平成20年5月6日  エントツ山から兜岩に這い上がれ

煙突山(山根公園)−立川山(たつかわやま)ー石ヶ山丈(いしがさんじょう)ー兜岩(かぶといわ)
ー西ノ谷川上流造林小屋跡ー魔戸の滝(まとのたき)ー西ノ谷川尾根ー新田(しんでん)


エントツ山から兜岩まで尾根一直線 、その後も冒険が一杯

      
      この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)を使用したものである 
      カシミールソフトを使ったGPSトラックログ

山根公園(0722h)ーエントツ山(0730h)−立川山犬返し(0850h)-貯水池跡(0940h)-石ヶ山丈駅跡(1000h)-
兜岩(1310h) ー西ノ谷川上流造林小屋跡(1350h) 大岩(1436h)-倒壊小屋(1500h)-魔戸の滝分岐(1520h)-
魔戸の滝(1540h) ー西ノ谷川尾根取り付き部(1607h)ー新田
高速道路脇(1800h )


私のハンドル・ネームをお借りした「エントツ山」から西赤石まで尾根伝いを這い上がるのが山歩きを始めて
からの宿願だった。マーシーさんにその計画を話すと「行きましょう」 話は早い

西赤石のアケボノツツジ偵察も兼ねて5月6日この計画は実行の運びとなった。前日新居浜の実家に泊まり
マーシーさんと07時山根運動公園にて落ち合う。

漠然と新田グランドの観覧席を上がったが、結局大山積神社経由で国領川沿いの煙突山登山口まで移動し
なければならなかった。生子(しょうじ)橋たもと近くにある登山口から久しぶりに煙突山に登る。

私が子供の頃はエントツの下部から中に入って空を見上げる事が出来たが、今はコンクリートで塞がれていた。
100年以上もよく倒れずに立っているもんだ。煙突山は周りの木々が伸びて新居浜方面へ昔の見晴らしは望
なかったが、南側は幾度の山火事があったので立川やチチ山方面を望むことが出来た。

煙突(エントツ)山とは現在の山根運動公園あたりに明治21年完成した山根精錬所の排煙用の煙突
裏の生子(しょうじ山斜面に60m位の煙道を付けて山頂に高さ約18mのレンガ作りで立てられた。
これが亜硫酸ガスなどの煙害で明治28年に廃止されたが、煙突はそのまま山頂に残され、この生子山を地元
では「煙突山」と呼び角野地区のシンボルと
なったものです。

              
             生子山の麓に立てられた山根精錬所と煙突 (明治20年代)

ここの岩は「おんじゃく」「めんじゃく」と言ってチョーク代わりの字が書ける柔らかい石があって子供の頃良く取り
に来たものだ又 お正月のしめ縄に使うシダや蒸しパンに使う葉っぱなどもこの山で調達していた。


 
    新田グランドの観覧席を上がる          エントツ山登山口 (右の道路は角野ー鹿森線 )


   
 100年以上立っているレンガ作りの煙突                 立川方面が見渡せる

煙突山から引き返して 主稜線へ上がる。鳥居をくぐって暫くすると神社があり、その境内の左奥を回り込んで踏み跡
が更に上に続く。 多少藪っぽいがしっかりした踏み跡がある。要するにマイントピアのある立川、端出場の東側にある
尾根を歩く訳だ。 

尾根には木々が生い茂り立川や端出場方面の展望はない。西側前方の沓掛山、黒森山が時々木々の間から見渡す
事ができた。
暫くすると急な下りになり白いロープがある。それを更に下ると岩場の崖がありそこにもロープが架けられていた。
ここが「犬返し」と呼ばれる犬の難所だ。 2匹のイノシシはこの崖をスルスルと(ブヒブヒと?)下りて更に歩く。

やがて鉄塔を越えて暫く進むと広い林道に出た。この道は魔戸の滝手前から右に分岐する未舗装の林道末端で、魔戸
の滝方面から車でこの近くまで来る事が出来る訳だ。この広い道を西側に少し回りこむと端出場方面に向かって何かの
施設跡があり、反対方向の尾根に向かって石段が上に続いている。


 
  藪っぽいが踏み跡はしっかりある            串ヶ峰(中央)と西赤石(右端)


    
               沓掛山とい黒森山


 
  「犬返し」と呼ばれるだけあって崖になっている   鉄塔から沓掛・黒森


 
広い林道に出た (これが魔戸の滝近くから伸びている)  端出場(西側)に向かって何かの施設跡

 
山側には階段が続いている                         何かあるぞ

石段の左側には明らかに導水管を据えつけていた跡らしき跡が残っている。これを登っていくとレンガで造られた貯水地跡
があった。中学校の時 立川に法橋(ほっきょう)という友達がいて簀戸(すど)、直野(なおの)などと言う悪ガキ仲間と立川
からここまで来て遊んだ記憶がある。 同時はまだ一面に水が張られていたと思う。 いや〜〜懐かしい


