平成25年7月1日 神さんの山 石鎚山お山開き


石鎚お山開き取材レポ   成就社〜石鎚表参道〜弥山〜成就社


平成25年7月1日 石鎚御山開き 成就社 見返り拝殿より石鎚山を拝む


退職を1ヶ月後に控えて老後の暮らし方を少し考える様になった。(遅いか〜)非常勤にて仕事は続くのだが、基本的には週1日
出勤以外は輸入LNG船と輸入重油の受入れ時(前後10日間)の出動となる。さて、この非常勤予行演習として7月1日に有り余
った有給休暇を取った。

東日本震災復興を登山という立場から応援するトレックアッププロジェクトが去年から7月1日に開催され休日だったので参加した
のだが、今年は平日だ。丁度石鎚お山開きに合わせて一石二鳥の休みを取る事にした。

   
           7月1日 トレックアッププロジェクトにも個人参加する

石鎚山はほぼ山登りの対象として捉えて来たのだが、歳を取るに従い登拝古道や石鎚36王子社巡りなどもテーマにする様
になった。冷静に考えるとこの山は石鎚神社が山全体をご神体とする「神さんの山」なのだ。この神の山としての視点で石鎚
山を眺めて見るのも又意義深いものだと思う。

石鎚お山開きは「お山市」とも呼ばれ6月30日に石鎚神社本社より三体の御神像がそれぞれの神輿(みこし)にて出発し、尾
土居・一之鳥居・極楽寺・大元神社・河口を経てロープウェイで成就社へ運ばれる。翌7月1日に三体の御神像はそれぞれの
信者さんに分かれて石鎚頂上社まで運ばれ、10日間ここに置かれる。つまりあるべき場所に還るのだ。その間全国の石鎚本
教や修験道の団体が石鎚山頂上社に参拝する訳である。

元々修験道色が濃い山岳信仰は神仏習合で神も仏も混在する宗教である。これが明治になり神仏混淆(こんこう)が禁止され
、別当寺(前神寺)が廃止され石鎚神社が主役になった経緯がある。でも現実的には未だに神仏混淆の色が深く濃く残ってお
り、この時期真言宗や天台宗など山岳仏教の法衣をまとった修験者を多く見受けられる。


さて、7月1日05時30分ロープウェイ駐車場に着くと橋を渡った臨時駐車場に案内される。料金はお正月と同じ千円だ。前日赤
石山系の藪で雨に打たれてウィンドグレーカー2枚はびしょ濡れで使えない。登山ズボンに上は青いトレックアッププロジェクト
のTシャツでは今日の石鎚では完全に浮いてしまうだろうし山頂では寒さに震えるだろう。

急遽売店で白装束を買う。Lサイズで3,500円だった。5時40分のロープウェイに乗り成就駅に着くと下界は雲海に覆われ向かい
の瓶ヶ森では雰囲気の良い雲が流れていた。そこで白装束の上着を着て6時10分過ぎに成就社に着く。

 
  西条方面が雲海の下になる                     瓶ヶ森の山頂に雲が流れる


既に多くの信者さんが其々の団体を示す白装束や鉢巻、色つきの上着を着て集まっている。曲がりなりにも白装束だと何か雰
囲気に溶け込んだ気持ちになった。帽子も前日濡らした為、防虫ネット帽子を持って来たがこれも不釣合いに付き石鎚のマー
ク入り鉢巻を250円で購入。うん 出費が嵩むがこれで山開き潜入は完璧や〜! この恰好で成就社本殿にお参りをする。


  石鎚詣での白装束はこんな模様が入っている  両腕にはホラ貝と天狗の面
  石鎚烏天狗の間には役の行者と蔵王権現、 左下のお坊さんは誰だろう? 寂仙菩薩だろうか

神主さんもこんなに大勢居たのだろうかと思う程あちこちに見られ、にわか信者にも鉢巻と白装束の御蔭で恭しく頭を下げて頂き
恐縮する。でもお賽銭はポケットをまさぐり百円玉は残しておくという度量の小ささに我ながら嫌気がさす。

「見返遥拝殿」でご神体(石鎚山)を拝むと雲が沢山流れているが何とか見える。拝殿の中では般若心経を唱えて法螺貝を吹く
グループが居られた。神主さんに写真を撮ってもいいですかと聞くと「どうぞどうぞ」と言う返事。拝殿の窓越しから眺める石鎚は
冬の雪姿が一番厳かな風景ではあるが、緑に染まった石鎚も生命に満ち溢れてこれもいいものだ。

