平成20年11月22日 チチ山北面の「炭の道」を歩く

大永山トンネル口―獅子舞の鼻―チチ山の別れー笹ヶ峰―西山越―炭の道―舟窪―大永山トンネル


「炭の道」 第3弾 笹ヶ峰・西山越からチチ山北面「炭の道」を舟窪まで


この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)を使用したものである 

カシミールソフトを使ったGPSトラック・ログ図
大永山トンネル南口 0750h ー土山越 0820h − 舟窪 0840h − 獅子舞の鼻 0915h −チチ山の別れ 1030h
笹ヶ峰山頂 1140h − 西山越 1240h−中央尾根分岐 1410h − 舟窪 1610h −大永山トンネル南口 1645h

社内ウォーキング中で歩行数を伸ばす為ロング歩きをマーシーさんに相談の所、それならと笹ヶ峰から炭の道を
歩く事にする。

マーシーさんと四国中央市で合流。法皇トンネルから旧別子山村を銅山川に沿って大永山トンネル南口に到る。
数日前の寒波で一旦は雪山になったが、その後寒波が緩み山の雪が消えたと聞いていた。

しかし周りの山々を眺めると前日里に降った雨は、山では雪を降らせた様で今年初めての雪山が楽しめそうだ。
大永山トンネルに着くと天気がすこぶる良い。稜線を見上げると霧氷で白く輝いている。


当初、先に炭の道を歩き笹ヶ峰からチチ山縦走路を帰る予定だったが、霧氷の山歩きを確実に保証する為、先ず
チチ山の別れまで登る事に変更。

大永山トンネル口を少し西に入り、すぐに右手の山道に取り付く。赤石山系から笹ヶ峰の縦走路、土山越に着くと
辺りは雪景色となり、今年初めての雪山にうきうきする。

馬道の別れを通り、舟窪=炭の道(馬道)との分岐点まで進む。帰りは西山越からチチ山北面「炭の道」を経由
してここに帰ってくるのだ。


 
      大永山トンネル南口                           笹ヶ峰縦走路

    
  舟窪 (炭の道分岐) ここから尾根道へ           枝の先の霧氷が朝日に輝く

舟窪を尾根道に折り返すと、ここからは冬には厳しい急登となる。幸いに雪質がサラサラしており歩きやすい。
キツい傾斜に喘ぎながらも深雪を踏む喜びと、頭上の木々を朝日に輝かせる霧氷、その間から後方には赤石山系、
右手には沓掛山が見えてそれが急登を歩く楽しみをさえもたらす。


ブナ峠に着くと更に雪の量は増えて、緩やかな斜面を柔らかく包む。
中央に威厳を持ってデンと構えるブナ太郎の右、左にはブナ次郎、ブナ三郎、ブナ四郎、ブナ五郎達が多少
やんちゃな姿で控えている。

ブナ峠で、そのうち歩くであろう東に伸びる稜線を確認しながら、右手の細尾根に回り込む。

   
       雪が斜面を柔らかく包む                    ブナ峠のやんちゃ坊主 ブナ三郎

    
                     ブナ太郎 (手前)   と    ブナ次郎 (奥)


                      ブナ太郎の胴回り

眼前が開けると09時15分「獅子舞の鼻」と呼ばれる三角点に到着。丁度登山口から1時間半弱かかった。
前面にチチ山の別れが白い壁となって尾根から競(せ)り上がっており、その右手に実にいい形をしたチチ山
が続く。ここから見上げるチチ山は国領川の源流付近、鈴尾谷や土山谷から圧倒的な傾斜を持って立ち上がって
おりその姿は名峰の風格さえ感じさせる。

