望郷シリーズ  娘と歩く親子「花の銅山峰」  な〜んちゃって

平成16年5月23日(日) 娘と歩いた故郷の山 「ツガザクラ」・「アカモノ」の咲く銅山峰

  
               銅山峰 山歩きルート図 
  この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)
    を使用したものです。((承認番号 平15総使、第634号))


今年の西赤石アケボノツツジにはがっかりだったが、お次の銅山峰目玉商品は「ツガザクラ」と「イワハゼ」(アカモノ)だ。
リンク仲間の「くろもじの森」さんや「萩生の森」さんが前もって登っており、同じく新居浜在住の「ひとな」さんからも先日アカモノが
蕾を膨らませているとの情報あり。よっしゃ 今度はアケボノツツジの様な失敗はなさそうだ。

      
            銅山峰のツガザクラ  5月23日

サマンサは学校行事(運動会)だから、前日から新居浜の実家に帰ると家族に告げる。すると娘カラミティも暇だから一緒に帰ると
言う。新居浜の実家には両親が健在なのだが息子3人が県外に出ているので寂しい思いをさせている。最近は実家に帰る時は
出張の行き帰りちょっと寄るか山登りの中継基地利用という情けない三男坊である。やはり子供を持つなら女の子が無難なようだ。

車の中に先日九州の九重山と阿蘇へ行ったときに積んでいた娘の運動靴があったので「1時間くらいでツガザクラが見えるから
行こうか?」・・と誘うとその気になったみたいだ。帰りは一人だという事は今のところはナイショにしておこう。時間も1時間では行
けないがこの事もこの際ちょっと伏せておこう。

     
        蘭塔婆に咲く「イワハゼ」(アカモノ)  5月23日

朝5時半に起きると豪華な朝食が待っていた。この待遇の良さは嬉しい事だが、普段あまり朝ごはんに気合を入れていないので
そんなに食べられない。横で年老いた母親がこれがビタミンAとC、この野菜はミネラル一杯、この魚はカルシウム・・・朝の果物は
金・・・と解説がうるさい。いつもの事なのでふんふんと生返事をしながら無理して食べる。はからずも男を産んでしまった母親とは
げに悲しい存在かな。

6時過ぎに自転車を車に積み込み、まだ目が覚めず仮死状態のカラミティを乗せてエントツ山の横を通り鹿森ダムに向かう。この
上に遠登志(おとし)という場所があり、ここから東平(とうなる)への登山道があるのだ。谷深い渓谷の遊歩道近くに自転車を置く。
盗られずに待ってろよ〜

       
         鹿森ダム           遠登志(おとし)に自転車を置く

日浦登山口へは7時過ぎに着く。朝早いが既に7−8台の車が停められて、登山者の山へ登る意気込みと緊張感があたりに伝わ
っている。銅山越に行くのであれば大層な登山ルックは必要がない。何せ、ついこの間(100年)までは生活道だったのだから。
でもみんな中央アルプスかと思うくらいスゴイ格好で張り切っている。これも山登りの楽しいところだろう。そんな中でまるで「犬のお
散歩ルック」の二人が小さくなって後を付いていく。

  
    日浦登山口 行くぞ〜       円通寺跡 ここからもうアカモノ登場

円通寺跡まで登ると第一「アカモノ」発見! 道端にひっそりと咲いているのでカラミティは気がつかず。今回は「ぐるっと野の花
の蘭ちゃん式山歩きを体験しようと花を探して犬のように右往左往するので娘がいつも先頭を行く。「鬼ころし」と呼ばれた酒の
醸造所跡まで入り込んで花を探索するが、葉っぱしかない。葉っぱだけじゃ雑草かフキの類か全く見当が付かないよ〜。カラミティ
に接待館跡のレンガ塀で待つように言ってなおも分け入るが成果なし。 「ぐるっと野の葉っぱ」である。

  
         ギンラン               アカモノ第一号

   
      醸造所跡                   接待館 

接待館の奥にも入ってみる。まるで中世ヨーロッパの城壁のように奥にもレンガ作りの壁が残っている。階段を登って往時の栄華
に思いをはせる。明治時代、ここでは政府の要人や外国人技術者を接待し、どんちゃん騒ぎしていたのだろう。
今、世間では「勝ち組」だの「負け組」だのと会社の生き残る論理がもてはやされているが、この時間と言う怪物の前には人類は総て
「負け組」となる。
負け組人類同士がいがみ合い傷付け合っても仕方がないんだけど・・・