中々神事が始まらないので法螺貝の名手・玉屋の社長が若い信者さんに手ほどきをしているのを見学。何でも芸を極めると凄い
もので音が全然違う。

境内を見渡すと女性信者さんも結構多い。神門から向うは今日だけは女人禁制なのでここでお上りさんの男性陣を見送りの為
待機されているのだろう。江戸時代や明治初期までは「黒川道」は女人還の行者堂まで、「今宮道」は矢倉の女人返しまでしか
女性は行けなかったらしい。その後成就社までは行ける様になっていた。

戦後の民主主義時代になり女性の社会的な地位向上に合わせて昭和21年大論争の末に女人禁制は7月1日から5日までの
5日間までに緩和された。その後、昭和36年には7月1日と2日の2日間になり、更に昭和57年に現在の形、7月1日だけは男
の面子を立ててケロって事になった。

 
06時10分 成就社で石鎚本教お山開きを待つ人々          見返拝殿で祭礼をする信者団体

 
        石鎚ご神体を拝む                    玉屋の社長が法螺貝の指導をしている

07時頃になって境内がにわかにざわつき、山開きの神事が始まったようだ。太鼓や法螺貝の音が一斉に響き渡る。さていよい
よ待ちに待った三体のご神像を頂上社まで氏子の手によって担ぎ上げられるご「神像奉遷」の神事が始まる。

三体の御神像とは

石鎚神社の祭神は石鎚毘古命(いしづちひこのみこと)=石土毘古命(いわつちひこのみこと)=伊邪那岐・伊邪那美の第二の
御子)=石鎚大神(いしづちおおかみ)で嫁さんは西条の伊曽乃神社に祀られている伊曽乃さんだ。サザエさんの磯野家とは関
係がなく、又仲の良かったこの夫婦に子供はいたかどうか定かではない。この石鎚毘古命の神徳(神様のお蔭)を表す役割を
担っているのが今日の主役、三体の御神像なのだ。

最初に出発するのは赤鉢巻組の「和魂(にぎみたま)=仁の神徳、玉持姿の御神像」で家内安全、病気平癒を守護する象徴だ。
桓武天皇の病気平癒を行った実績を持つ霊験あらたかな1番手である。

次は青鉢巻組の「奇魂(くしみたま)=智の神徳を持つ鏡持姿の御神像」で農業、工業、商業、漁業の繁栄、学業の成就を守護
する象徴で石鎚の天辺から民衆が栄えるのを見守る。

しんがりに登場はは黄鉢巻組の「荒魂(あらみたま)=勇の神徳を持つ剣持姿の御神像」で勇気、忍耐をすすめ、悪事を除き、危
機を守護する象徴でまあ言わば石鎚天狗ってところだろうか。これを頂上社まで氏子の手によって順番に奉遷=運び上げられる
のである。


              07時前になると成就社でお山開き大祭の神事が行われる



   
石鎚神社(本社)の本殿には打出の小槌が置かれているが、この中に仁・智・勇と書かれた物が2つある




三体の神像とは
上の段中央の玉持の神像は石鎚大神の和魂(にぎみたま)で「仁」の徳を表す
左側(向かって右)の鏡持の神像は石鎚大神の奇魂(くしみたま)で「智」の徳を象徴する
右側(向かって左)の剣持の神像は石鎚大神の荒魂(あらみたま)で「勇」の徳を象徴している
前列中が修験道の祖「役の行者」右手に錫杖・左手に経巻を持つお馴染みの姿だ。
その後ろに赤い炎を燃やす像は蔵王権現である。



さて、この風習はどの様な経緯でいつ頃から始まったのだろうか ? 

宗教的に見た「神さんの山」 石鎚山について整理してみよう

日本の古神道は木造建築文化が始まる以前、神が天から降臨される場所森羅万象に命や精霊が宿るという素朴な人々の想
いから発し、神奈備(かんなび)=神霊が宿る場所、盤座(いわくら)=神が天から降臨される巨石がある場所で儀式などが行
われていた。
これは地球上の人類に共通する原始宗教とも言える精神構造で英国の人類学者E.B  タイラー氏によって生物・無機質を問
わず全ての物の中に霊魂が宿るという「アニミズム」(animism)と呼ばれる様になった。