ここで初めてザックを下ろして休憩を取る。振り返ると潅木の上に西赤石から二ッ岳の懐かしい赤石山系が続く。

山を眺めるとき、あの山を歩いたと言う実績がその風景を一層親しみ深いものとする。やがて左手に見える冠山
や平家平も又同じ思いで眺める事になる。

だから多くの山を歩けば歩く程、眺める景色への思い入れが違ってくるという訳である。


 
       獅子舞の鼻から見るチチ山の別れ(中央)とチチ山(右)

 
       獅子舞の鼻                  尾根道

 
      獅子舞の鼻から赤石山系              チチ山山塊

  
 
            北斜面から見上げる名峰 チチ山

さて、ここから細尾根を経由してチチ山の別れまでが冬場の正念場である。

事実、雪が深いとさしたる距離とは思えない獅子舞の鼻からチチ山の別れが遥か遠い目標となり、到達する事
さえおぼつかなくなるのだ。

細尾根が終了した付け根からチチ山の別れに到る登山道は登山靴や雨水などによって深くえぐられ、雪が無く
ても歩きづらい。雪が降れば降ったで今度は滑って往生する。

藪では常に先行するマーシーさんも、久しぶりの山歩きの為か遅れて付いて来る。一足先にチチ山の別れに着
いて周りの風景を楽しむ。


 
赤石山系をバックに這い上がってくるマーシーさん          平家平 と 冠山


黒森山から新居浜に下がる「シャクナゲの尾」(左奥)  なんかサウンド・オブ・ミュージックの舞台みたいやなあ


 
         チチ山の別れ                      チチ山の別れ北面

 
         チチ山の別れにて                       バックは瀬戸内海じゃ〜 

この石鎚山系の主稜を北(愛媛側)と南(高知側)に真っ二つに分岐するチチ山の別れから、振り返れば銅山峰
より続く赤石山系の故里の山々、新居浜の町、瀬戸内海。東側には高知県側へと伸びて行くトップバッター冠山
・平家平の名コンビ、これから歩く西側にはチチ山稜線が北斜面に霧氷を抱えて待ち受けている。

斜めになって歩きにくいチチ山南側のトラバース道を進んでいると、単独の男性が休憩中で、今日初めて会う
人間に懐かしくなり少し立ち話をする。

この方は新居浜在住の十瓶さんで笹ヶ峰南斜面を這い上がり、一ノ谷越から林道大座礼線へ下りて周回している
途中だった。友達に炭の道を歩いている人がいると言う。私のHPを知っていると言うので一緒に記念撮影を
お願いする。


 
     同郷の十瓶さんと会う                      チチ山トラバース道をモミジ谷へ

左手に雪を被った寒風山と伊予富士が角度を変えながらついて来る。次第に笹ヶ峰も姿を現して来るが、チチ山
付近から見る笹ヶ峰は石鎚山系には珍しく丸くボリューム満点でまるで巨大な鯨の背中の様に見える。ちょうど
天狗塚からみる牛ノ背の如く・・・

モミジ谷のコルに着くと、北側へ下がりたい誘惑に駆られるがここは我慢して笹ヶ峰のピークを目指す。

冬の笹ヶ峰はどこから山頂を目指しても心が躍る。山頂付近を覆うコメツツジが霧氷をまとってカリフラワー
の様に?・・・否 純白の海底珊瑚の様に美しい風景を作り出し、西には西黒森、瓶ヶ森、その後ろに石鎚山、
南にはなだらかな南尾根の右手に縦走路から立ち上がる寒風山・伊予富士、 東にはチチ山を挟んで右手に冠山
・平家平、左手に赤石山系、風が吹き上がる北側には沓掛山と黒森山、その向うに穏やかな瀬戸内海としまなみ
海道が霞む。


 
          丸っこい笹ヶ峰                   V字型の谷になっている笹ヶ峰東口 (正面はチチ山)

