前赤石山への北側ルート 雲ヶ平から雲原越へ
赤線が今回のルート、 黄色は8月19日下山ルート ペーコさんから貰ったグーグル地図
五良津林道、鏡沢(雲ヶ平)−古宿―雲原越―前赤石山―石室越−駒鳥山―雲原越−物住頭―上兜山―雲ヶ平
カシミールソフトを使ったGPSトラック・ログ図
(国土地理院 50000数値図使用(承認番号 平15総使、第634)
平成19年8月19日 東赤石へタカネマツムシソウを見に行った際、以前から気になっていた前赤石山と物住頭の鞍部に
ある「雲原越」(悪路)を下りた。案の定途中で道が分からなくなり適当に登山口へ下りてしまった。
八巻山のタカネマツムシソウ 平成19年8月19日
一週間後の平成19年8月26日に以前この雲原越のルートを歩いた事のあるワイルドピッグ・マーシーさんの案内で再挑戦する事に
朝、国道11号線、新居浜と土居の峠部にある「東赤石登山口」の標識から関川沿いに南へ入る。高速道路を越えたあたりで待ち
合わせたマーシーの車をみると大きなポリタンクを沢山積んでいる。「何するの?」「この上にいい水が出るんですよ。それでコーヒー
を沸かすとおいしい事」
結局水場近くの広い場所にマーシーさんの四駆を置いて、ラッシュで五良津林道を詰めか鏡沢堰堤のある「雲ヶ平」につく。そこに
は前日、権現谷の沢歩きをされたグループがテントを収納していた。
鏡沢、雲ヶ平 登山口 ここの沢から取り付く
堰堤の橋を渡った場所の右岸を少し上がり、沢を渡り返して左岸の支尾根に取り付く。もう一つ西側に小さな沢があり、丁度この
間を上部に詰める按配だ。一時間弱で前回引き返した上側の林道終点部に上がりついた。丁度ここからは上兜山がマッターホルン
の様に見える。
沢を左岸に渡る 支尾根を這い上がる
林道終点部 バックは上兜
林道は一部沢が流れており、そこを渡り5分くらい逆に下る。いきなりマーシーさんが「ここが雲ヶ原取り付き部です」という。
よくみれば踏み跡と言えない事もない微妙なスペースが確かにある。上に植林があるので作業道に利用されているみたいだ。
そこを登るにつれて藪いてはいるが一本の道筋が続いている。
一週間前 雲ヶ原からここに下り付きました 沢で魚を手づかみしてしまいました
林道から雲ヶ原取り付き部へあがったマーシーを撮る
先導するマーシーの足元にキツネノカミソリが沢山咲き誇る。やがて平たい場所に出ると左手に作業小屋が現れた。廃屋
には違いないが畳などが敷かれてかつては宿泊出来たようだ。こんな場所には近くに水場が存在する。
キツネノカミソリが沢山咲いている 結構大きな作業小屋があった
いよいよ大岩と自然林の真っ只中に入る。道をそれないように踏み跡を辿りながら進むと大岩の間を抜け分岐点に到達。
2万五千分の一地図にある様に右へ行くと下兜山へ通じる古道の様だ。 ここを左へ進むと何やらいにしえの集落のニオイ
がしてきた。
大岩の間を左に抜ける
この辺りは「古宿」と言われる場所で石垣なども残っている。この様な平らな場所では道が不明となる。正面上にはガレ場と
なってとてつもない大岩がある。私はこの大岩の近くでオオバテンニンソウやタニジャコウソウの群落の間に入りこみ道を探す。
マーシーが「こちらです」って下のほうから呼んでいる。どうも以前マーシーさんが歩いた場所より上側に入っていたらしい。
彼の声がする左手に出て行くと何と江戸時代のものらしい峠の石碑があった。
下兜への分岐点 これを左へ進む 古宿の上部には大岩がある
江戸時代のものと思われる石碑 嘉永五年と刻まれていたような・・・
そこから更に植林帯を進むとやがて沢筋の左手に沿ってジグザグに急な傾斜を上がっていく事に。以前マーシーさんが近くに
落ちていたウィスキーのビンを目印に置いてある場所を通過、この辺りはテンニンソウなのが群生して踏み跡を隠している。
マーシーさんの的確なルートファインディングに従って右へ左へと高度を上げていく。するとブナや笹が現れ見たことのある風景
となり、倒木をくぐると雲原越に飛び出した。ヤッター
レイジンソウの群落 テンニンソウの群落
サントリーダルマの道しるべ フシグロセンノウ
やがてながらかな笹道になる 雲原越に出た〜
右(西)へは物住ノ頭から西赤石―西山を経て獅子舞の鼻―チチ山―笹ヶ峰への主稜線登山道が続く。左(東)へは前赤石
―八巻山―東赤石―権現山―黒岳―エビラ山―二ツ岳、さらには赤星山―豊受山―鋸山―翠波峰への赤石山系、峨蔵山、
法皇山系の縦走路となる。
雲原越への正式ルート(?)で赤石山系へ這い上がった喜びに浸りながら次なる目標に向かう。取り付きはちょっと藪いている
が直ぐに前赤石への稜線道となる。生憎のガスっぽい天気ではあるが、時折物住ノ頭が見え隠れする。
前赤石山への岩峰へ向かう
途中一ヶ所3〜4mの岩盤を這い上がる場所に出くわすが手がかり、足がかりがありスリングを使う事もなかった。上から意外
にも単独の男性が下りて来た。こんな所にやってくるとは珍しい同類人種に違いない。聞けば新居浜の船木の人で宇野さんと
言い日浦から歩いて来られたという。上兜山に取り付けた山名板の話をしていると「え?エントツ山さん?」「そうでんがな」「じゃあ
あれがマーシーさんですか?」と上を見て喜ぶ。 あれ? エントツ山よりマーシーさんの方が有名なの? 何でやねん!!
