おいでまい 香川の山へ サラリーマン週末日帰り登山エレジー
 讃岐四天王 「大川山ー竜王山」 縦走 with bicycle    

 

4月18日 サラリーマンある週末の縦走記 「大川山ー竜王山 縦走」
イヤになるほど歩きたくなって、イヤになるほど歩いてみて、歩くのがほとほとイヤになった男の長〜い一日の物語

自転車
を使ったミニ縦走は前回「讃岐五岳縦走」で既に実地済み。これに勝る「自己責任をまっとう出来る縦走スタイル」は
無いだろう。だたし条件があるんですが・・・。
まず、同じ山筋、谷筋を利用した縦走に限られる事。谷筋を大きく外すと自転車での距離が大変な事に。また帰りの自転車
による回帰を考えると自ずから低い山から高い山に向かった縦走となります。
これらの条件を満たす縦走場所は今回の「大川山ー竜王山」(香川)、権現山ー黒岳ーエビラ山ー二つ岳(愛媛)、綱付森ー
天狗塚ー西熊山ー三嶺ー白髪山(高知)あたりでしょうかか
「アイデア」は確かに現実性を念頭に置くのが原則でありますが、いざ実行してみると思わぬ試練が待ち受けている事が多い
ものなんですねえ これが。

二週間早朝から夜遅くまでぶっ続けで働いたので、4月28日は権現山から二つ岳の縦走をする予定を立てた。が、この日
も急にシンガポールから来る技師を高松空港で出迎えてホテル経由ドック中のイギリス船まで送る手配が持ち上がってしま
った。もうグレてやる!「日曜日なんかに日本に来るな〜!」 休みが無い状態にプッツンきて、使い慣れた個人タクシーに
迎えてもらい、指示は携帯電話で・・・と、電話が通信可能であろう大川山ー竜王山縦走に変更。 何かあったら? その時
はそん時! ケセラ〜セラ〜 ♪

  
 カシミール3Dによる高松空港西、鷹ノ巣山上空5,600mよりのんびり眺めた
 GPSを使用しない(持っていない)全くアバウト且つ過酷jな「大川山ー竜王山縦走路」

(自宅出発0600時ー竜王山登山口(自転車を置く)07時15分ー大川山登山口08時(仕事の為1時間待機)ー
大川山(大川寺)1000時ー真鈴峠12時30分ー立石峠14時30分ー三頭峠15時40分ー寒風越16時40分ー
竜王山三角点1700時ー 竜王山寒風越登山口17時50分ー自転車18時20分ー大川山登山口19時45分

  
            大川山ー竜王山縦走路 平面ルート図
 
 この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)を使用したものです。
    (承認番号 平15総使、第634号)

朝六時に自宅を出発。自転車は昨日から車に積んでいる。綾南から坂出ー琴南を結ぶ県道17号線に入る。
この道は「讃岐七富士」の高鉢山への道です。高鉢山を過ぎると途中「首切り峠」という実にタイムリーに
縁起の悪い標識に遭遇。「自分で休みを作るのもサラリーマンの実力ってものよ」と嘘ぶく。
内田
で国道438号線に入り徳島県境へ向かう。天気は夕方から崩れるらしいが本当にすがすがしい朝です。

   
  「げ〜 縁起の悪い峠じゃこと」     行き止まりの日開谷集落 前途多難!

大川山登山口の皆野を過ぎて牛の欄干でお馴染みの橋の下にある「行列の出来る谷川うどん」は早朝の為
客も並ばず静かな谷あいの風景でした。三頭トンネル間際を左折、明神川沿いを上流に進む。
以前竜王山へ行った時は三頭トンネルを徳島へ抜けた所で右折して徳島側からの道だったので、
香川県側から入るのは始めてです。

途中で神社があり大きな「杉の木」がある。竜王山登山口へはここを右折して橋を渡るのですが、
立派な杉に見とれて通り過ぎてしまった。結局「日開谷」集落の行き止まりの民家のおじいさんに道を聞き引き返す。
大杉分岐を右に折れ、横畑の竜王山登山口近くに7時過ぎに自転車を置いて、大川山登山口へ廻る。

 
この神社にある大杉を右に折れる         大川山 木道登山口

帰りの事を考えると、なるべく国道438号線近くに車を停めて歩くのが冷静な決断なのですが、
生憎私はそういう冷静さに欠ける性格であるが為「大川山・木道登山口」まで車を進めてしまった。

時間は8時、そろそろ成田に着いた例のシンガポール人から電話が入る頃だ。携帯電話の電波状況が良いので
登山道を進む。3度目の車道に出たところで携帯電話を見ると何と圏外! あちゃ〜。