石ヶ山丈貯水池とは明治45年に完成した「端出場水力発電所」に水を落とし込む為、石ヶ山丈尾根に作られた
貯水施設。
水源は銅山川と中七番川で一旦日浦に集められた水は別子銅山の第三通洞などの坑内パイプを通してここに貯められ、
この貯水施設から当時東洋一の597.18mの落差で端出場発電所に送っていたというスケールのデカさ。

この端出場水力発電所は昭和45年まで発電を行っており、海底ケーブルを使って四阪島精錬所へも送電していたという。

 
端出場水力発電所(今でも建物は現存している)   貯水池には松が生い茂っていた


      
                 「石ヶ山丈貯水池跡」

懐かしいこの貯水場跡の左手へ回り込んで行くと更にしっかりした道が植林地帯に伸びている。しがらく進むと石垣が
あちこちに残されて往時の生活を思い起こさせる。石垣が更に増えて1000時 平坦な広場に這い上がった。
丁度先ほどの貯水池から20分だった。 
ここは何度も来た事のある「魔戸の滝・石ヶ山丈尾根道・上部鉄道(角石原方面)」への分岐点である。

上部鉄道跡がここから一本松停車場跡をへて銅山峰ヒュッテのある角石原(かどいしはら)まで続く。せっかくだから
マーシーさんと石ヶ山丈駅跡を見学。眼をつぶっても蒸気機関車の音が聞こえる程ロマンチックな性格じゃないけど、
別子銅山経営の凄さを現代に語りかける空間には違いなかった。


 
    上部鉄道跡近くの平地に出る           魔戸の滝・石ヶ山丈尾根・角石原(上部鉄道)分岐


     
          まるで城郭のごとく山の中に見事な石垣が残っている

上部鉄道とはダイナマイトの利用などで飛躍的に伸びた銅の産出量に対応する為、明治26年12月に銅鉱石の
運搬効率化を計った別子銅山は、それまでの牛車道に代わって標高約1,100mの「角石原」から標高約835mの
「石ヶ山丈」まで 約5.5kmに何と日本最初の山岳鉄道を通してしまった。

その落ち葉の舞い散る停車場が「石ヶ山丈駅」で、ここに集められた鉱石は索道で端出場へ下ろし、さらにそこから惣開
(そうびらき)の精錬所まで運搬された。(この為に同じ明治26年5月に端出場(はでば)から惣開まで10.4kmに及ぶ
下部鉄道
を既に完成させていたのである。

ちなみにこの下部鉄道は私の新居浜にある実家のすぐ上を通っており、鹿森、打除(うちよけ)に住んでいる生徒はこの
電車を使って通学していた。

        
                      当時の石ヶ山丈駅

 
 ドイツ クラウス社製の蒸気機関車(上部鉄道)        石ヶ山丈駅跡

さあ ロマンチックな歴史回想にいつまでも浸っている場合ではない。今からが有名な「石ヶ山丈藪漕ぎ線」の始まり
なのだ。 二人は夢から現実に戻り気合を入れ、先ほどの分岐点から藪尾根へ突入する。

最初は住宅跡地の様な場所を通り抜けて少し上がるともう早くも藪が始まる。春光を浴びたピンクのアケボノツツジが
青い空に輝いている。山で一番好きな花は?と聞かれれば即「アケボノツツジ」と答える。それくらいこの桃色は我が
心を虜にして止まない。


今まで何度かこの藪尾根を歩いているが、決まってアケボノツツジの季節だ。このピンクがある限りどんな山歩きも楽
しいものとなる。又 程よい笹と灌木の取り合わせは山の美しさでもある。ここにツツジなどの彩があると更に理想的。



 
石ヶ山丈尾根にて第一アケボノ発見            うひゃ〜  凄い藪や〜

 
     イノシシの愛のしとね                  岩とツツジとイノシシ


 
      石ヶ山丈藪尾根                    なおも続く気持ちの良い風景

所々に背丈以上の笹薮があり、潜り疲れるとアケボノツツジの下で小休止する。休憩すると急に小鳥の声が聞こえる。
止まらなければ聞こえない物、見えない物がある。人生も山歩きも走ってばかりじゃいけないって事か・・・・

ひどい笹薮を抜けると小高い場所に着き、そこから前方の兜岩と西赤石が見渡せた。まだ少し兜岩までは距離があるが
目標が見えると元気が出てくる。そこから又藪に入りガマンの歩きをしていると右手に展望岩がある場所に到達。ここに
はアケボノツツジが生えていて兜岩の上にいる登山客が見える。