その内の山岳信仰は山そのものを神聖なものとして崇拝の対象とする信仰で、石鎚信仰もこれに当たる。

石鎚の神様は石鎚毘古命(いしづちひこのみこと)=石鎚大神(いしづちおおかみ)の1神であるが、この神の名が書物に初めて
出現するのが奈良時代に編纂された日本最古の歴史書「古事記」でそこには「石土毘古神」(いわつちひこのかみ)と表されて
いるらしい。しかしこの神様が当時果たして笹ヶ峰、瓶ヶ森、はたまた石鎚山におわしましたのかは定かではない。

「仏さんの山」に  本地垂迹(すいじゃく)と権現思想

大和・奈良時代に仏教が渡来し時の王朝政権と強く結びつくに従い日本古来の神と外来の仏が習合され、インド・中国からや
って来た仏様が日本に於いては神の姿で仮=権に現れたとする「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」思想が仏教側に都合よく形成
された。それと共にこの思想にぴったりの修験道が盛んになり、石土毘古神は「石土蔵王権現」と言う神名になり仏教色が強く
なる。

ところで、(金剛)蔵王権現は修験道の祖となった役の小角(えんのおずぬ)=役の行者が奈良・吉野の金峯山で修行中に
「これじゃ〜」と悟った釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩が合体した強力な日本独自の仏で基本的には明王系で憤怒相、シェー
姿をしている。この故事に倣(なら)って日本全国の修験道場はくまなく役の行者が開山をした事になっている。この例に漏れず
石鎚山も役の行者の開山との逸話がた沢山作られている。なにせ役の行者は伊豆大島に流された時にも夜になると富士山へ
移動して修行したという神出鬼没の仙人だから日本全国の修験道場に漏れなく平等に現れることなどへっちゃらなのだ。


石鎚の開山については平安時代の伝聞説話集「日本国現報善悪霊異記」(日本霊異記)などの古い伝聞を幾つか総合するに、
奈良時代に神野郡(かんのぐん)(今の新居浜市)の一宮神社の社家に生まれた「上仙」(又の名を寂仙)が小松にあった法安寺
の高僧「灼然」の弟子になり瓶ヶ森・笹ヶ峰・石鎚辺りで修行をつんでいたらしい。

その頃は笹ヶ峰の石土蔵王権現は大生院の正法寺が別当(管理責任者)、瓶ヶ森の石土蔵王権現は天河寺が別当となり奈
良時代には栄えたが次第に修験道の地は石鎚山が主役になって前神寺がその別当として台頭していくのである。
この推移は前神寺や横峰寺を開基したと言われる前述の「寂仙(じゃくせん)」(おそらく上仙、石仙と同人物か)が桓武天皇の
病気平癒祈祷に成功して天皇家の庇護を受けた事にもよるのだろうか。

又、「西条誌」に伝説によると石鎚権現はもと瓶ヶ森(笹ヶ峰ともいう)に祀られていたのを西之川の庄屋高須賀氏の先祖が、
今の石鎚山に背負って遷したのだといわれている。高須賀さん 勝手にそんな事をしちゃイカンでしょうが!

寂仙菩薩が天狗岳への参拝道を切り開き石鎚蔵王大権現と称し成住社や前神寺を開基したと言われているので一応寂仙
(上仙)が石鎚山の開祖と言えるだろう。以来、石鎚山は石鉄山別当「前神寺」の管理下にあり、祭礼行事も前神寺によって
主導されていた。

都仏教に対して積極的に山へ入って修行する密教は修験道と深い結びつきがあり、香川県出身の弘法大師や愛媛県出身の
天台宗別当大師「光定」(こうじょう)がこの石鎚山のどこかで修行をされたという話もうなづける。


役の行者、弘法大師「空海」、別当大師「光定」(こうじょう)などが修行したかも知れない横峰寺 石鎚・西の遥拝所


前神寺の石鎚講戦略

この様に修験道の主役は西側の石鎚山となり、その別当寺である前神寺の見事な「石鎚講」「先達制度」戦略によって四国は
元より瀬戸内地方や日本全国に石鎚登拝信仰が江戸時代に拡がっていくのである。今の石鎚お山開きの行事を含めて石鎚
登拝は前神寺の努力によってその基礎固めが行われた功績が大きい。

前神寺は、石鎚山頂に蔵王権現像三体を祀り石鎚山の別当寺として石鎚信仰の核となっていた。従来前神寺は常住=成就
に石鎚修験道場として建てられていたが、その後お参りに不便な為江戸時代に今の石鎚神社の場所に里前神寺を建立し、
常住を奥前神寺とした。