   
  接待館 奥のレンガ壁         ぎょっ!心霊写真? な〜んだ我が娘か

次に小学校跡で待つように娘に言ってなおも「葉っぱ」の中に分け入る。成果なし!この「蘭さん式山歩き」は慣れないと石にけつま
ずいたり、滑ったり、ヘビを踏んずけたりする危険性を伴う。常にキョロキョロしているので他の登山者からは何とも落ち着きの無い
中年徘徊者と見られただろう。何事もその道を極めることの難しさよ。

萩生の森」さんから小学校跡にホウチャクソウの群落があるとお知らせを貰っていたので、ここでの花写真は保証されている。キョロ
キョロ歩きからちょっと余裕が出てきたみたいだ。お〜 ありました〜。もし萩さんからの情報がなかったなら、こんな薄ら寂しい場所ま
で上がってこなかっただろう。

  
 萩さんに教えてもらったホウチャクソウ  劇場跡に咲いていたアカモノ

あな嬉し エントツ山読者に遭遇!

登山道に戻ってアカモノを初めて見る娘に得意げに説明しながら進み、劇場跡の階段を上がるとここの石垣にも元気なアカモノが
結構根を張り、可憐な花を咲かせていた。先ほどから高知弁丸出しの若者二人と抜きつ抜かれつしているので挨拶を交わす。

ホウチャクソウの群生の事やアカモノの話しをして今回は花の写真をホームページに取り上げると言うと、「ホームページ見たこと
あります」とハルクホーガンみたいに頑丈そうな若者がつぶやいた。え〜その言葉 プレイバック!「ホームページで顔を見たこと
あります」 キャッホー 陽気妃ヨーヨが先日伊予富士で「今日もベンツに乗って来られたんですか?」と読者に遭遇したが、本日は
本家が読者に遭遇。

    
     エントツ山読者様 市川さんと森下さん(高知)
 
感激して記念写真を取らせて頂いた。(メジャーなHPなら読者が感激して「写真を撮らせて」と言うのだが今は下積みHPだから製作者が
読者に媚びている きゃい〜ん)
この素直そうな土佐の若者達はその発する高知弁によってさらに純朴さが強調される。いつまでも伝え残って欲しい高知の言葉。頼み
ますよ〜

急に元気が出てきた父親が今度は張り切って先頭を歩き、あとから呆れ顔のカラミティが続く。ここからダイヤモンド水休憩所を経由
して、分岐を大山積神社跡で狛犬に挨拶をして蘭塔婆へ上がってみる。この蘭塔婆は1694年(元禄7年)別子銅山の山火事で
132人の犠牲者を祀った所です。娘は「なにかいいものがあったら呼んで」と下で待機。蘭塔婆にはまるで花を捧げるようにアカモノが
咲いていた。

  
    ダイヤモンド水             登山道分岐(どっちへ行っても良い)
(掘削機の先のダイヤが地中に残った) (左が涼しく、右は景色が良い)

  
  スギゴケとアカモノ            大山積神社跡の狛(こま)犬

   
明治の大水害での死者を弔った蘭塔婆 萩さんところの愛犬みみが怖がった橋

登山口からひっきりなしに「ツガザクラまで後何分?」を連発する娘に「後30分!」と応戦。「また騙された!」とボヤくカラミティに自然の
偉大さ、別子銅山の歴史、ツガザクラの不思議を説いて話をそらす。

少し長めの橋を渡り住居跡を抜けると登山道は合流する。そこを少し進むと別子銅山最初の坑口「歓喜坑」に着く。
歓喜坑では大勢の登山者が休憩をしていた。ここにもダイヤモンド水に劣らぬ水量の水場があるので空になったペットボトルを補充
する。いつもの縦走のクセで水を沢山持ってきたが、良く考えると今日のルートは水場がたくさんあり必要なかった。

  
      歓喜坑にて               牛車道から見える岩場

歓喜坑を出て少し登ると道が二つに分かれ、左が牛車道経由銅山越、右が直接銅山越と標識がある。さあツガザクラの牛車道
入った。一箇所崖が崩れたところを越すと道が広くなり、左の沢や右の斜面に独特の葉をもった「栂桜ツガザクラ」が現れた。

 
 オオジシバリ(蘭さんが教えてくれた)が咲く牛車道  スゴイ綿毛 なんじゃこれ?