という事は向こうからもこちらが見える訳で、ちょっと見栄を張って元気良く見せる。(そんな細かい所まで見えるか〜!)
再び藪尾根に復帰してブヒブヒ兜岩を目指していると前方上に人影がこちらに向かってくる。あれ? 同じ藪の匂い・・・
あれ? どこかで見かけたような・・・ おっ 前赤石で会った船木の宇野ちゃんじゃあないの

宇野ちゃんは魔戸の滝から石ヶ山丈の藪尾根を来て、兜岩手前で又この藪尾根を引き返している。こんな藪尾根を
往復する奇特な人もいるもんじゃ。 宇野ちゃんに貯水場の事を話すと「今から帰りに見てきます」と言って別れた。




    アケボノツツジを見上げながら小休止               足元しか見えない藪


  
                お〜〜  兜岩と西赤石が見えた

  
           岩の展望所にはアケボノが咲いている

 
   岩展望所から沓掛・黒森山                  藪から兜岩を見上げる

 
    宇野ちゃんとマーシー                     宇野ちゃんとエントツ山

宇野ちゃんと別れて暫くして右手の兜岩への傾斜に取り付く。まっすぐ進んでも兜岩基部へ合流するのであるが、ここは
当然直接兜岩に這い上がる。 ヘビノボラズという棘のある植物がびっしりと生えているので苦労する。自分の好みの
場所を選んで歩くのでマーシーさんとは全く違うルートで這い上がる。

13時10分、兜岩に上がって平らな橄欖岩の岩場に寝そべりながら昼食とする。イシヅチザクラが咲いていたが、西赤石
北面のアケボノツツジはまだ薄っすらとピンク色をしている程度で5月の連休を過ぎなければ盛りが来ない。特に今年は
遅くまで雪が残って寒かったから余計に花の時期が遅れているようだ。

大体やねえ 普通ここまで這い上がって来たら大人しく東平(とうなる)辺りに車を置いておきシャンシャンと手を打つのが
相場だけれど、マーシーさんと組むとそうは行かない。兜岩から東側の谷へ下りる事になる。

 
尾根から兜岩に直接這い上がる              イシヅチザクラと 串ヶ峰ー上兜

 
西赤石  かすかにピンクがかっている           西赤石 蜜洞岩

兜岩基部まで進み、西赤石に向かって左手の分岐へと進む。途中で先ほど歩いてきた石ヶ山丈の尾根道への分岐がある
がそれを真っ直ぐ北東の支尾根に向かって歩く。暫く灌木の開けた場所を上兜・串ヶ峰の尾根を正面に見ながら下っていく
と植林地帯に入る。

地図上では倒壊小屋付近へのショートカット道の破線があるのだが、藪が深くてその道は定かではない。二人は支尾根に
沿って真東へと進む。やがて灌木と岩の断崖となり谷へ傾斜が続く。びっしり生えた潅木を掴みながらせせらぎの音がする
谷部へと下る。

ここは数年前に 魔戸の滝から串ヶ峰ー上兜ー物住ノ頭ー西赤石ー兜岩 と歩いて waiwai さんのレポにあった造林小屋を
目指した懐かしい思い出の地でもある。 でも当時の記憶では最後は背丈の2倍くらいある笹薮を漕いで造林小屋へ到達
したので少し心配だった。

13時50分 水の豊かな沢に到達し下流を捜すと何と風呂のある造林小屋は倒壊していた。

 
兜岩基部から北東支尾根に進む               灌木藪の向こうに上兜が見える

 
支尾根の最後は崖  灌木を掴んで這い下りる         広い沢部に下り付く

   
    造林小屋跡が倒壊していた              魔戸の滝 上流部 (西種子川最上流部)

以前この造林小屋付近に道が発見できず夕暮れが迫って焦った。その時沢伝いに100mくらい下ると左手に石段があり
ここから往年使われてきたであろう道を発見しホッとしたものだ。

この林業の作業道は西ノ谷川左岸に沿って沢筋を下る。対岸の串ヶ峰ー上兜の尾根は急斜面で沢から立ち上がっている。
そこに春陽を浴びたアケボノツツジがピンクに輝いていて新緑の黄緑と柔らかい模様を作る。まさに桃源郷の世界だった。
「ええとこやなあ〜」と二人で感嘆の声を上げなら、さらにタムシバの白い花もあって贅沢な気分に浸る。



       
        ピンクに染まって これぞ桃源郷

 
    タムシバの白とアケボノのピンク            苔むした沢道


     
        西種子川(西ノ谷川ともいう) 上流の景色

 
  岩屋と呼ばれる巨大な岩の横を通る           岩屋の裏側


倒壊した造林小屋を出発して45分くらい沢沿いを歩くといきなり前方に尖ったピークが現れ、それを左に道がトラバース
する。 するとそこに岩屋と呼ばれる大岩が現れそこを下がる。

