平成21年4月6日  第一次泉屋道(仲持道)を探せ  
浦山川・大野城ー赤星南西稜線ー出合ー小箱越ー第一次泉屋道徘徊ー峨蔵越ー大野城


赤星山〜二ッ岳の間 これと言って見せ場の無い 山頂を踏まない徘徊記  (マーシーさん ガクちゃんと )

カシミールソフトを使った不完全なGPSトラックログ図
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)を使用したものである 

赤星ー峨蔵越の稜線歩きが残っているガクちゃんをマーシーさんが面白いルートを案内すると言うのでこの山行に参加する事にした。
大酒飲みの二人は前日から大野城近くで泊り込み飲み明かす予定らしい。

入野から浦山川に入ると見事な大桜満開で、その向うに二ッ岳が見える。大屋敷を過ぎて、昔料亭だったという大野城近くで二人に合流。
前日の雨で水かさが増し、轟々たる水音で良く寝れなかったと言う。 前日からのキャンプに参加しなくて正解!!

07時30分採石場跡に車を停めて、貧弱な桜に染まるチョ〜寂しい大野城を左手に見ながら少し浦山川を下がる。え?
住友共同電力の鉄塔巡回路を伝って赤星山の南西稜線へ至るのが今回のルートらしい。 地味〜〜〜 
まあここまで来てしまったのでしょうがない。

 
入野の浦山川に咲く桜 奥に二ッ岳の東尾根が見える     採石場跡が車のデポ地

 
 浦山川を挟んで寂しい「大野城」が見える               住友共電の保線路取り付き

植林と自然林が混在する快適な鉄塔巡視路を赤星山の北西麓に沿って登って行く。岩と自然林の取り合わせが絶妙で
結構退屈しない歩きが楽しめる。鉄塔付近は樹木が切り払われて見通しが良く熊鷹山の北側にある1,007.1m ピークや
二ッ岳が眺められた。

 
   岩と潅木の鉄塔巡視路                         寝不足気味のガクちゃん

 
   鉄塔付近から二ッ岳などの峨蔵山を眺める             赤星山の北西麓

  
                  こんな尾根が好きやねん  


 
あの向うに見えるバリカン刈が目指す稜線 遠い〜       広々とした場所では植物が沢山見られる

登山口を出発してから約2時間程歩くと、スペース豊かな潅木の自然林斜面となる。この辺りにはヤマシャクヤクが群生
しており、人間にまず見られないであろう花を毎年咲かせているのだ。
草花を目的とした山歩きには縁のないイノシシ達ではあるが、偶然に遭遇する可憐な植物や花にはふと目が行ってしまう。
自然の中で自然に咲いている姿が心和ませてくれる。

こんなもん、掘り返して持って帰り、派手な観賞用植物の植わっている自分の庭に植える人の気が知れないよね。

 
         ハルトラノオ                          ヤマシャクヤク

 
       ユキワリイチゲ                             君はシコクブシなの?

 
      コバイモ (このこげ茶色は見つけにくい)         この色はあまり見たことがなかった

  
                    こんな場所に沢がある

潅木の中に滝の音がする。その上流部を渡り更に進むと、いよいよ稜線へ向けての最後の登り傾斜となる。ザレ場の傾斜
を登って行くとコバイモをガクちゃんが発見。その後マーシーさんも発見。私も探すが目が悪いのと花に縁がないのかついに
見つける事が出来なかった。 ちょっと悔しい気分やなあ。

 
            エンレイソウ                               ハシリドコロ


眼前が見通されて来て、目指す稜線が近い事が感じられる。稜線直前に鉄塔があり、その付近から二ッ岳の二本角とその
向うにエビラ山、黒岳、その又向うには赤石山系から上兜ー下兜の「かけさこの尾」が霞んでいる。「あそこを歩いた」という
実績が見る景色に「ある種の感情」を移入させる。山歩きの経験を積む者に与えられた役得だ。

潅木の上に現れた景色を振り返りながら歩いていると 11時15分、赤星山の南西主稜線に着いた。登山口から3時間半の
行程だった。


      住友共同電力鉄塔付近から眺める西側の峨蔵山・赤石山系の山々

 
最後の急坂や こんな所に植林伐採作業の跡がある      11時15分 稜線に到着

赤星山から峨蔵越への稜線歩きは以前マーシーさんと歩いており、その時の記憶より稜線道は整備されている様だった。
野趣溢れる尾根は遊歩道化していた。
12時12分広い場所を探して昼食を取る。いつもあまり休憩を取らない山歩きなので昼食は唯一の休息となる。男同士の
四方山話も又楽し