    
       岩が崩壊している場所を過ぎると道が広くなる牛車道

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エントツ山の豆知識

アカモノ」と呼ばれているものは正式には「イワハゼ」といいツツジ科シラタマノキ属で北海道、本州、四国(銅山峰)の岩場、道沿い
の斜面などの日当たりの良い山地に成育する常緑矮小低木。通説では赤い実が食べられる事から「赤桃」がなまったと言われている。
このあたりは日当たりが良く石が適当に土の流出を防ぎ地表の乾燥を緩和して絶妙の生育環境を持っているのだろう。赤い実は上向
きになっている。

  
    アカモノの花                 アカモノの実

同じ種類の「シラタマノキ」は北海道や本州の高山に生育し、白い実を下向きに付ける事から「シロモノ」と呼ばれている。

  
   シラタマノキ(シロモノ)の花          シロモノの実

ツガザクラ」(栂桜)はツツジ科ツガザクラ属で、常緑の葉が針葉樹の栂(つが)に似て、桜のような淡いピンクの花をつけることか
ら名が付いた。高山帯の岩の陰や湿り気のある岩礫地に生育する。通常2千メートル級の高山でしかお目にかかれないが、この
1,300メートル足らずの銅山峰に何故生育しているのか謎深い貴重な植物です。従って愛媛県の天然記念物に指定されている。

これに似ている植物は「イワヒゲ」と言いツツジ科イワヒゲ属で北海道や本州の高山の岩の割れ目などに生えています。ヒノキのよう
な細い葉が髭(ひげ)のようなところから名づけられています。

 
        ツガザクラ           イワヒゲ (葉が更に細く長い)

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さて、牛車道の両側には可憐な「ツガザクラ」が親子を迎えてくれた。やや時期が終わりかけと聞いていたので心配したが、まだ結構
元気者が残っていた。花自体はアカモノの方が赤いガクと白い花との調和で色合いが良いが、このツガザクラも群生を下から見ると
ウィーン少年少女合唱団の様に大きな口をあけて歌っているようだ。

       
      車道の上部に咲くツガザクラ(ちょっと花は終わりかけだった)

      
       アセビの葉が鮮やかな足谷川上流に沿った「牛車道」全景

西山とツナクリ山への分岐点が来たが、ここまで来たらカラミティをせめて銅山越まで押し上げなければ・・・とあと30分戦法を止めて
「あと10分で銅山峰だが、そちらからの方が帰りが近道よ」とかかとにマメが出来た!とわめく娘をなだめて行進する。

  
 銅山越 峰地蔵に到着           銅山峰から新居浜が霞んでいる

二人を迎えてくれた峠の地蔵さんの優しい表情に、宗教心のない親子が揃って手を合わせて挨拶する。新居浜で生まれて育った因縁
をかみしめながら、ガスで曇った故郷を二人で眺める。尾根には沢山の登山者がアリのように右往左往していた。
少し休んで、食料と水を娘に分配する。私の性格を知っているのでカラミティもこれ以上一緒に帰ろうとは要求しない。

       
          父と娘 故郷 銅山峰に立つ    後ろ右が東山

  
   これから私一人で帰るのね・・・          西山

勿論安全な帰り道だから一人で帰すのであるが、随分薄情な父親だ。男兄弟3人で育った私には女心を理解する繊細な所が
欠如しており、女性を意識しすぎて照れ隠しに心と裏腹な乱暴な言葉が口をついてしまう自爆事故を多発させる。寂しがりやの
クセに意地を張って威張り散らすこの成熟しない父親をどう思っているのだろうか?
下山したら携帯電話を鳴らすように言って娘を銅山峰で見送る。

思えば不埒(ふらち)な父を持った不憫な娘だった。長男が生まれた時は女の子の様にかわいく写真を撮りまくったのに、カラミ
ティが生まれた時は髪の毛が生えず写真を撮る意欲が湧かなかった。風呂では湯船に落としたし、フィールドアスレチックでは
滑車を滑って最後に抱いた娘を落っことした。まだまだ一杯ある・・・

     
                  西山のツガザクラ

そんな不憫な娘が視界から消えると、すぐさま西山へ向かって不毛の台地を進む。銅山峰にはツガザクラを保護する為に沢山の
ロープが張られている。西山への登山口斜面に近づくとロープは無くなり身近にこの清廉な花を見ることが出来た。この標高
1,300メートルの砂礫地に咲く亜高山植物ツガザクラの銅山峰、すぐ隣には赤石橄欖岩のお花畑と大自然の貴重な財産が
この赤石山系に存在している。

西山頂上は狭く、周りの木から綿毛が飛んで吸い込みそうだ。これを避けるようにツナクリ山方面へ進むと、松山から来られた
御夫婦が綿毛を避けて道の真ん中で食事をされていた。私が近づくと恐縮して立ち上がった。おむすびを手から離さない表情が
とても良かったので写真を撮らさせて頂いた。この台所から直接銅山峰へ飛び出して来たような格好。そう!これが銅山峰山歩き
のフォーマル・ファッションと言える。