この場所を過ぎると次第に道は沢から離れて出入りの激しい山肌をクネクネと道が続く。いくら歩いてもその向こうには
次の山ひだが現れ限(きり)が無い。以前は薄暮のこの道を心細い気持ちで走るように急いだものだった。

1500時見覚えのある倒壊小屋が左手に見え一つの区切りとして道の正しさを確認する。山道の雰囲気は似たものが
多く、人間の記憶はアテにならないがこういう確固たる目印があると助かるものだ。

若い植林地帯や藪っぽい石ころ道を更に進むとこれまた「保安林」などの看板があり15時20分やっと魔戸の滝分岐に
着いた。

 
       倒壊小屋                         魔戸の滝分岐

 
  細尾根                              上流部の釜

以前はこの場所で既に真っ暗。それもライトが無い状態で眼を凝らして仰向け四つん這いで魔戸の滝まで下ったものだ。
昼間だと所々にテープがあり踏み跡も確認でき問題はない。岩場から魔戸の滝上流の見事な釜を眺めて、さらに木を
掴みながら約20分で魔戸の滝へ下がる。

魔戸の滝は相変わらず轟々と音を立てて水を落とす。新居浜近辺ではこの魔戸の滝と銚子の滝が水量も豊かで迫力の
ある滝だ。滝のマイナスイオンに肺までクリーニングされた気持ちになる。

         
                     魔戸の滝

         
              魔戸の滝  おいわさんと違って2枚しか撮らない

魔戸の滝登山口に着くと変わった形をしたトラックが「樽輪淵橋」の上から現れた。「こんな所で怪しい車やなあ」と
運転席を見ると何と先ほど石ヶ山丈藪尾根であった宇野ちゃんが手を振っている。荷台部に野菜を詰める様に
宅急便トラックの様に作ってあるのだった。 例の端出場水力発電所の石ヶ山丈貯水場に寄って来たとの事。

「このトラックに乗せて貰えば新田までラクチンに帰れるぞ」という悪魔の声が耳元でささやく。 この甘い誘惑を
見栄で断ち切って「いまから更に尾根を下りますわ」と串ヶ峰登山口の切り通しまで歩く。

途中、魔戸の滝の全貌が見える場所に以前、ガクちゃん達が発見した自殺者の車がそのまま放置されていた。
最初はそれと思わず近づいて「わっ」と声を上げるとマーシーさんがビックリして飛び上がった。マの字の弱点発見。

   
    魔戸の滝登山口                          樽輪淵橋

 
     窓の滝 (魔戸の滝)                    串ヶ峰登山口の尾根

16時10分 、串ヶ峰登山口の反対側の尾根に入る。確かにぃ 最初は宇野ちゃん情報の通り赤松の大木などがある
快適な尾根道があった。 BUT! 灌木の生い茂る尾根道が藪と化すのにそんなに時間はかからなかった。
時々鮮やかなオレンジ色のヤマツツジが咲いている細尾根を藪で引っかき傷を作りながらひたすら下る。

途中4箇所くらい高圧電線が横切るので鉄塔が有り、身をよじる狭い藪尾根から出たその贅沢なスペースにホッとする。
バラエティ豊かな二つの種子川(西種子川と東種子川)に挟まれた細尾根を下ると前方にオムスビ型の最後のピークが
見えた。

右手近くに民家が見え、林道がこの尾根に伸びて最終地点となっている。これに一旦下りて再び藪尾根に入る。ここから
の尾根は一面シダの藪となるが、シダが柔らかいので歩くのに問題はない。





 
     赤松の大木が多き                  雰囲気が良い尾根

 
    細尾根を尚も下る                     最後のピークが見えた

 
一旦 林道に出た すぐに正面の尾根に入る                 凄いシダの藪

最後のピークから振り返ると正面に「串ヶ峰」がデンと構えそこから伸びる北西尾根が魔戸の滝付近で北側に方向を
変えて続いているのがよくわかる。 これを下ってきた訳だ。

暫くすると高速道路を走る車の音や風を切る音が聞こえてこの長い旅の終焉が近い事を告げる。最後の詰めは崖に
なっておりマーシーさんは構わずそこを下るが、私はすぐ左側にある樹木越しに崖に取り付く。無事高速道路の側道
に下り立ち新田、川口の魔戸の滝入り口を経由して新田グランドまで歩く。



  振り返ると下ってきた尾根が見渡せる  正面は串ヶ峰



  
高速道路が見える所                      新田の高速道路側道に下り立つ

煙突山から西赤石の基部「兜岩」まで尾根を一直線で上がり、更に西ノ谷川を魔戸の滝まで下り、さらに種子川尾根を
新田まで歩く。 マーシー・エントツ山のイノシシコンビらしい面白い歩きが出来、長年の念願が又一つここに叶った。


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