望郷シリーズ 我が山登りのルーツ 「エントツ山」と「赤石山系」
(これは2004年=平成16年作成したものです |
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故郷を想うときふと口にでる歌、演歌ではありません。 校歌の話です。校歌には故郷の山や川が必ず歌われて
います。
私の通った「新居浜市立角野中学校」校歌を口ずさむと 朝日に映ゆる ♪ 別子の嶺 に ♪ と う〜ん 確かに出てくる 「県立新居浜西高等学校」校歌は 明日に高くそびえ立つ ♪ 四国の嶺 にこもりたる ♪ はい はい確かに
威厳を重んじる校歌にはさすがえんとつ山は出てきませんが、子供時代「エントツ山」は私達の遊び場でした。)
私の叔父さんなどは小学校のとき、先生からいたずらの罰としてえんとつ山まで一周させられたと言ってました。
私自身もばあさんが柴餅やパンを蒸かす時に葉っぱをとりにいったり、正月のしめ縄作りのシダを取りにいったもの
です。正式には「生子(しょうじ)山」と言いますが誰もが「えんとつ山」と昔から呼んでいます。この煙突は明治19年
から21年にかけて作られた山根精錬所の高さ18メートルのレンガ作りです。明治28年には亜硫酸ガスの煙害で廃止
されましたが、新居浜市の上部地区シンボルとしてそのまま残っているんです。
別子ラインへの入り口 エントツ山 と 上兜山の肩(左奥)
この下には山根グランドがあり、子供の頃は鉱山社宅がズラ〜と並んでおり友達の家に遊びに行き、全く同じ造りの
長屋の為、間違って違う家に上がりこんだものです。今は立派な「山根運動公園」となりテニスコート、水泳プール、
グランドが整備されて、昨今の健康増進ブームで夜遅くまでウォーキングをする人たちで一杯です。
ここの駐車場が我がヘナチョコ登山隊の集合場所です。「エントツ山から四国の山へ」の HPタイトル発祥の地です。
新居浜の南には連々と「赤石山系」の山塊が列を成し、角野町からは物住頭から北にせり出した脊梁が「上兜山」
(1,561m)を経て更に北東へ伸びた肩部(新居浜の「藪漕ぎ大将」T氏と平成15年10月26日上兜山で遭遇し、この場所
が「串ヶ峰」と教えられる。)の肩威風堂々たる姿が我々を見下ろし、春先まで深く切れ込んだ谷間に幾筋もの白い雪
が頂上から伸びています。
子供心にいつかはあの頂上から逆にこの新居浜を見おろしたいと思っていました。そしてそこに登るにはえんとつ山
から2層にも3層にも続く尾根伝いにしか行けないんだと考えていました。
新居浜国領川付近から見る 上兜山
(1,561m)の肩 串ヶ峰
高校時代になって新居浜市内の高校から角野へ帰る自転車から見えるこの雄大な山を見るにつけあのお山の天辺から
生まれ故郷を見たいという思いが強まりました。(通学の行きはいつも寝坊して遅刻寸前猛ダッシュ自転車こぎの為そん
な事を考えるヒマもありませんでしたが・・・)
時は過ぎ、高度経済成長の荒波にもまれた青春、壮年期の忙しさの中でこの私の小さな夢も次第にシャボン玉の露、、
忘却の彼方に・・・
この消え去ろうとした小さな夢は50歳を過ぎて、私の山登り開眼で達成される事に
念願叶い「西赤石山」天辺から見下ろした我が故郷 新居浜
西赤石山頂上から故郷の町新居浜を見渡したこの時の感激はいまだに忘れる事が出来ません。町全体が思ったより白く、
双眼鏡で覗くと「えんとつ山」とそこから続く国領川の流れ、町を上下に分ける国道11号線、遠足で行った滝宮、金子山、新居
浜の工場地帯と港。22年間暮した我が家(実家)からこの山が見えなかったように、手前の山に隠れて見えませんでしたが、
すぐ横の小学校運動場まで見ることが出来ました。頂上から新居浜に向って美しい山々が連なって下って行きます。 故郷の山河!いいもんです。 いつまでもこの美しい自然が残っていきますように・・・・
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