 
                 モモジ谷分岐方面から見るチチ山

この大パノラマを見る絶好の日和というのに笹ヶ峰の山頂は色気のないイノシシ2匹のみだ。一体どう
なっとるんじゃ 四国の山岳界は!! 
「山頂を独り占め〜」なんて負け惜しみ的な慣用句はあまり好きではない。どちらかと言えば「あ〜〜
一人で見るのは勿体無い この景色」とか 「一人ぼっちじゃ寂しいよ〜〜」と叫ぶ方が自分に正直かも。

そんな事をブヒブヒ呟きながら、北風ピープーを避けるため南側の岩陰に入って昼食を取っていると、
やって来ましたがな・・・ ご夫婦と5〜6人の男性パーティが。

山頂標識ポールと石土蔵王大権現の石組みに付くエビの尻尾も中途半端なので、この特等席をご夫婦に譲
って先に進む事にする。



            チチ山も笹ヶ峰も南斜面は比較的なだらかになっている。

 
      北側に見える沓掛山                      なだらかな笹ヶ峰山頂への道

 
       霧氷越しのチチ山                           コメツツジの霧氷

 
       笹ヶ峰山頂に着く                           石土蔵王権現が鎮座する石組み

 
山頂ポールのエビフリャーは出来上がっていなかった           赤石山系をバックに

笹ヶ峰の北面にはやはり雪が相当残っていたが、返って歩きやすく滑るように丸山荘に下り付いた。今年の初めに
マーシーさんとやって来た時は大変じゃった。2月10日の壮絶な笹ヶ峰を二人で思い出しながら北斜面を下りた。

 
  今年2月10日の笹ヶ峰山頂標識        同じく2月10日 石土蔵王権現の石組み

  
  今年2月10日 笹ヶ峰北斜面 壮絶なラッセル マーシーとエントツ山(ひとなさん 撮影)



  笹ヶ峰の霧氷と石鎚 (正面に西黒森と瓶ヶ森、 その奥に石鎚山   左奥に手箱・筒上・黒岩が顔を出す)

  
        笹ヶ峰 北口                        沓掛山の雪は南の日差しで融けている



     笹ヶ峰北斜面コースのシンボル樹    奥に石鎚が見える

丸山荘の庭にあるソーラーパネルを過ぎて二股を右手の沓掛山方面へと進む。ブナの木に見送られて歩くと
程なく西山越へ到着した。


 
      やはり北斜面には雪が多い                  丸山荘の前を通過


  
       沓掛道のブナ                    西山越十字分岐  左は宿、正面は沓掛山、右が舟窪に至る炭の道

別子銅山の木材や炭の中継地であった宿(しゅく)からこの西山越まで続く馬道がこの峠からいよいよチチ山の
北斜面をグルグルと巡り銅山峰の南側にある溶鉱炉まで続くのである。「馬道」とか「炭の道」とか言っても明治
30年の大崩壊以後使われていない代物道でおまけにチチ山北斜面は雪で真っ白け。

別子銅山 「炭の道」とは ?

ここで「炭の道」とは何ぞや?という説明を少ししておかなければ、こんな代物道をわざわざ歩く意義が薄れる
と言うもの。。
土山越から笹ヶ峰縦走路を歩いていると舟窪分岐の手前で「馬道の別れ
という標識がある。この「馬道」がすなわち
「炭の道」と呼ばれている。要するに馬で炭などを運んだ道って事。

あのね そもそも別子銅山で銅鉱石を掘り出してもさあ? 色んな不純物が含まれているので精錬しなくては
価値がない訳よ。
話はここから始めなければならないのよね 面倒なの わかる? (以上 桃井かおり風)

さて、鉱夫が暗い坑道に入り命がけで採鉱した銅を含む鉱石を「砕女(かなめ)」と言われる女性部隊によって
細かく砕かれ、選別される。(選鉱)その次が焼鉱と言って選別された鉱石を薪で30日間も蒸し焼きにして
硫黄分をほぼ除去する。