つまり現在の石鎚本社の位置にこの前神寺があり、成就社は常住舎・奥前神寺と呼ばれ、山頂を弥山とする山岳仏教信仰
形態を取っていた。今でも石鎚弥山と呼ばれているが、この弥山(みせん)とは仏教用語である。

前神寺では、旧五月晦日(=新暦だと7月7日あたりか)に仏像三躰を唐櫃に納め、信者の奉仕で常住舎に上遷し、翌日の朝
弥山に納める「お上り行事」があった。この「仏像奉遷」は往時、道中奉行(石鉄山御用会符一号を所持する伊藤家)と土佐
の信者が主になって行っていたらしい。江戸時代に前神寺がこのお山参りの目的で「石鎚講」を組織し、石鎚詣でが庶民の
間で盛んになるのである。

無情の神仏分離令  石鎚蔵王権現の廃止

明治維新を受けて錦の御旗が勝利し明治政府が出来るや、天皇制を中心とた国体思想の中で古来続いて来た神仏混淆
(こんこう)を廃止する「神仏分離令」が明治元年出された。これにより神さんに付けられていた権現号や菩薩号が廃止され
たのである。日本の長い歴史のなかでうまく神と仏が仲良く混在していた文化・思想をいきなり別の物に分けよと言うのであ
る。修験道受難の時代である。

石鎚山でも政府の神祇官より祀ってある像についての調査が入り、前神寺の領主である西条藩が石鎚蔵王権現を仏体とし
て届けた所、明治3年に仏体である蔵王権現は「それってダメ〜」と否定されてしまった。その上、明治8年には前神寺は廃寺
と決定された。人心を無視した何とも乱暴な政策である。

さて、逆に石鎚神社側の立場になると、明治維新のお蔭で神と仏の立場が逆転し、急に主役に躍り出た神社ではあるが、
今まで前神寺の寺領であった西条や成就がそっくり「石土(石鎚)神社」となったのでニッコリと思いきやそうでもない。それま
でタイアップしてきた前神寺が急に無くなり石鎚山の管理責任の重荷が一挙に経験不足の神社にのしかかり大いに混乱した
のは言うまでもない。横峰寺同様お坊さんを還俗させて神官に変身させたり大変な事態になって、この間石鎚信仰も衰退して
行ったらしい。大勢いる前神寺の仏教檀家がそっくり石鎚神社の神道側になびく筈はない。

明治政府のおしきせ政策で危機に陥った石鎚信仰であったが、明治末から大正初期に石鎚神社の10代目社司に就任した
越智勝丸という救世主が現れ奮起して組織再構築を行った。従来の前神寺が行ってきた石鎚講を取り入れ「崇敬講」として
全国に新たな組織を展開した。小松〜河口間のバス開通、下谷〜成就間のロープウェイ開通などの時代を経ながらこの崇敬
組合信徒によるお山開きが今日の三神像遍座行事に繋がっているのだ。

又、一旦  廃寺となった横峰寺や前神寺もその後復権してそれぞれ宗教法人として石鎚山と結びつきの強い活動をしている。
石鎚お山大祭がいつまでも続いて欲しいですねえ

(参考資料は森正史「山と信仰・石鎚山」その他)



さて、お山開きの会場に話を返そう

三体のご神像が順番に神事を執り行ない、それぞれの氏子グループによって成就社本殿よりロープで引き出される。長いロー
プの最後には箱に納められた御神像を背負った誉れ高い氏子代表がカラビナを使って繋がれている。この御神像箱は重さが
10キロ以上あるらしく、途中で数人の担ぎ手が交代する為前後に負い子=ショルダーハーネスが装備されている。担ぎ手が交
代しながら成就社境内を何度も勇壮に走った後、神門を出発していく。

一番手赤鉢巻組が出発してから次の神事が始まるからその間が長い。次の青組が出てくると又担ぎ手を交代しながら境内を
何度も走ったり練り歩いたりして気分を高める。青鉢巻組がやっと神門を出てくれた。さて最後の黄色組も中々社殿から出て
来ない。待っている人たちも日陰は寒いので足踏みをしている。

その間、神事に使う小道具運搬役が女性陣の声援を受けながら出発する。お祭りの割には不思議と神社境内にはたこ焼きや
リンゴ飴などの出店や神具や仏具などのバザーなどは無い。成就社の旅館が賑わうのはお正月とこのお山大祭の期間である。

第三組が神社境内を勢いよく走り回り景気を付ける。ロープを引っ張る人達は一組60人ほどいるがザックなどは背負わず、ペ
ットボトル1本をロープに縛って持っている位だ。