無責任サラリーマンにも最低限守らなければならない信義と言うものがある。また電波状態を回復する地点まで下がる。
 え〜?先ほど携帯電話のディスプレーにアンテナが立ってた場所でもまだ圏外。電波は砂嵐のように廻っている。
結局出発点まで下りて電話を待つハメに。

9時まで待っても電話が無いのでプッツン・プリンの無責任サラリーマンは個人タクシーに電話を入れて
「予定の便で出迎えて、来なければ次の便まで待って頂戴」と破れかぶれで大川山頂上を目指す。
前途多難の週末日帰り縦走登山となりました。

 
 障害物レースのような木道        最後の大川神社への遊歩道

大川山登山道は木道が多く、皆さんの登山記でも良く紹介されているので省略して「どんどん」進む。
この「どんどん」登山記はリンク仲間のREIKOさんが使っていたものですが気に入ったので使わせてもらいます。
登山道には桜の花びらが散り、スミレやツツジ、タムシバ、などが咲いています。
やっと香川の里山も退屈しないで済む時期となりました。

  
  白いヤマルリソウ (?)              根性のあるスミレ

    
                大川山 新緑の息吹き

          
             終わりかけた山桜

  
  「大川山」頂上の大川神社
         運動公園近くの桜

大川神社には数組のお客さんが春の日差しをのんびり楽しんでいました。突然忘れていた携帯電話が振動し、
シンガポール人の国際便が遅れて、高松空港着も一便遅れるとの連絡が入る。
代行サラリーマン「個人タクシー」さんに電話を入れて一安心。これで彼らが高松に着く午後2時くらいまでは
山歩きに集中出来る。(電話が鳴るまでこの事をすっかり忘れていた)

カシミールの付録5万分の1地図を印刷して4ー5枚を貼り付けて「にわか地図」を作成、この程度の地図を頼りに
歩くのがアドベンチャー気分を味わえるでしょう。地図には舗装道路をヘヤピンカーブする地点から尾根道が記され
ているが、実際は未舗装の広い林道が続く。北側の2本の支尾根や、西の東山峠に伸びる尾根の位置を確認しても、
この道しか考えられない。こんな道を歩くのは大いに不満だが石ころを蹴飛ばしながらどんどん南に下がって進む。

 
 オラ こんな林道あるくのヤダ!    南側(徳島)の集落(生賀、栗林あたりか)

ホンマ 退屈極まりない進軍が続く。退屈しのぎにこちらを驚かしたトカゲに逆襲の嚇(おど)しをしかけたり、
大昔、子供の時に食べたイタドリ(新居浜ではタシッポと言ってた。)を取って食べてみたりしながら
山道に出会うのをひたすら待つ。イタドリは子供時代、塩を付けてかじったりして、太くて若い芽を「めご」と呼んで
奪い合ったものだが、高度成長、飽食時代によって毒された味覚はこの素朴な味をもはや受け付けなかった。

ところどころで尾根を少し外すので尾根筋へ出てみるが道はない。
50分くらいこのただっ広い未舗装林道を歩くと突然行き止まりとなり、左手からやっと登山道が現れた。
やはりこんな道を歩かなきゃお山に来た甲斐が無いというもの。

 
 タシッポを食べてみる すっぱい〜  林道が切れてやっと尾根登山道に   

 
 初めての標識(大川山ー真鈴峠)    あれ〜 又林道に出たよ〜

やっとたどり着いたこの涼しい登山道を45分くらい歩くと又林道に出てしまった。「大川ー真鈴林道」とある。
後から2万5千分の1地図で確認すると徳島方面からこの尾根筋を真鈴まで続いていた。

この林道から大川山を振り返ると随分歩いて遠ざかって来たのがわかる。一方目指す竜王山ときたら
気の遠くなるような遠くに電波塔が霞んでいる。げ〜あんな所まで歩いて行くのかよ〜 覚悟の上なんだけど・・・

 
 大川山はず〜と遠ざかる        竜王山はもっと遠い(一番奥の峰筋)

 
 林道横にあった城村神社         あちゃ〜 舗装道路に出た

「こんな事ならマウンテンバイクで乗り込めばよかった」とブツブツ言っていると、林道から舗装道路に出た。
標識を見ると「大川・真鈴」とある。尾根筋へ向かって進むと家族連れの自動車が来たので竜王山尾根道方面を聞く。

「真鈴峠から徳島方面でしょう」と言う。峠らしい場所を左に折れると「真鈴峠」の大きな標識があった。
時間は12時30分。水田の少ない徳島側から香川の田植えシーズンにこの峠を通って貸し出された牛が
香川県の農家にこき使われやせ細り、米や塩、干魚を背負ってこの峠を徳島に帰って行った「借耕牛」の歴史が
記されていた。(こりゃ徳島の人が作った看板に違いない)