ここからやっと精錬作業にかかり、第一段階で焼鉱を珪石と木炭で溶かすと銅を含む重い「カワ」とその他の
鉄分の多いカスである「カラミ」に分けられる。

第二段階で又同じように「カワ」を珪石と木炭で溶かすと硫黄分と鉄分が除去され、銅の成分が97〜98%の
粗銅が出来る訳である。


昔の別子銅山では山の中でここまでの作業を行い、この粗銅を仲持ち衆により、男45KG 女30KGを担いで土居側まで運んで
いた。だから別子銅山を取り巻く山域には無数の運搬路網が出来ており、現在その一部を我々が登山道として利用させて貰って
いるのだ。

さてさて、こんな長〜い精錬行程を経る訳だから1トンの粗銅を作るのに 薪が6トン、炭が4.8トンも必要
になったらしい。 薪や木炭は鉱石より遥かに軽い訳だからトン重量比較からすると膨大な量の薪と炭が使われた
事は容易に想像出来る。

第二段階で硫黄を除去する際に出た亜硫酸ガスで周りの山は丸裸。それで西の石鎚山系や南の高知側からこの薪や
木炭を調達しなければならなかったのだ。


炭の需要があればそれを供給しなければならない。その炭を供給をする為に西条、加茂川上流域の山々の木々は伐採され、沢山
の炭焼き小屋から煙が上がった事だろう。

川来須(新寒風山トンネルの北口付近)を拠点に天ヶ峠を経由して宿(しゅく)で集められた木炭はさらに西山越からチチ山の北山麓
を通って菅平(大坂屋敷)−馬道の別れー旧別子の東延付近まで馬に揺られて延々と運ばれた。帰り荷として当時の大都会、別子
銅山スーパーマーケット・主婦の店で味噌や醤油、食糧、アメ玉などを調達して運んだに違いない。

この西条・川来須から天ヶ峠・宿をへて旧別子(銅山峰の南山麓)までの馬道がすなわち「炭の道」と呼ばれる
ルートなのである。

言うなればこの炭の道はロマンチックとは程遠い自然破壊の片棒を担いでいるような産物ではあるが、過ぎ去った
日々が遠くになればなる程、全てのものをノスタルジックなものに変えてしまうという「時の魔法」にかかるのが
人間様ってものよ。

さて、話を現実にひきもどそう

以前反対側からこの道を歩いた事のあるマーシーさんは、初歩きの私にこの荒れ果ててルートも定かでは無い
雪まみれになった「済みの道」の先陣を譲ってくれた。これは世間一般では「ありがた迷惑」と呼ばれている。

12時40分 西山越から炭の道へ入る。
入り口から早速崩壊しており倒木で邪魔されて前途多難な船出となった。道もあると思えば在る、無いと言えば
無い、そんな状態の空間である。

荒れた傾斜に沿ってわずかに見える雪の線を追いながら、朝通り過ぎた舟窪を目指す。

 
何か道がある様な・・・無いような・・・                 動物の足跡が頼りじゃわい

 
  何処に道があると言うんじゃ!                     ここにもカラマツが植えられている

   
         崩壊地を渡る                        黒森山の崖が見える

 
早く渡らなければ上から岩が落ちてきそうや〜               チチ山北斜面には沢が多い


馬が通った道だから当然高低の差が少ない。
チチ山は東西に長く広がった巨大な山塊であり、大きな支尾根以外にも無数の襞(ひだ)があり、その沢が
全ての場所で炭の道を崩落させている。

そういう場所ではウサギや狸、イノシシなどの足跡を追うと不思議とこれが炭の道を正確に辿っているのだ。
困った時の獣の足跡頼みで何度も道の切れた空間や崩壊地を切り抜ける。

中腹付近に付けられた道は不合理な程クネクネと長い。崩壊した谷筋から見える沓掛山がいくら歩いても
遠ざからない。
紆余曲折を経てやっと見覚えのある北尾根交差部に14時12分に着きホッとする。以前、チチ山北尾根を
這い上がった時に通過したポイントなのだが、今回西山越からこの交差点までが恐ろしく長く感じる障害物
競走だった。

