平成16年3月21日 「串ヶ峰」へ標識を立てる旅 日浦登山口ー銅山峰ー西赤石ー物住頭ー上兜山ー串ヶ峰 往復 12時間
三森山上空約2,400mより銅山峰ー西赤石ー物住頭ー上兜山ー串ヶ峰 カシミール3Dによる過酷かつアバウトなルート図 実歩行11時間
故郷 「新居浜」を優しく見下ろす我が「串ヶ峰」へ標識を立てる 3月21日
いい加減な動機で始めたホームページが平成16年3月で一周年を迎えた。このホームページのルーツは我が心の故郷(ふるさと)
への旅、狭い意味では「別子の峰」「愛媛の山」少し広い意味では「四国の山々」への旅となる。
この旅が出来るのは今、私がここに存在するからであり、生を受けた祖先や両親、そこそこ健康な体、わがわまを許してもらえる家族
の理解、山友達の励まし、多少の心と経済的な余裕等々、どれも欠かせない大切な条件だ。
私が小さいときから見上げながら育ったこの串ヶ峰へ来れたのも、山友達との共感や「waiwaiさん」のHP、「やぶこぎ大将」との遭遇、
伊藤玉夫さんの本などのお陰だった。この思いを噛み締めながら、ゴルフの師匠「松山」大明神に作ってもらった標識に感謝の心を
込めて前日ニスを塗る。
仕上げの白を入れる松山さん ボク運ぶ人 アナタ作る人
3月21日朝5時に高松(正確には国分寺町)を出て新居浜へ向かう。本来、串ヶ峰へのメインルートは窓ノ滝からの藪漕ぎ道であるが、
この2本の標識がお供では無理。だから東平(とうなる)から銅山峰ヒュッテ経由で登る事に。しかしこの登山道への道は当日道路工事
で不通になっており、急きょ大永山トンネルを越え別子山村の「日浦」登山口から出発する事に変更。まあこの際どちらからでもいいや
別子山村 銅山峰 日浦登山口 藪漕ぎで苦戦を強いられる標識を背負う
日浦登山口に7時過ぎに着く。大坂ナンバーの車が1台だけあった。当初は物住頭からの厳しい藪漕ぎに備えて表札と杭とは別々に分解
して持っていく予定だったが、松山さんが「ネジが緩んでたからしっかり締めておいたよ」との事で完成品の形でリュックに背負う。さすが重
い!バランスも悪い!お山で片道5時間半も担いで登る現実を知らない製作者に無償で頼んだボクちゃんが悪いのよ。 分解したところで
いざ組み立てる段になりスパナを忘れて来たり、ネジが一本足らなくなっている事は今までの人生で充分証明済みだ。
銅山越(どうざんごえ)までの「旧別子登山道」はそれだけの目的で来る人がいるくらいノスタルジックなルートだ。新居浜を支えた別子銅山
遺跡の雰囲気を味わいながらゆっくりと歩いてゆく。旧別子に詳しい簀戸(すど)臨時隊長のもと、アケボノツツジを見物に「エントツ山登山隊」
が風雨の中歩いたのはもう2年前の事になるのか。
接待館跡 劇場跡
ダイヤモンド水の休憩所 谷を渡る橋
登山道分岐 旧別子部落も「元(はじめ)に帰る」
登山道の分岐があり、真っ直ぐ進むと大山積神社跡ー蘭塔婆経由で銅山越へ、一方橋を右に渡ると見晴らし台経由で、結局は歓喜坑下
で合流する。景色の良いのは橋を渡って右側だが、山の神「大山積神社」に標識設置のご挨拶をする為に直進する。
大坂からの登山者 大山積神社 奥に狛(こま)犬がいる
途中の木橋で登山者4名に遭遇。聞くと前日大坂から昨日来て日浦から登り、赤石山荘(東赤石)横でテント泊をして下山中との事。背負っ
た標識を見て「串ヶ峰」って何処ですか?と聞かれたので「物住頭の出っ張りです」と言うと場所は大体わかって頂いた様だ。どうせなら
「ツガザクラ」か「アケボノツツジ」の時期に、せめて夏の「お花畑」シーズンに又おいで下さいと言って別れた。
大山積神社でお参りして、蘭塔婆下を更に進むと谷の右側コースに合流。ここで又新居浜の星越(ほしごえ)から来た男性一人に会う。
「串ヶ峰は知ってますか?」と聞くがやはり知らなかった。お山の形は知ってるんだが、何せ地図に載っていないんだものねえ。こっちだっ
て伊藤玉夫さんの「赤石の四季」付録地図で初めて知ったのだ。
歓喜坑跡 17代目住友吉左衛門お手植えの杉 石畳登山道には雪が 銅山越 峠のお地蔵さん