 
 借耕牛の説明がある真鈴峠        吉野川まで出ちゃったよ〜

      
       吉野川、阿波の山をバックに見事に調和するネギと菜の花畑

      
     なだらかな斜面を利用した畑が吉野川まで続く仁良根、滝の奥付近

真鈴峠を徳島側に進むとしばらくして吉野川が眼下に姿を見せた。思えば遠くに来たもんだ。
このあたりは道が輻輳していてわかりにくい。なるべく山沿いの道を選んで歩く事に。

尾根に出たいので農家の人に声をかけるが「尾根に出るにはこの下の道を進みなさい」と言う。
その後も庭先で家族総出で農作業しているのをお邪魔して聞くが、「すぐ上の尾根には道は無いからもう少し進みなさい」
と言われた。結局、峠らしき場所に出ると立派な道路標識があり「土器川源流の碑」があった。
何で徳島県側なの?と不思議に思うがこんな立派な碑があるからにはそれ相応の根拠があるのでしょう。

すぐ横のビニールハウスで草焼きをしているおじさんに同じ質問を繰り返すが、やはり尾根に行くにはあの白く光った
舗装道路を行きなさいと言う。

もう辛抱しきれず、おじさんの姿が見えなくなったところで谷筋から無理をすれば登れそうだったので
ここから尾根に取り付く。先ほどから水が残り少なくなり一抹の不安を覚えていました。

日陰のない林道をしこたま歩いてきたので普段より水の消費量が多く、用意してきた3本のペットボトルは1本、
それも半分しか残っていません。土器川源流から染み出す水はペットボトルに掬い入れるにはあまりにも薄すぎた
ようでしたが、この尾根への道なき道を駆け上がったときには無理をしても採水しておくべきだったと後悔しました。

 
 土器川源流の碑           途中から尾根道を目指す(滝の奥集落か?)

 
 滝の奥ー三頭越標識があった     立石峠(ここから竜王山まで6キロもある)
 
尾根へ取り付いた最初の涸れ谷は、切り出した杉が乱れて手こずりましたが、そのあとは幼木の植林地帯を
通れる道を探しながら尾根を目指す。 

あった! ちゃんと立派な尾根道が。嬉しくなって暫く歩くと「滝の奥ー三頭越」の標識と出会う。
尾根道の木々には若葉が生い茂り涼しい木陰を提供してくれました。むふっ 完璧! 
残りすくない水を大事に一口ずつ含みながら「どんどん」あるくと立石峠という場所に着いた。
標識を見ると何と「三頭越」までまだ2,850mもあるではないか! ぞ〜

この付近はモトクロス・バイクの練習場となっておりたくさんのバイクが集合していた。
アイスクリーム屋とか飲料水出店がないか目を凝らすが当然そんなものは実在しない。
ジャンルの違う連中から水を貰うのも気が引けてガマンの子となる。

尾根道に入った時からチェーンソーのような甲高いエンジン音がこだましていたが、このモトクロス・バイクの
エンジン音だったのか。いきなり登山道の前から2台のモトクロス・バイクが走って来た。何じゃ〜 こりゃ〜 
ここはモトクロス・コースかい? おまけに泥水のハザードまで登山道に作っている。後ろは小学生で
「こんにちわ」と挨拶をした礼儀正しい親子だった。許そう!。

登山道のすぐ横にあるコースでは、けたたましいエンジン音を周りの山中に振りまきながら一心不乱に疾走している。
これが香川の県境尾根道の現実ですか。

 
登山道からモトクロス・バイクが      尾根道すぐ横のモトクロス・コース

別にモトクロス・バイクを毛嫌いする訳ではないが、耳障りな音から逃れる為に「どんどん」先に進む。
実際どんな世界も道を究めるとすごいもので、あのモトクロス・バイクで岩山を登り下りするテクニックを見せられると
充分尊敬に値する。
喉が渇いたのでナップサックを開けて、空になったペットボトルの残りをなめる。サバイバルと言ってもサボテンは
生えていないし、自分のおしっこなど死んでもゴメンだ。四分の一になってしまった500mlペットボトルを死守しながら
行軍は続く。

徳島側の「中野」と香川側の柾木(明神川がカーブする地点)を結ぶ「柾木分岐」を越え、
やっと「三頭越」に午後3時40分到着。

なんとも言えない歴史を感じさせるいいムードの峠です。徳島県側から来る道側に鳥居さんがあり両サイドに
これまた愛嬌のあるお地蔵さんが向き合っている。

峠もこんな場所ならゆっくりと越しを下ろして休憩できそうですが、標識を見ると「寒風越」まで更に2,400mとある。
むむっ 明日も元気に仕事に励まなければならぬ宿命を持つこのサラリーマン週末山岳民族は、
体から水分が無くなった兆候を感じて歩みの速度を極端に落とす。