     07時05分 第一組 赤鉢巻隊が「仁」の御神像を守って出発の晴れ舞台だ

 
  先頭の人はお祓いの様な神具を持っている               ご神像を背負う


  07時27分 次の青鉢巻組が「智」のご神像を背負って成就社から出て来た

 
  ご神像を背負う氏子さんは誇らしげだ                 境内を何度も走り回る


   07時45分 神事で使う道具を運ぶ4人が女性陣の声援を受けながら出発する


  07時47分 三番目の勇のご神像を運ぶ黄色鉢巻組がやっと成就社から出て来た

 
   何度も境内を走ってテンションを挙げる             07時52分神門を神域石鎚へと入る

この第三組黄色鉢巻に紛れてお山開きの雰囲気を味わわせて貰う事にした。最後部の御神像付近には行進に合わせて笛を
吹く人がいる。神官に見送られて神門を出発すると参道には大きな提灯が並べられていつもの雰囲気とはちょっと違う。ロープ
は一番長い鎖場62m(3の鎖)以上に合わせているので先頭付近は見えない。

時々少数の登山者に会うが今日は完全に浮い違和感がある。冬にスノボー客に溢れたゴンドラに乗っている登山者の様に
肩身が狭い。一方ご神像集団の歩くスピードはハイテンションの為とても速い。八丁坂を下って前社ガ森への階段を上がる
頃になるとロープの牽引が威力を発揮するのであるが、参拝道がくねっているのでうまく御神像運搬者にロープの牽引力が伝
わらない。みんな先の方に行ってしまい、ご神像の直前がガラ空きとなっている。仕方ないのでこの補充員に回る。結構力が
必要で見る見る汗が吹き出る。

あっと言う間に前社ガ森に到着して第三組が休憩に入った。ロープで張られて侵入禁止となっていた筈の休憩所では冷やし
アメ湯などが売られている。そこで先の第2組(青)組を追いかける事にした。

 
  提灯が並んだ参道を進む 普段の登山とは違う       自然のお蔭を受けながら歩く


                  08時02分 参道鳥居をくるぐ

 
先達会符(えふ)という鑑札を網に入れて背中に背負っている」  登り坂になるとご神像を背負った人を引っ張る

 
   ご神像を背負う人は時々交代しながら進む         年配の先達(せんだつ)の方にはキツい登りだ

 
  08時40分 前社ガ森の休憩所に到着            前社ガ森で初めての休憩をする ここで先の組を追いかける


夜明し峠に着くと前面の山壁に白い集団が長く張り付いて見える。喘ぎながら追いつくと一の鎖を登る準備をしていた。取材
を兼ねて途中まで氏子集団の最後尾に付いて鎖を上がり御神像を待つ。第二組の御神像を背負った若者は精悍そうで掛け
声と共にたくし上げられるロープに引っ張られて岩場に直角を保って一気に走りあがった。まるで天狗の様でもうこれは鎖禅
定とは言えない。

ご神像のしんがり守り役と一緒に鎖を上がって次の2の鎖場まで行くと第一組と第二組が渋滞を起こして混雑していた。こりゃ
アカンと迂回路から上側に進んで第一組を待つ。


  08時52分 夜明し峠に着くと前面に青組が登っている  白装束はよく目立つ

 
三の鎖でスタンバイするご神像背負い人 カラビナが結構多く見える   鎖場の駆け上がりが始まった

 
      あっと言う間に飛び去った                 救護所が設置されている お年寄りがたくさん来るからね

      
  むむっ  二の鎖で赤組と青組が渋滞している       こちらの背負ったご神像は孫という宝物だ

やっと上がって来た第一組と共に1の鎖場へ移動。工事中のステージで今度は少し年配の担ぎ屋の様子を見学。岩登りの様
なハーネスは無くダブルエイトノット結びもせず結構シンプルなロープワークである。他の信者が鎖場を上がりきるまで相当時間
がかかり、その間重たい御神像の箱を仲間が支える。やっと順番がやってきて同じ様に岩と直角になって一気に崖を駆け上が
る。これでウチワを持っていたらまさに天狗の駆け上がりである。それを見届けて又最後尾で鎖場を上がる。

 
 巻道を上がると下から最初の赤組がやっと上がってきた     紅組と一緒に三の鎖へと進む

 
赤組の御神像背負い人は年配の先達だ  いくぞ〜       えい〜 や〜 と岩場を駆け上がる

 
コラ〜 そこのカメラマン! 邪魔じゃがね           こら〜 そこのカメラマン 他の人のアングルにも気を遣え〜〜
                                     ご神像背負い人は天狗の様にピョンピョンと岩場を飛んで行った