別子銅山試掘の際、品質の良い銅鉱石が出て歓喜の声を上げたと言われる歓喜坑の前には平成8年に「17代目住友吉左衛門
お手植え」の杉が旧別子の山谷を見下ろしていた。住友家17代目さんは一体どこに住んで何をしているんだろうか?いまでも
住友とは深い関係を持たれているんだろうか・・・
銅山越で、この別子銅山「下部鉱山鉄道」の終点駅、星越(ほしごえ)から来た新居浜人にしこたま「串ヶ峰」の宣伝をして「ツガ
ザクラ街道」を西赤石へと進む。先は長〜いのだ。
西山と手前の銅山越が次第に遠ざかる 南側には平家平から伸びた山々が
チチ山、笹ヶ峰はまだ雪山だった JR四国のグループに遭遇
銅山越からツガザクラの保護ロープを張った尾根へ登っていく。まだ「アカモノ」や「ツガザクラ」の蕾(つぼみ)の痕跡すら見られない
殺風景な登山道を進んでいくとこの日3度目の登山者に遭遇。(よっしゃ! 又串ヶ峰の宣伝が出来るぞ!)この方達は松山や香川
のJR四国の山仲間で5月13日ー15日にこの辺りでJR四国登山競技会を開催するので下見に来たらしい。弟地に車を置いて朝5時
に来たと言う。
串ヶ峰の標識を見るなり「それはどこにある山ですか」と2万5千分の1地図を出してくる。さすが下見に来るだけはあってちゃんと地図
を持っている。でも残念ながら串ヶ峰は2万5千分の1地図には載っていないのよね。地図上で物住頭から出ている肩の端を指差して
藪漕ぎ道を示すと「ほ〜」と感心したのかあきれたのか判断に苦しむ反応だ。 伊藤玉夫さんを知っていたので素人ではなさそうだ。
雲海の西条方面と手前の東平(とおなる)
まあ、とりあえず串ヶ峰の宣伝だけは出来たので「3番線から串ヶ峰行き発車しま〜す」と言って別れる。「お気をつけて」と山男の友情
を感じる挨拶を背中に貰った。 1429mのピークを喘ぎながら登ると見慣れたコブダイの様な西赤石山が姿を見せる。こちら側から見る西赤石はいつ見ても不細工だ。
尾根の登山道 笹ヶ峰の右奥には石鎚山が見える
西赤石山が見えた 西赤石より北面 兜岩と石ガ山丈 チチ山・笹ヶ峰 瓶ヶ森 石鎚 沓掛山 黒森山 西赤石頂上にて ここでまだ目的地までの行程の半分です きゃい〜ん
いつもの「通りすがりの西赤石」を過ぎると左手にやっと物住頭(ものずみのあたま)から伸びる大女の肩が現れる。この肩には4つ目
のピークに「上兜山」がヤマアラシのようにザンバラ頭を見せ、それからはなだらかに串ヶ峰へと伸びて行く 西側には「平家平」、「冠山」を経て「チチ山」、「笹ヶ峰」へと続く石鎚山系が見渡せる 南側には「三森山」や「大座礼山」、「東三森山」などが小ぶりながら端正な姿を見せる。
雲ヶ原より見た串が峰(左端標識の上) と上兜(とんがり) これが「赤石山系尾根道」 物住の頭より北西に伸びた大女の肩だのだ
「物住の頭」へは最後の急登となる。しかしこの急坂がまともな登山道に終わりを告げるしるしでもある。ここからは道は無きに等しい
。どんなに急な山道でも「登山道」があると言うことは何と素晴しい事なのか、今からそれを思い知る旅が始まるのだ。
岩の回廊を過ぎると物住頭への急登へ 赤石橄欖岩の始まる「前赤石」岩峰
物住頭付近から南西方面を振り返る (冠岳は冠山と訂正)
西赤石からの尾根道 その後ろには笹ヶ峰、瓶ヶ森、石鎚山が織り成す
物住の頭(ものずみのあたま)から東はいきなり赤茶けた橄欖岩(かんらんがん)という岩山に景色は変貌する。誰も見た訳ではないが、
地下深層部のマグマが堆積層を突き破って「おじゃましま〜す」と出てきた「深生火成岩」らしい。
一方、物住の頭を一歩北に入るとそこは今までの快適な尾根道とは別世界だ。この北斜面には雪が残っており潅木、スズタケ、シャク
ナゲの「大いなる藪漕ぎ道」となる。ここから小二時間は2本の標識が藪漕ぎの足手まといになるだろう。覚悟の上とは言えこの物住の
頭を北に降りた直後からキリストが十字架を背負いながら歩いたゴルゴダの丘への試練となった。
藪漕ぎへの扉 「物住の頭」 雪が残っている北斜面
スズタケの道 スズタケ +潅木 + 雪
シャクナゲのジャングル 後ろ姿を撮ってみる 絵にならん!