  
        西山山頂            明るい松山からの御夫婦

 
西山から東赤石 (真ん中の丸く出た所)  沓掛山と黒森山

急斜面を下りていると女性の声が大きく聞こえる。峠まで下りるとツナクリ山方面から集団がやってきて、峠で体をかわした。随分
前から声が聞こえていたのに、出会うまで時間がかかった。女性の声は相当遠くまで空気を伝わるようだ。この中年女性の声帯波長
が昼休みの喫茶店で私を悩ませる原因となっている。

峠分岐から沢道を通りガレ場を抜けて牛車道へ出るルートは2年前にツナクリ山のアケボノツツジを見に来た所だ。あの時は風雨
が強かったのでガレ場が危険にさえ思えたが、天気の良い日はどうってことない傾斜であった。

  
   ツナクリ山への分岐            足谷川最上流

  
  足谷川の岸辺に咲くツガザクラ    ガレ場(中央部を登山道が横切っている)

この砂(岩)礫地にもツガザクラがたくさん見られた。少し足谷川の源流近くに下りて綺麗に澄んだ谷川の水辺に咲くツガザクラに
見とれしばし休憩。今回は花が目的なのでいつものセカセカ山歩きとは違ったペースで疲れも無い。「萩生の森」さんや「くろもじ」さん、
「ぐるっと蘭」ちゃんはいつもこういうゆとりの山歩きをしているのだろう。

さて、元の牛車道に復帰して銅山越に帰る。今度は峰地蔵さんから右に折れ、西赤石への尾根道を進む。ここのツガザクラ街道を上
がり、北側の見晴らしの良い場所で食事にしようと思うが女性人が話に花が咲いているので遠慮して東山へと登山道を南に折れる。
小石が沢山積まれた狭い東山も人が一杯で、結局ガレ場まで上がりツガザクラ自生地の南奥で食事とする。

   
  峰地蔵手前のツボスミレ         東山付近のツガザクラ

  
登山道のツガザクラを撮るカメラマン     石が積まれた東山頂上
高嶺フラワーズみたいに寝転んでいない  向かいが西山、その奥が沓掛・黒森

東山から少し上がってツガザクラの自生地である砂礫地を過ぎると、左側に「銅山峰ヒュッテ近道」の標識があり、そこから急な下り坂
を「上部鉄道」跡まで下りる。ここでも日当たりのよい岩場斜面にはツガザクラが見られ、登山道の脇にはアカモノが咲いていた。他の
花も探すが、日当たりが悪く「ぐるっと山の葉っぱ」しかない。さらばとてエンレイソウやツクバネソウ、せめてマムシグサ系統の葉っぱ
をと、首を長く伸ばし360度回転させてロクロ首的探索をしながら歩くが、つまずきジローになるだけだった。

上部鉄道跡に下りて、銅山峰ヒュッテあたりのアカモノを観察。伊藤玉夫さんらしき声が中から聞こえたが、勝手に立てた串ヶ峰の標識
の件があり周りをウロウロするだけで挨拶のチャンスを自ら逸してしまった。私は飛び込みの営業マンへの転職は無理な様だ。ヒュッテ
奥のアカモノ自生地では御夫婦が大きなカメラを構えていて、広場では大学生らしき若者が大勢輪になって青春の交流に花を咲かせ
ていた。
銅山峰ヒュッテの東側に水場があり、今晩の伊藤家のビールが冷やされている。

  
   角石原 アカモノ自生地       角石原水場 伊藤家のビール

広い登山道を東平へ下る。花はウツギ類が殆どでこの30分の行程でも成果は無しに等しかった。「念ずれば花開く」 坂村真民になった
つもりで花よ・花よと念ずるが如何せん念力の乏しいこの破戒中年の念仏は虚しく谷合いに消え去った。

第三通洞まで下りて、広場の使用禁止の遊具に座ってこれからのヤブ漕ぎに備えてスパッツを付けていると沢山の蝶が舞っていた。
これじゃ! 花がダメなら蝶!
でもこんないい加減な変心に応えてくれるほど自然は甘くなかった。この思わせぶりな元気者はやっとイモムシから開放された喜びを
精一杯謳歌して天空を飛び回る。じっと出来ないモデル失格の蝶に見切りをつけて、さあここから自転車の置いてある遠登志渓谷まで
初めての道を下る事にする。

  
  第三通洞 明治35年貫通      東平変電所跡(この脇から遠登志に下る)

  
 ユウマダラエダシャク(蛾)           ヤママユガ (蛾)

 
       コミスジ                 アオスジアゲハ

  
        カラスアゲハ              クロアゲハ(?)