 
今治から来た登山者 土小屋から来たと言う             鎖禅定が続く


山頂社の横に這い上がると既に第一組の人達が集まって神事が行われていた。朝は良い天気だったのに一面濃い霧・雲に
覆われて天狗岳は全く見えない。おまけに風が強く吹いてとても寒い。霧が当たる髪の毛や白装束の上着が見る間に濡れて
いく。どうも去年は雨だったらしく今年は上々の天気だという話し声が聞こえる。

神事が終わると第一組が弥山の広場や山頂ヒュッテを走り回り、御神体の箱を運んだ人をねぎらって順番に胴上げの様なし
ぐさをしている。その内、第二組も弥山に到着し次の神事が始まる。その頃、弥山広場では先達により御神像を直接信者の
背中に当てて呪文を唱えている。これが「御神像拝戴(はいたい)」と言われるもので、ご神像を直接身体に戴いて神徳を受
ける神事である。見ると神聖なるご神像をエイエイと気合を入れながら汗まみれの背中に次々と押し付けている。神事が終わ
って納め直す時にファブリーズで除菌してあげるのかなあ。

 
    10時に山頂へ着くと赤組の神事が始まっていた      弥山が混まない内に写真を撮ってもらう
                                      これがお山開きに参加した格好だ

 
       頂上社で神事が続く                   混んで来たけどトレックアッププロジェクトの写真も撮らなきゃ


          御神像拝戴(はいたい)の神事を行う先達  


霧に濡れた上に汗にまみれた信者さんの背中に押し付けらると言ういかにも庶民的な扱いを受ける御神像を「写真やビデオ
を撮る事は不敬となるので遠慮下さい」ってもの何かチグハグな気もする。第三番目の御神像も到着して狭い弥山広場は人
々で埋め尽くされた。その中で第二組の御神像擦り付け神事が行われている。


        10時05分 第二組青鉢巻が弥山に到着

 
    ご神像背負い人が祝福を受ける         青鉢巻組は結構若い先達が御神像拝戴(はいたい)の神事を行っている


 10時25分 最後の黄色鉢巻組が弥山に到着 これで 「仁」「智」「勇」の御神像三体が揃った
 


   黄色鉢巻組のご神像背負い人が次々に差し上げられて祝福を受ける

 
  隙を狙ってもう一枚修験者の記念写真を          テレビクルーも取材に来ていた 霧の中ヘリコプターも飛んでいた

雨よりマシという天候の中で繰り広げられた「石鎚お山開き」を初めて密着見学した訳であるが、この神事は厳かさと庶民性
を兼ね備えた素晴らしい行事でありお祭りであるとの印象を受けた。

この後、霧に包まれた弥山でトレックアッププロジェクトのTシャツ姿になって震えながら記念写真を撮ってもらい下山する。
下からもそこそこの白装束をまとった人達が上がって来る。「お上りさんえ〜」「はい お下りさんで〜」普段の登山とは違う
不思議な満足感のある石鎚山であった。


帰りに見た石鎚は霧の中だった  後からもボツボツ登山者や信者が小グループで登って来る


帰りにイワカガミの様子を見に脇道の「大剣王子社」を抜けて大剣岩に這い上がる。イワカガミは葉っぱだけで少し早かった
ようだ。成就社に帰ると神門で神主さんが登山切符のテープを回収していた。なる程、お山開きの期間中この赤いテープは使
いまわしされるのだ。社殿に今年何度目かのお参りしてロープウェイにて下山する。

    
     帰りに大剣岩を訪問する                   イワカガミはまだ葉っぱだけだった

 
      イワキンバイは咲いていた                帰りに競争しながら成就まで帰った73歳の元気爺さん


                   石鎚お山開きの頃は特に生命の息吹を感じると言う

   
    朝点灯されていた提灯通り                      石鎚山は緑に覆われていた

 
この時期は忙しい巫女さん 時給いくらでしょうか              見返拝殿で霊峰石鎚を観返る


男性諸君! 一度この石鎚お山開き初日に来てみまい

グランマー啓子さんの 石鎚お山開き「お下りさん」の様子は ここ

お下り行事は、ご神像を弥山から本寺に遷す行事である。これは女性も参加可能ですので女性諸君! 一度見学してみんかい


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