新居浜望郷の山同志 宇野さん 前赤石に向かう
何にせよ「船木の山 下兜と上兜」へ我々の登山記を読んで「かけさこの尾」を登られたと聞いて嬉しい気持ちにさせられました
前赤石の稜線歩きは想像していたより簡単で、二つのピークがあるものの、あの八巻山から石室越までのウンザリする長さに
比べれば実にあっけないものだった。 心地よい風にあたりながら前赤石山頂で霧にむせぶ物住ノ頭を眺めながら昼食を摂る。
物住ノ頭(右手前)と西赤石(中央奥) 目指す前赤石本峰とコマドリ尾根(右奥)
前赤石山頂で 左奥が前衛峰
その後、石室越まで出て、駒鳥山を訪ねてみる事に。この東赤石や八巻山を隠す邪魔な尾根が意外にも「コマドリ尾根」とかわいい
名前で呼ばれている事を安森さんの「四国赤石山系物語」の巻頭地図で知った。以前はこの藪いた尾根を横目で見ながら石室越を
通過していたのだが、コマドリ山の名前に惹かれて入って見る。
石室越 右に下ると赤石山荘へ コマドリ尾根の風景
入り口は藪っぽいが中に入ると意外と歩き易い。人間の付き合いも案外こんな物かも知れない。コマドリ山と思われるピーク
は何の標識も無かった。どうということも無いこの山頂の西端に岩がせり出しており、周りの木を掴んで覗くと前赤石や西赤石
が開けて見える。 石室越への帰り道に八巻山や東赤石の眺望は無いかと注意深く進むが残念ながら木々に遮れれてがっかりする。
名前の割には平凡過ぎるコマドリ山 駒鳥山から西を無理して眺める(西赤石)
前赤石のトラバース道を雲原越に引き返して物住頭まで坂道を喘ぐ。この広い通りすがりのピークは実は上兜山―串ヶ峰への
大女の肩ヤブコギ線の出発駅なのだ。
数年前に釜や鋸を持って藪尾根に挑戦したあのワクワク感はもう過去のものとなった。慣れ・馴れ・熟れ(なれ)という言葉は
経験を積んで度胸が据わってくる様を表しているが、同時に初々しさというかけがいのない心境も同時に喪失する。
前赤石トラバース道 物住頭から前赤石とコマドリ尾根
通りすがりのピーク 物住頭(ものずみのあたま)に到着
霧に視界を奪われた藪尾根を3つ4つと越えて懐かしい上兜山の山頂標識と対面する。銅版製の標識は取り付けた当時
のままに輝きを保っていた。
物住頭から北側の藪尾根へ突入 ホツツジに飾られた上兜山
上兜山の標識の前でヤブコギの盟友マーシーと
あちこち寄り道したおかげで時刻は午後4時半となっていた。明るい内に車まで帰りたいので上兜山を後にする。下兜へ
下る尾根を探しながら串ヶ峰への尾根を北に進む。快適な一本道が作られている為、ターニングポイントを過ぎてしまった。
もう串ヶ峰はすぐそこであるが時間が無い。引き返して支尾根部を確認し下兜山への尾根を下る。マーシー・ランボルギーニ
と船木まで歩いた尾根であるがもう記憶が曖昧となっている。
下兜山へのターニングポイント ドンドン尾根を下る
特に下兜手前で見かけの尾根を外さなければならない場所があり、前回はそのまま直進して後から修正したが、今回は少し
東に下がりながら正式ルートを進む。
このあたりからは何処から右に下っても良さそうなものだが、マーシーの言に従い最初計画した尾根に沿って林道まで辛抱強く
下りていく。薄暗くなりヘッドランプを用意して進んでいると林道に飛び出した。10分くらいこの林道を下りて車に付いたのは
19時であった。
西日に照らされた自然林は美しい 山際のシルエットが心寂しくも美しい
あれだけ霧ではっきり見えなかった赤石の山々は群青色の空にくっきりとその幻想的なシルエットを見せてくれた。
マーシーさんのデポした車まで帰り、一人では気味が悪い場所での水汲み作業を付き合って高松へ帰る。今日も雲原越から
前赤石山、更には上兜山まで楽しい故郷の山歩きが出来た事に感謝
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