変電所跡から道が続くが、結構草が生い茂っている。ふむふむ、何だか花の匂いがするぞ!と「にわか植物写真家」に逆戻り。でも
へびちゃんもいそう。ここから鹿森ダムまでの道は江戸時代から続く「仲持ち道」で多くの人々が往来した歴史のある生活道だった。
最近まで銅山峰や西赤石への登山道として利用されていたが、マイントピア東平まで道路が整備され、今では一部の登山者しか通ら
ないらしい。
いきなりあった〜 花があった! 「念ずれば偶然花開く」 ちっとも珍しい花ではないけれど私にとってはこの際やんごとなき花なの
です。でも名前は総て(?)マーク いままで道端に咲いている花を見てこんなに喜んだことは無かった。

   
  キツネノボタン (?=語尾を上げて下さい)  ハコベ (?)

  
 オニタビラコ(?=語尾を上げてください)     ガクウツギ (?)

  
       集団ユキノシタ            個体ユキノシタ

最初は草深かった道も意外としっかりしており竹やぶの間には昔の住居の面影が残っている。暫く歩くと左側に大きな滝が出現。地図
には全く載っていないが相当落差のある立派な滝だった。これを過ぎると橋があり、左岸に渡ると分岐の標識があった。ここから左へ
登ると東平、右へ下ると遠登志(おとし)登山口となる。

   
竹やぶと石垣に囲まれた登山道       いきなり大きな滝が出現

 
 この橋を渡ると東平への分岐標識がある。  登山道

ここからの道は丁度東平から銅山峰ヒュッテまでの道に似ており、本谷川に沿って登山道とは呼びにくい広さを持ち、所々に
岩の渓谷などもあり変化に富んでいる。比較的平坦な草道を歩いていると向こうから外国人が歩いてきた。初めてこの歴史
街道で会う人間が外国人だった。挨拶してすこし立ち話をすると、アイルランドからやって来た白人で、息子さんが新居浜の
英会話教室ノバで講師をしているのではるばる訪ねて来たという。

何でこんな道知っているの?と聞くと「たまたまマウンテンバイクで別子ラインにやってきて綺麗な遊歩道があったので歩いて
きた」と言う。スパッツを付けた日本人と短パン姿でハワイの観光客の様なアイルランド人はなおも会話を続ける。ここが銅の
鉱山だった事は知らないし、アカモノ、ツガザクラの花も当然知らなかった。
どんな花だと聞くのでこのちいさな愛らしい花のデジカメ写真をモニターで見せるとメガネを出してきて「オー ビューテイフル!」
と愛想よく笑った。

「この先にある建物に何か茶色い動物が3匹いた」というのでそれは恐らくサルだろうと答えて、蝶ー花ーサルの図式がひらめ
いた私は「それを写真に撮ってきます」と言って別れた。後ろから「サルは怖くないのかい?」と聞くので「ノープロブレム」と答
えると「グッドラック」いう発音のいい言葉が谷あいに響いた。

   
  登山道から見る本谷川の渓流      緑の登山道

 
 アイルランド人 発見           レンガ作りの建物が

レンガ作りの建物が道と谷川の間にあった。何の施設だったんだろう。あたりを静かに見渡すがサルの姿は無い。 いろんな
音色で口笛を吹いて呼び寄せるが鳥のさえずりしか聞こえない。がっかりして又「にわか植物写真家」に戻って遠登志への道を
進む。木々の間から鹿森ダムの湖面が姿を現わし、遠登志が近い事がわかった。道は何度も別れて標識も無いが、ひたすら
右へ右へと選択して下りて行く。おそらくどちらの道を通っても合流しているだろう。

深い谷にかかる遠登志(おとし)橋を渡って暫く遊歩道を歩くと、先ほど会ったアイルランド人の自転車があった。遠登志の看板
横へ駐車していたすこし空気の抜けた愛車にまたがり、マイントピア別子のあふれる車を横目で見ながら自宅まで軽快に下る。

  
鹿森ダムが見えた               遠登志(おとし)への分岐

 
 遠登志(おとし)橋            自転車を収納して両親と玄関口で

自宅には予定通り午後3時に到着し、両親と娘に再会した。

今回の山歩きは、主目的がツガザクラ・アカモノの花を見る事だったので、ついでに花を眺めながらゆっくり歩いてみた。しかし
ながら、如何せん「急性花観賞欲求症候群」の中年患者では、なかなか思うように花を見つける事が出来なかった。
萩生の森さん、くろもじさん、ぐるっと蘭さんのように普段から花や木に関心を持って愛さなければ、花は期待に応えてくれない事
がわかった。

そういう意味では意義深い故郷の山歩きを体験できたようである。



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