エントツ山 第7憩所
一冊の本 「赤石の四季」 伊藤玉男 著

伊藤玉男さんを偲ぶ 一冊の本 「赤石の四季」 発行所 銅山峰ヒュッテ

     

私がいつも傍に置いている思い出深い本がある。銅山峰ヒュッテの管理人伊藤玉男さんの著書「赤石の四季」である。
この本を書かれた伊藤玉男さんが平成16年6月に御病気の為御他界された事を昨日7月12日HP仲間「くろもじ」さんの掲示板を
通じて知りました。

この本を知るきっかけは、私が恋した新居浜上部地区から端正かつ雄々しくそびえる大女の肩「串ヶ峰」の名前を新居浜のヤブ漕ぎ
同志「ヤブ漕ぎ大将T]さんから「伊藤玉男さんの著書に出ています」と教えられた事でした。詳しくは拙者HP 望郷編に収録

早速、この本を購入し読みふけりました。
この本は赤石山系を別子銅山の歴史、地質、気象、動植物、岩場・渓谷、登山コースと実にわかりやすい解説で紹介してくれて
いました。
この中の縦走コース編に「山頂(物住の頭=ものずみのあたま)から南の尾根に分け入った踏み跡がある。今は荒れ放題だが
上兜を経て串ヶ峰経由で窓の滝方面へ下りることは可能だ」とここに串ヶ峰について記されていた。

さらに巻末には赤石山系ガイドマップが付録として付いており、西は大永山、東は小箱越まで尾根や川を昔ながらの呼び名を
使って記されていました。 その中に物住の頭から上兜に続く稜線の先に「串ヶ峰」の名を見つける事が出来たときの喜びは今
でも忘れません。

    
    赤石の四季 巻末付録 赤石山系ガイドマップより 串ヶ峰

この本で串ヶ峰の名前を確信できた私は山頂に標識を立てる事になるのですが、依然伊藤玉男さんとはお会いする機会が
ありませんでした。理由は私の登山経験の無さでした。もう少し銅山峰・赤石山系を歩いて経験を積んでからでないと伊藤さん
とこのあたりの山について深いお話をする自信が無かったのです。でも時は待ってはくれませんでした。

伊藤玉男さんは大正14年西条市の生まれで昭和21年住友鉱山別子工業所に入社し、そこを退職された昭和38年に銅山峰
ヒュッテ
を開設されました。以来赤石山系の自然保護とその紹介に活躍され、特に「憧山(どうざん)会」の会長として銅山峰の
ツガザクラ保護に尽力されました。
著書の中でもツガザクラは地中の酸素が必要な為、登山者が踏み固めると枯れてしまう恐れがあると述べられており、憧山会
・ロータリークラブの仲間でその保護の為銅山峰に杭700本ロープ3000mを敷設されました。

そのほか山とは山頂を言うのではなくその山域全体を指す。東赤石は古くは赤太郎尾と呼ばれ、赤太郎尾の東側は「峨蔵山」、
銅山峰は西山、銅山越、東山一帯(角石原を含めて)を指す・・・・とか色々勉強させて頂きました。

最後にこの本のあとがきから一説を引用してご冥福をお祈り申し上げます

「筆者が銅山峰の嶺北角石原に山小屋を造改築して住み着いたのは昭和38年12月だった。以来山守り稼業をおこなっている
が、山の中にはいくら汲めども尽きない何かがある。それは木であったり花であったり、あるいは獣であったり鳥であったり、小屋
を揺さぶるやまじ風であったり森羅万象すべてに人智の及ばない何かがある。それを称して自然というのだろうが、その自然に
対して今日の自分と36年前の自分を比べてみて少しも変ったところがない・・・ 中略・・・

考えさせられているのは、いくら経験を積んでも人間は自然の中の一構成員に過ぎないという事だ。・・・中略

木を植えただけでは森が生まれない。本当の森には土の中も含めて種々な生物が共存する社会が醸成されなければならない
ことを別子銅山100年の緑化史からうかがい知れる。私の住む角石原あたりは100年近くかかって自然が自ら生きられる生態
を回復したのである。これからもまだ山守りが続くが、仲間と共に赤石の自然の大切さを訴え続けてゆきたいと考えている」





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