥の院を訪ねる事にする。

ドンドン石段を下ると多々良林道と合流。そのコル部に石の標識があり「左 おくのいん」という左手方角の細い
山道を進むと雰囲気の良い広場に出る。右手に赤い南天の実があり、その横に(弘法)大師堂があった。
お堂の中は整然としており、その右手奥にはお地蔵様が団体で並んでおり背後に大岩を抱いた弥山が見える。

又仁王門跡の峠まで引き返すのが憂鬱になるが、意外と帰りは早かった。途中ず〜〜と弥山方向から中高年の女性
の声が谷間に響き続けた。3人いればかしましいと言われているが更に団体になった時のオバサンたちの声は凄い。


 
       静かな奥ノ院広場                          奥ノ院大師堂

     
大師堂右奥には地蔵さんが置かれその向こうには弥山が見える  細い山道を引き返す

 
  多々良林道を少し歩き弥山分岐まで引き返す       仁王門広場までは大岩を眺めながら石段を登り返す


 

仁王門峠〜駒ヶ林〜西峰(焼山)〜仁王門峠 : 約50分

13時45分 峠に帰り次に駒ヶ林に寄る事にする。これは最悪時間切れの場合ロープウェイで下りる事が出来る
弥山部を最後に残すという考えの上にチョイスした。

最初はなだらかなトラバース道を進みやがて石段の急坂となる。途中「岩屋大師」という標識があったが、後でそちら
に行く事にして先ずは戦国三大奇襲作戦で有名な毛利元就の「厳島合戦」で敗走した陶氏の勇将弘中隆兼が討ち死に
した場所と伝えられる「駒ヶ林」(こまがばやし)へ上がる。


 
       駒ヶ林への石段                     駒ヶ林の大岩から弥山を見る


                          駒ヶ林案内板


                     厳島合戦の解説板

山頂は花崗岩の平たく丸い岩場で沢山の登山者がいた。西の外れには樹木がありそこの岩場では登山者がバーナー
で楽しげに昼食準備をしていた。
更に右奥へ進むと尾根道が下に伸びている。う〜〜ん ここを下りたかったなあ
山頂岩場に帰り
向いの弥山を眺める。

駒ヶ林を下りていると下から30〜40名程の登山者が登ってくる。は〜〜ん 彼らが先ほど奥の院の帰りにずっと
聞こえていたオバサン達か〜 登山ルックが誇らしげに見える。



                     駒ヶ林は山頂全部が岩だった

 
        登山者が昼食準備中だった             うへ〜〜 どえりゃ数の登山者がやって来た



駒ヶ林のコル部まで下りて、先ほどあった「岩屋大師」方面へ進む。駒ヶ林の南側をトラバースして西側に回りこむ
間に大岩の下にお地蔵様がある。これではないだろうと更に進むとコル部に着き、そこに大元公園方面への標識が立
っていた。


西側にもう1つ標高500m弱のピークがあり、その崖に向って踏み跡を見た瞬間、衝動的に足が向いていた。この
ピークは駒ヶ林西峰とか山火事の跡が残っているので焼山(やけたやま、やいたやま)などという俗称がある。

14時にこのピークに着くと駒ヶ林の喧噪をよそに静かな佇みをみせる。北側にやはり平たい大岩があり瀬戸内海や
広島の山が見渡される。



           駒ヶ峰西峰(焼山)から 駒ヶ林(509m)と弥山(530m)を眺める




 駒ヶ林の西側にある大岩壁  これが下から見た駒ヶ林の鋭い形を作っているyのだ


             やはり気になる厳島神社の大鳥居



瀬戸内海は2万年前の氷河期にはまだ形成されず四国と本州とは陸続きで、双方の山々から流れ出る水で湖や湿地地帯
であったらしい。それが1万年程前の地球規模の温暖化により次第に海面が上昇し始め、約6千年前=縄文時代初期に
現在の形になったと言われている。


その決め手は貝塚である。それまでの地層から出る貝塚には淡水系の貝だったのが、この頃になると海水系の貝が混在
してくるのである。
縄文人も見たこの景色をゆったりと眺めながら時の流れの侘しさを想う。