 出来るだけ湿った感じのするパンを頬張ってみるが、口の中でパンを焼く前の状態になったまま飲み込めず吐き出す。
表面にある油分で乾いた唇がリップクリーム効果を発揮してちょっと気分が和らぐ。

 
     柾木分岐              三頭越の鳥居さん (徳島県側から撮影)

  
女性と男性の一対に向かい合ったお地蔵さん    新緑の尾根道が続く

里山倶楽部のkyoさんもつい4月11日沢伝いにこの近辺を歩かれていたようで、一対のお地蔵さん、
垂れ乳の柔和な女仏は天宇受売命(あめのうずめのみこと)、猿顔の男仏は猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)と
呼ぶ江戸時代末期に据えられたとの事です。

もう一度ナップサックを探っていた時に気が付いた。車から出るときに小型懐中電灯とデジカメ電池を近くにあった
ポーチに入れてナップサックの小さなポケットに放り込んでいたが、チャックが半開きになっていて紛失。
よっぽど懐中電灯とは縁が無いと見える。メモリースティックはデジカメのポケットに収納していたから良かった。
(名刺をポーチに入れていたので大川山あたりで落としたらひょっとして誰かが拾ってくれるかも・・・)
すると月曜日に会社へ高松のKさんから電話が入って大川山で拾ってくれたとの事。ありがとうございました。
縁の無いと諦めていた発光ダイオード小型懐中電灯がお陰で手元に帰ってきました。ちゃんとビニールクッションに
入れて送って頂きました。

さて寒風越までの水の無い道のりが続く。結構登りがきつく無我の境地で「どんどん」歩く。
200mごとに減っていく標識の距離に励まされてやっとこさ寒風越に到着!ここから登山口の横畑まで
1,750mの下りを残すのみ。その前に竜王峠にある「竜王山一等三角点」までは行かないと縦走は完結しない。

この残り600mが急登で参りました。午後5時「竜王山一等三角点」で記念撮影。標高1,012.9mの三角点の
すぐ隣には「鳴門岳友会」の白いポールが立っている。ここでポーズを取る元気がまだ残っている。

でも、もうあの阿波竜王山展望台やましてや讃岐竜王山へ行く水分が体内に残されてはいないようだ。
ヨロヨロしながらこの急坂を下り、寒風越より自転車と再会をめざして横畑へと「どんどん」(ヘロヘロ)進む。

 
  寒風越 ここから明神川へと下りる  竜王山 一等三角点に到着だい!

落ち葉がふかふかのこの登山道は秋がキレイだろう。ツツジの柔らかいピンクが自暴自棄の野生動物になろうとする私に
人間性を呼び戻してくれる。すると癒しの水場が現れた。明神川の大杉分岐から横畑に延びる支流の源流近くだろう。

その場に座り込んで顔を洗い、頭から冷たい水をかぶる。「命の源」はゆっくりともう少し上流の岩から落ちてくる場所で
頂く事にした。人間は無くならないとその価値を実感しにくい欠点を持つ。

 
 新緑をバックに美しいツツジのピンク  ペットボトルに「命の源」を分けてもらう

寒風越登山口に午後5時50分に下り付いた。命の源により完全復活したサラリーマンは自転車を探す。
あちこち歩くがそれらしい場所がない? 道を登りきるが民家でそれは切れている。
畑にいたおじいさんにこのあたりの登山口を確かめるがもう一つ要領を得ない。諦めて道を下ることに。
「日が暮れるから気をつけて」と暖かい言葉を頂戴する。

小さな神社まで下りると、右上に向かって別の道があり、標識に竜王山登山口600mとある。
これじゃ〜 600m競歩コースを登ると午後6時20分我が自転車と再会!一緒に置いてあった油を差して軽快に下る。
この単純な男からは鼻歌まで飛び出す始末だ。

琴南道の駅で自動販売機に寄り、今度は人間の手により加工された「命の源」を補給する。
大川山登山口へ分岐する皆野の駐在所角までは風になる。でもここからの登りになると坂道をこぐ大腿筋に
乳酸を駆逐するだけの酸素が巡らないようだ。

真っ暗になった山道を何とも評価に苦しむ長い一日の出来事を追憶しながら、又所々から遠くに見える丸亀方面の
町灯かりに郷愁を覚えながら自転車を押し続け、午後7時45分自転車はナディアに無事収納された。

  
主人の帰りを待っていた自転車(竜王山)    自転車を収納 (大川山)   

振り返ってみれば、この大川山ー竜王山縦走はマウンテンバイクで行うのが一番理にかなっているような気がする。実際広い林道を歩く価値は低いし、尾根道でさえマウンテンバイクで走行十分可能だった。(でもモトクロス・バイクの尾根道走行は遠慮しようね)
自転車を使った縦走スタイルは確かにグッド・アイデアであると確証できた山行きであった。





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