その後又尾根歩きを再開し、12時45分 「出合峠」と思われる分岐点に着く。ここでガクちゃんが「稜線歩きは大体わかった
し仲持道に興味があるのでそちらを進みましょう」と提案。ここから小箱越へ「仲持道」を歩く事にする。
小箱越と銅の道=中持道は切っても切れない関係にある。


 
      中尾から延びた林道との交差点              稜線にあるイノシシのヌタ場

 
                 退屈な稜線歩きには 写真のポーズが大事やね

 
         ちょっと笹藪もあるでよ                広い場所で昼食とする


 
ガクちゃんの自作スパッツ (沢モノを利用)            「出合峠」 分岐か?  ここから稜線を外れる


別子銅山 「仲持道」とは

別子銅山が開鉱された元禄4年(1691年)当時、銅山峰の南嶺は幕府の天領であった。粗銅の運搬は北側の新居浜側へ
運ぶのが誰が考えても合理的なのだが、そこは西条藩領の為通る事は出来なかった。そこで旧別子から銅山川沿いを
芋野中宿ー小箱越ー出合峠ー勘場平中宿を経由して浦山川を下り、土居の天満港(天領)まで仲持衆と呼ばれる運搬人
により延々と運ばれていったのだ。

この別子銅山開鉱初期に11年間程使われた道が第一次仲持道(第一次泉屋道)と呼ばれている。

仲持(中持)衆は男40〜45KG、女30KGの荷物を背負って山道を運んだって言うから、近頃のお泊り登山家もビックリの
ボッカ集団であります。

下に引用した地図は伊藤玉男さんの著書「あかがねの峰」巻頭付録地図「泉屋道と立川銅山道筋(元禄・宝永期)です。
この中で「一次泉屋道」とされているのが別子銅山初期に利用されていた粗銅や生活物資の運搬道「仲持道(中持道)」


伊藤玉男さんの著書「あかがねの峰」より

その後、元禄15年(1702年)頃からは仲持道は江戸幕府を介して北嶺側=立川中宿ー新居浜口屋ルートの使用について
西条藩の許可を得る事になるのです。

「銅の道」は明治13年から明治26年頃まで牛車道、明治26年から明治44年頃まで上部鉄道と下部鉄道へと運搬方法が
人力から動力へと変遷を遂げるのである。


その「銅の道」のルーツでもある第一次仲持道を辿る為、「出合峠」の分岐から尾根を外れて左側のトラバースの道を進む。
所々で崩壊地があり道が途切れるが、その先の踏み跡を探しながら歩く。このルートは概ね植林地帯で、現在は林業の作業道
となっており、オリジナルの仲持道らしき雰囲気の石垣がごく希に現れる。

300年の月日は仲持道のロマンをおおかた消し去っているようだ。
植林地帯が尾根に近づくと辺りが明るくなり、13時50分潅木と笹に覆われたコルに着く。ここが「小箱越」だった。


 
     植林地帯の踏み跡を進む                        崩壊地を通過

 
    ちょっと仲持道の雰囲気がする                      植林帯の中を進む

 
         又もや崩壊地                      雪が残る小箱越への道

 
   炭焼き窯の跡みたい                         小箱越に出たみたいやぞ


藪に埋もれた冴えない峠「小箱越」  古(いにしえ)には仲持っつあんご用達 峠の茶屋などがあったに違いない


「出合峠」から尾根を外して約1時間でハネヅル山の稜線部にある「小箱越」に到着した事になる。この藪尾根を
東に進めば「ハネヅル山」に至るが、そちらには寄り道をせず更に仲持道を辿る旅は続く。

最初は道が明瞭で幅も広く快適に南へと進む。あまりにも快適だった為ターニングポイントを行き過ぎた事に気づき
地図とGPSで位置を確認し、また下った道を登り返す。

作業道などが入り組んでおりGPSなどを見ながらルートを探す。ヘアピンに折り返すターニングポイント付近に復帰して
3人で手分けして続きの道を探す。 それらしい踏み跡を発見して暫く進むと、1600時 藪が深くなり崩壊地が現れた。