さて、藪っぽい山頂を一旦コルに下りて行くと、コル直前の岩場からは駒ヶ林の北東側に切れ落ちる大岸壁が姿を現す

コルに下りて岩屋大師を探しながら戻るが、他に特に見当たらなかったので大岩の下にある地蔵を岩屋大師と思って写真
を撮る。(後で調べると近くに別な凄い岩窟があった様だ)


 
   大元コース分岐になっているコルに帰る           岩屋大師と思って撮ったお地蔵さん

 
          長い石段を下り返す                    仁王門峠に帰る


14時30分三度目の仁王門峠に帰る。



仁王門峠〜御山神社〜弥山    約30分


やっと振り出しに帰り弥山に向う。仁王門跡には発掘現場の様に柱の基礎石が並べられていた。14時40分朱色の
鳥居が右手に見えて道が分かれている。少し進むと岩の上に三つの小さな社殿がありここが「御山(みやま)神社」で
宗像三女神(むなかたさんじょじん)、つまり市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめの
みこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)の三体の女神が祭られている。


宗像三女神」は古代大和朝廷の時代より朝鮮との海上交通安全の神としてあがめられてきた。つまりルーツは玄界灘
の海の女神様である。


杵島姫命=辺津宮(宗像市田島)、田心姫命=興津宮(沖ノ島)、湍津姫命=中津宮(筑前、大島)は朝鮮への航海
ルート上にある。
この玄界灘の女神が安全航海一般の神となり瀬戸内海、厳島神社に祀られた訳であろう。

横手から境内に入ると朱塗りの三社殿が三角形の要の位置に清楚に建っている。社殿の下側には鳥居と石段がありこちら
が本来の参拝道みたい。


 
  かつて仁王門がここに建っていたのだろうか      弥山への途中で右手に鳥居がありそれが御山神社の入り口


小ぶりのお社が三社据えられている 宗像三女神(むなかたさんじょじん)を祀る御山神社




 
        本来の境内入り口方面から            巨石があちこちに見られる


 登山道に復帰して大きな建物の左手から石段を上がり弥山山頂へと向う。巨石がたくさん現れ、その中に干満岩っての
があって穴っぽこから海水が上がってくるという。間違って前に水が溜まっていたのでこれを干満水かと思って舐めるが
ただの汚れた雨水だった。電気製品と同じく解説書はよく読まなければならないと悟る


15時丁度にやっと弥山山頂に至る。ここは写真などでよく見る景色なので巨石があっても驚かない。人工の展望所に
上がって周囲を眺める。米軍岩国基地に近いのかアメリカ人が多い。アジア系やヒスパニック系と顔は色々だが喋る会話
は生粋の米国語である。

展望台からは瀬戸内海ののどかな風景が広がり厳島神社の大鳥居も見える。伊藤博文はここからの眺めを「日本三景の一
の真価は頂上の眺めにあり」と感動したそうだがここへ来るまでに散々他の山からこの景色を見ているから慣れてしまって
あまり感動する余地は残されていなかった。


 
 大日堂への石段は地震の影響か左手が崩れていた         大日堂の左手を通って進む

  
            舟岩                        この辺りの岩はとてつもなくデカい

 
 弥山の七不思議「 干満岩 」 あまり興味なし          本家 弥山から見る厳島神社の大鳥居


            弥山展望所からストーンサークル山頂を見る



弥山山頂〜もみじ谷〜厳島神社    約1時間10分


弥山山頂に納得して正面の大岩の間を裏手に進み下山ルートに沿って下りる。石段道は最初右手に振って、その後左へ
振るとドデカイ「くぐり岩」を潜る。その下左手には又大きくよく出来た岩屋があり右手に「三鈷杵」(さんこしょう)
左手に縄を持つ蔵王権現と思われる石像があるが右足が宙に浮かせていない直立形である。
いた。



                            くぐり岩

 
      よく出来た岩屋                        片足を上げない蔵王権現(?)