3度目の御馴染みさんになった私にこの藪漕ぎ道は苦しみを癒してくれる素晴しい展望を要所で与えてくれる。藪と藪の間に岩場があり
そこから東西南北の景色が拝めるのだ。東赤石、権現山、黒岳、エビラ山、二ツ岳などのそそり立つ屏風から少し間をおいて赤星山
が伊予富士と呼ばれるに値する端正な姿を見せる。 西側に開けた場所からは西赤石から石鎚方面が一望、今日は標高1000m以下の娑婆(シャバ)は雲海の下だ。
赤石山系の岩壁 (赤石橄欖岩) 西赤石と雲海
寝癖の頭 上兜山 上兜山の「waiwai しゃもじ」
「小さい方の標識」はリュックから頭を出し障害物競走の邪魔をする。「大きい方の標識」は甲子園の入場行進スタイルで両手がふさがり
藪の小枝が手首や厚顔を引っかく。余分な水や荷物の重さでヨタりながら、もう全身が心臓の様にバクバクしながらやっとの事で上兜山
へ辿(たど)り着く。
ここでの楽しみは「waiwai 隊のしゃもじ」との3度目の御対面だ。さすが「お千代さん?」いや「しゃもじ」は頑丈だ。ちょっと日焼けをし
ながらもしぶとくぶら下がっている。それにくらべて私が吊るした「100円ショップの金魚」は賞味期限が切れてあっけなく墜落していた。
金魚はしゃもじとのにらめっこに負けた!
さて、ここから串ヶ峰までは潅木のジャングルとなり、標識を持つ者にとっては苦難の道となる。最初は標識に傷が付かないように配慮
していたが、疲労の極致を体験するともうそんな事はどうでも良くなる。裏を返せば「人間衣食足りて礼節を知る」で余裕が無ければ配慮
・思慮が足りなくなるものだ。それも度を越してくると「誰がこんな重たくてデカイ標識を作ったんじゃ!」と逆恨みまでしてくるから大変だ。
「上兜ー串ヶ峰ヤブ漕ぎ線」は総てこの状態 上兜から物住頭を振り返る
「総ては時が解決する」・・・・・ 時間という魔物は人間にとって一番残酷なものなんだけど、一時的には人間を助けてくれる。わめきな
がら、嘆きながらも始発の「物住頭」や「上兜山」のとんがり頭が次第に遠ざかっていく。藪で串ヶ峰は全く見えないが、遠ざかる後ろの
風景で間違いなく近づいている事がわかる。そして結末はあっけなくやって来た。テレビドラマだとこの瞬間、感動的な小田和正のメロ
デイがバックに流れてくるんだけど・・・ ワレ串ヶ峰ニ ブジ到達ス
ぎゃっはっは〜〜 串ヶ峰に標識を立ててやったぜ!