ここには綺麗な水が流れる沢があり、休憩しながら「19時までは明るいから何とかなるやろ」と慰めあう。
さて、ここからは相当ひどい崩壊地でここも3手に別れて道を探しながら斜面を散開して歩く。尾根を巻くので結構行程
は長い。

 
      快適な(?)道                         迷う様な古く窪んだ道跡がある

 
快適な作業道をドンドン下る そして又登り返す          「崩壊地や〜 」  「ほうか〜い」

 
     ここまでは確かに道はあった                むむっ  笹薮やで  おっかしいなあ

 
    崩壊地に出くわすと沢があり、一休み            崩壊地を3手に分かれて道を探す

16時20分 石積みの古道を発見。う〜〜ん この雰囲気は仲持道に違いない!! 突然現れた仲持道を少しでも歩けた
事に満足しながら先を進むと、次第に踏み跡が又心もとなくなり突然ロマン街道は消滅した。
藪を突破して進むと左下に峨蔵林道の舗装道路が見えた。「あれ〜〜? このままじゃ二ッ岳登山口に下りてしまうぞい」と
藪を元に少し引き返して踏み跡まで出て思案する。

もう幾らの尾根を巻いて歩いた事か。3人は同時にある歌を口ずさんだ。円 広志の「夢想花」だった。
「巻いて 巻いて 巻いて ♪ 歩いて 歩いて あるくうぅ〜 ♪ 」 退屈しのぎに3人で口ずさみながら歩く


               これぞまさしく 「仲持道」やんけ

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ここで突然 エントツ山の替え歌コーナー
原曲は円広志の夢想花  


 「夢想道」


 忘れ去られた 銅の道 ♪  今では峨蔵の 夢の道 ♪

   別子の山から小箱越え ♪ 土居の天満(てんま)へ続くのさ  ♪

 いつの日にか あなたが歩いた ♪ 峨蔵の山麓 辿(たど)ります ♪

   背中の重さが違うけど ♪ 藪の中へと 飛んで行く ♪

 巻いて 巻いて 巻いて  巻いて  巻いて 巻いて 巻いて 巻いて 巻いて〜  ♪

   迷って  迷って 迷って 迷う〜〜  ♪


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ここで仲持道を辿る山行を切り上げて、支尾根を這い上がり二ッ岳登山道に出る事にする。一体我々が歩いた
どれだけの行程が「第一次仲持道」だったのか? どれだけの行程が当時の面影を残しているのか?

16時50分 細尾根を這い上がりコブを越えると登山道に合流した。
あとは快適な登山道をのんびり歩き17時50分 峨蔵越に到着。


 
   仲持道らしき場所を抜けると又不明瞭になる         二ッ岳登山道に出る

 
   あ〜〜しんど 峨蔵越でくつろぐ               う〜〜ん  仲持道は手ごわいなあ

時間は1800日となったが峨蔵越について一安心。後はマトモな道なので暗くなっても問題ないので寝転んで休憩する。
峨蔵越から赤星山への尾根道を見ると、どうも以前より整備されている雰囲気だった。 
あの度肝を抜かれるような大藪尾根も今では快適な登山道が整備されているのかな

「あ〜〜 今日も面白かったなあ  でも良く歩いたな〜」 イノシシ三匹は口々に呟いた。

18時10分ここで寝る訳にも行かないので重い腰を上げる。登山道をドンドン下り、途中で暗くなったのでヘッドランプを
出す。ブラックダイヤモンドのヘッドランプが途中で切れたので、マーシーさんのサブライトを借りて19時30分頃舗装道路
に下り立った。

 
      登山道を下る                        敬天の滝 (鉱山の滝) 滝見台

 
   ヘッドランプを点ける (ガクちゃん撮影)          林道に下り付く   あ〜〜〜ちょっと休もうぜ〜

二ッ岳登山口から舗装道路を大野城近くにデポした車まで駄弁りながら三人で歩く。車に帰るとフロントガラスに張り紙が
あった。「ここで釣りをするには入漁権が必要です。○○で購入して下さい」と言った内容の注意書きだった。

「そりゃ誰もこんな所から山へ這い上がるとは思わんわなあ」マーシーさんと今更ながらに自分達の山歩きを大笑いしながら
帰途についたのであった。  ガクちゃん お疲れさん


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