その下には観音堂と文殊堂、更にその下の広場には弥山本堂、三鬼堂、聖火堂などがあり、本堂前の階段には人が座って
こっちを見ているので写真を撮らなかった。


  
鬼の神を祀る三鬼堂、福徳、智恵、降伏の徳をそなえた   弘法大師が修法を行った際の霊火が今も「消えずの火」
弥山の守護神で伊藤博文お気に入りの神様          として燃え続けているってきっと誰かが燃料を補給している
                                          

 
   これが役(えんの)行者の基本形               ロープウェイ駅の獅子岩方面が見える

15時28分ロープウェイ分岐を通りもみじ谷へと下りて行く。下からはこんな時間に・・と思われるのにカップルが
「恋人の聖地」を目指して登ってくる。(夕陽を眺めて帰りはロープウェイか〜)

弥山はパワースポットや消えずの火などをキャッチフレーズに「恋人の聖地」とされている。この「恋人の聖地プロジェ
クト」とはNPO法人地域活性化支援センターが少子化対策の活性化として観光地と連帯して全国に100か所の恋人の
聖地を選んでいるものらしい。 ロマンチックな響きの裏には少子化対策で税収アップを狙う国の政策が絡んでいたの
だった。


「もみじ谷ルート」はもみじ谷を右手にみながら花崗岩が風化した沢筋にそって下る。石段を設置しないと脆い花崗岩の
風化砂が崩壊するのだろうか、ここも大聖院ルート程ではなかったが石段が沢山あった。昭和20年の枕崎台風でこの谷
から発生した土石流で紅葉谷橋や厳島神社を埋没させた。

谷筋はほとんど常緑広葉樹が茂っており紅葉しそうな樹はあまり見られなかった。16時05分もみじ谷公園近くまで来る
と確かに紅葉の樹が植えられており橋を2つほど渡る。この辺りを縄張りにする鹿も数匹たむろしていた。

公園近くではロープウェイに乗ったお客さんにだけバスが手配されるのか多くの観光客が待っていた。バスはすぐにや
って来たが私が歩いて旅館近くに来ると同時に先ほどのバスが着いたからわざわざバスに乗る必要もない。

 
ロープウェイ「獅子岩駅」分岐 弥山原始林記念碑が立っている  このもみじ谷コースも石段が多かった

 
    もみじ谷園地に着く              やっぱり朱色の橋がかかっていた


16時22分厳島神社の入り口で値段を確認すると入場料が300円と安かったので即チケットを買って入る。ここは
世界遺産だからやはり一見の価値はあると言うものだ。

平成8年厳島神社と前面の海、背後の弥山原始林(天然記念物)の森林を含めて世界文化遺産として認定された。弥山の
原始林は確かに学術的に貴重だが歩いて見た感じはどこの瀬戸内海の島と変わらぬ風景であまり天然記念物と言われても
ピンとこない。 

しかし厳島神社の社殿と一体化した周囲の歴史的・文化的価値は確かに高いと言える。夕方になり人気(ひとけ)の少な
くなった社殿はそんな雰囲気にぴったりの場所であった。弘法大師、平清盛、毛利元就、豊臣秀吉、伊藤博文などによって
愛された厳島神社の平舞台を歩く。


 
   五重の塔                                厳島神社社殿入り口


                  朝も干潮で夕方も干潮で少し残念」

 
  干潮で近くの海岸から散歩している人がいた             潮が満ち始めて来た

大鳥居は高さ16メートル、重さは約60トン、材料は樹齢500〜600年物のクスノキらしいけど現在八代目と言うから毎回いい樹を
見つけるのに苦労したやろねえ。根本は箱の様な物を固定しその中に柱を立てて石などを詰めて立たせているらしい。


                      本殿と高舞台


     反り橋  昔、勅使が渡ってたらしいけどこれは歩きにくいぞ

 
          能舞台                     本殿には御山神社と同じく 市杵島姫(いちきしまひめ)・
                                    湍津姫(たぎつひめ)・田心姫(たごりひめ)の宗像三女神
                                    (むなかたさんじょじん)が祀られている。



     厳島神社と背後の弥山と駒ヶ林

厳島神社は神社と言っても普通のそれとは違い神殿造りの為千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)は無く、桧皮葺の屋根に瓦を
積んでいる姿は平安貴族の屋敷跡のイメージでやはり背後の山があってなおさらその姿が決まっている。

まあ見どころが多過ぎて忙しい宮島弥山ではございますが、世界遺産を見に来たら是非裏山にも登って下さいませ



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