この「大女の肩」にしてみると、「串ヶ峰」という名前を勝手に付けられただけでも迷惑しているのに、標識まで何の相談も無く運んできて
(それも2本も)おっ立てる無礼な霊長類にあきれている事だろう。 持って来たバールで大女の肩を掘るが結晶片岩の板が無数にあり
なかなか抵抗が激しい。おびただしい量の大小さまざまな平行四辺形の節理岩板を掘り起こして標識を立てる。
小さな方の一本は下の「新居浜展望所」に立てるつもりで、又藪漕ぎをして串ヶ峰から急坂を10分くらい下がるが、この展望所は記憶
よりまだ下にあるようだ。ここを又登ってくる事に恐怖すら感じたので途中で諦めて引き返す。この標識を又持って帰る気力もないので、
結局狭い山頂(肩)に2本も標識を立てる事になってしまった。救いようの無いホモ・サピエンスだ!
許せ串ヶ峰 (台風で1本くらい吹っ飛ぶので丁度良い保険かも)
串ヶ峰からスズタケを抜けるとこんな景色 小さな標識は西赤石をバックに
さあ! 帰りゃんせ ♪ 往きは良い良い ♪帰りは遠い
串ヶ峰から無為な下りに時間を労して時間は午後2時になってしまった。(登山口から7時間経過) 今度標識のメインテナンスに来た
ときに小さな標識を下の展望所へ移動するj事にしよう。 撤退〜〜!
藪漕ぎ始発駅、物住頭までの距離を見てウンザリするが、帰りは両手が使えるので楽チンこの上もない! 幸福とはかくも相対的な
ものだ。 大いなる藪漕ぎ帰り道 「串ヶ峰ー上兜ー物住」線
帰りは両手が使える串ヶ峰の藪 上兜山手前の登り
赤星山と二ッ岳 「かけさこの尾」とその尾根にある下兜山
やけっぱちになってガンガン隙間を見つけて進んでいく。確かに以前、道はあったのだ。そういう幅の名残りがある。要するにここの
藪漕ぎの鉄則は「尾根を歩け」だ。、疲労すると、しばらく休んでも登りになると急にバテ気味になり、小さな障害物にも足を取られる。
上兜から左の尾根端を通るルートは藪が痩せており通り易い。しかし左の崖が見えない場所が2箇所あり注意を要する。また大岩を
登り降りする箇所も2箇所程あり変化に富んでいる。 尾根を外すとスズタケの密林に迷う込む。
正面右に高縄山系が頭を出す 藪こぎも又 楽し? ウソピー
シャクナゲの幼木を踏まないように歩く 物住頭への急登 藪漕ぎ登り線
この時期 雪は嬉しい 最後の登り もうすぐ登山道だ
北斜面は雪が残り嬉しかった。ピークから遠くになった串ヶ峰を振り返る。何の因果でこんな所まで来る事になったのか。自分自身でも
説明できない。ましてや身内や他人様にどうして説明できるだろう?物住頭に帰り着き、気の遠くなりそうな銅山越への帰り道を眺めな
がらもそんな思いが又頭を巡った。 「waiwai 藪漕ぎ隊」がHPで言っていた「さあ 高速道路(登山道)だ!」
第2ピークより藪漕ぎ尾根道 上兜経由串ヶ峰までの行程 (最初は上兜まで2時間かかったが今は1時間で行ける 上兜から串ヶ峰までは30分弱)
雪は降る ♪ 帰りは遠い ♪ 西赤石でまたアゴが出る
西から雪空となり小雪がちらつき出した雲海の銅山峰
西へ西へと銅山峰の尾根を進むと墨絵のような美しい雲海の上に飛び出した山々に雪が舞っている。 冷たい風が心地よい
くしくも我が社の後輩ウェストウッドがこの「山キチ上司」に向かっていみじくもノタマった「原さん!もうすぐ高〜い所(天国)に行ける
のにどうして今わざわざ高い所(山)に行くんですか?」の迷言を思い出して笑った。なるほど、ひょっとしたらこれが天国の風景かも
しれない。
白色ダイオード懐中電灯が点灯しないハプニングもありながら銅山峰の天国から薄暗くなった旧別子登山道をシャバに向かって
下り、午後7時無事日浦登山口に帰り着いた。
かくして「串ヶ峰に標識を立てる登山」は切り傷、擦り傷、筋肉痛を運搬者に残しながらも色々な人の暖かい協力によって、
平成16年3月21日無事成し遂げられた。
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