でも時間を計算すると、西山越から北尾根交差点まで約1時間半で来た事になる。

 
簡単に渡っている様に見えても結構危ない        ツララだらけの崩壊地

 
何時まで経っても沓掛・黒森が遠ざからない シッシッ  やっと見覚えのある北尾根交差点に着く


この南尾根との交差部付近は比較的道が明瞭で(尾根部の故に崩壊が少ない)ここから舟窪まで楽勝と思いきや、
甘かった。


すぐに道は不明瞭となり、更なる沢の崩壊地が次々と現れる。雪のせいで景色が単調になり、同じ場所を幾度も歩いている
ような錯覚さえする。
マーシーさんが「この後はもう楽勝ですよ」と言ってからも閻魔大王に舌を4〜5回抜かれる位虚言を重ねた。


 
   ツララは見飽きたっちゅうの        マーシー もう崩壊地は無いって言ったじゃん!
                        「ほ〜かい?」

 
    展望がある所は極めて少ない        おっ  感じいい場所じゃん

 
炭の道で唯一雰囲気がいいなあとお勧めの場所     正面に獅子舞の鼻からの稜線が見え出す

 
  かろうじて道が抜けている気配がする           又 沢や〜

キャンプ場もあると言うなだらかな場所に来ると、古い笹ヶ峰への登山縦走路の標識があった。銅山峰
ヒュッテの故伊藤玉男さん達によって拓かれたブナ峠―獅子舞の鼻尾根ルート以前は舟窪からここまで
トラバースして、上に這い上がって行ったのだ。

ここまで来るとやっと沓掛山は遠ざかり、チチ山の別れから下がっている稜線が近づいて、長かった炭の道の終点が
近づいてくる。もし前半の霧氷に包まれた素晴らしい稜線歩きがなかったなら実にショーモナイ ウォーキングになって
いたに違いない。
産業物資や生活物資を運ぶ必要性に基づいて作られたルートだから、そこが単調でつまらないのはしょうがないわ

そうこうしている内に、16時10分 舟窪に到着!  西山越から舟窪までの炭の道を 3時間半で歩いた訳だ


    西山・ツナクリ山へと伸びる稜線の向こうに西赤石山が見える

 
ここが旧笹ヶ峰縦走路分岐で標識がある         ピラミッド岩の横を抜ける

 
コノヤロ〜 まだ崩壊地があるじゃん!「ほ〜かい?」   あ〜〜やっと舟窪に着いた〜

舟窪から又馬道の別れを経由して、廃道となった住友林業の作業道に出て、更に土山越から縦走路と別れて
暗い植林地帯を下ると16時45分大永山トンネル南口へ帰り着いた。

「炭の古道」チチ山の北面シリーズを辿った歩きは一応ここに無事終了した。
今年この古道を歩いたのは、我が掲示板仲間では マーシーさん、ペーコさん、深山牛さん。

ここで「炭の古道」歩きのおさらいをしておこう。

炭の道 第一部  西条・旧寒風山道路から天ヶ峠は ここ (平成20年9月 天ヶ峠経由笹ヶ峰・寒風山
                                 縦走路に這い上がる)
    第二部  天ヶ峠から宿までは  ここ   (平成19年2月 又兵衛岳ー天ヶ峠ー宿ー西山越ー黒森)
   
    第三部  は今回の 西山越から舟窪・馬道の別れまで

    今回のルートに関連した チチ山北尾根歩きは ここ (平成19年10月 チチ山北尾根を這い上がれ)

なお、真面目な「炭の道」を紹介するHPサイトを参考にされたい方は 萩生の森 oka ちゃんの
西条ー天ヶ峠ー宿の記録をご覧下さい。 okaちゃんの 平成19年4月21日ー22日記録は ここ  です。


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