平成19年5月5日 我が故郷の山  2007年 三部作
第1部 銅山峰 同窓会と兄弟登山

平成19年5月5日 我が故郷の山 2007 三部作
第1部 銅山峰 (銅山越−西山―ツナクリ山ー 周回)



東平(とうなる)−銅山越ー西山ーツナクリ山ー分岐ー銅山越ー東平周回
カシミールソフトを使ったトラック・ログ図
(国土地理院 25000数値図使用(承認番号 平15総使、第634)


私の生まれ故郷、新居浜は近世においては別子(べっし)銅山と共にあった。元禄4年(1691年開鉱以来、約65万トンの
銅を産出し昭和48年(1973年)閉山した。

銅山峰」とは別子銅山の歴史のなかで人々が往来した旧別子と東平地区を結ぶ銅山越えから西山、東山あたりの山域
を親しみを込めて我々新居浜人はそう呼んでいる。

別子銅山が閉山して静けさを取り戻した銅山峰界隈であるが、毎年五月の連休が近づくと、アケボノツツジからアカモノ・
ツガザクラを求める大勢の登山客で賑やかさをとりもどす。

今年は恒例の大学時代の仲間によるプチ同窓会登山をこの銅山峰で行う事になった。
5月4日東平(とうなる)銅山の里「自然の家」に宿泊して昔話をしながら旧交を深める計画で阿波のシッタカブッタ、わらび
ちゃん、土佐のソクラテス、モネ夫人とその娘チーサー、エントツ山にサマンサの7人が1600時に集合。

ところが宿泊所に入った途端、私が部屋にいたスズメバチを不用意に踏んづけてしまった為宴会どころではなくなった。
下界の病院へ駆け込み注射をうってもらい夕食会場へ帰参。うずく足をさすりながら夜遅くまで楽しい語らいを続ける

 
  宿泊施設は旧東平中学校跡        お世話になったポイズンリムーバー

翌、5月5日 丁度実家に帰っていた私の兄貴二人が初めてこの銅山峰を歩いてみたいというので合流、合計9人で故郷
の山を歩く事に。


K大学昭和47年卒業の同級生登山会メンバー
サマンサ エントツ山 モネ夫人 阿波のシッタカブッタ、土佐のソクラテス
                  チーサー  わらびちゃん


原兄弟     次男(57歳)  長男(59歳) 三男(57歳)

本来は西赤石のアケボノツツジを見る予定であったが東平から見てもちっとも色付いておらず、西赤石から下山された人の
情報でも一本すら花を着けているものはなかったとの事で銅山峰―西山―ツナクリ山へ行く事に決定!

東平を出発すると直ぐに第三通洞のある広場につく。この第三通洞は明治35年に8年間かけて完成された銅山峰を貫通
する鉱山作業用トンネルだ。子供の頃、親父とお袋に連れられて鉱山トロッコ電車(俗にカゴ電車と呼んでいた)に乗せてもら
い別子山村へ抜けた記憶がある。兄弟三人でこの懐かしい場所で記念撮影をする。

 
第三通洞前で ここから左へ登山道    柳谷を二日続けてあるくシッタカブッタ

第三通銅の入り口を左側へ回り込み、柳谷を歩いて角石原へと進む。深い谷から清流の流れる音が響き渡り、鳥の声
も透き通っている。

昔の石垣が残された植林地帯を歩いた後、しばらく綴れ折りの坂道を喘ぐとミツバツツジが咲き残っておりあたりの新緑
と花の色のコントラストに全員から声が上がる。シッタカブッタとわらびちゃんは前日早めに着いたので既に銅山峰まで
歩いたと言う。


       新緑とツツジの咲く柳谷を歩く 

女子大生のチーサーは若槻千夏のような声で元気そのもの。われわれも大学時代はみんなこんなにピチピチして
いたのか・・・う〜〜ん 時は魔物じゃ

明治時代に蒸気機関車の駅があった角石原の平たい道に入り、銅山峰ヒュッテを抜けていよいよ銅山峰への登り
となる。

先ほどからヒカゲツツジの黄色が渋く辺りを染めている。スイカは赤がオーソドックスで味もいいが、黄色のスイカも
捨て難い。ピンクと黄色のツツジも丁度そんな感じだ。

途中、初めてアケボノツツジに出会い歓声が上がる。今年初めてのアケボノツツジだ。やっぱりこのアケボノ色が
最高じゃ〜。 後から団体の登山客が来たのでこの場を明け渡して先を急ぐ。



 
角石原の銅山峰ヒュッテ前           ヒカゲツツジが沢山咲いていた

 
ムシカリも中々風情がある           第一アケボノ 発見〜

銅山越につくと大勢の登山客が休憩中だったり、日浦方面から上がって来たりで賑やかな雰囲気。峠のお地蔵
さんも旅人を見守り甲斐があるというものだ。

 
初めて来た峰地蔵に感激する        銅山越で小休止
長崎と東京の兄貴達

銅山越から西山の取り付きまではマカロニウェスタンの様な荒野が続く。確かに別子銅山の鉱毒で一時は丸裸に
された山々だが今では緑に覆われている。だがこの辺りは依然砂礫地となって四国が誇る氷河期の生き残りである
ツガザクラの群生地となっている。

私的には標高1,300mがいかにも物足りないのだが、兄貴達や他の仲間達はこのアルプスの砂礫地のような稜線
歩きに満足している様だ。しめしめ

  
   銅山峰の砂礫地にて  この辺りがツガザクラ群生地だ

 
ポッコリ飛び出た西山へ向かう         ちょっと急坂

赤石とは違った丸っこい尾根を少し小高い西山へと向かう。振り返ると銅山峰の広漠たる砂礫地が広がり、その向こう
に西赤石が雲間に見え隠れしている。天気が少し悪いが雨は落ちてこない。西山への急坂を登りきると潅木が生い茂っ
た中ほどに「西山」山頂の標識がある。ここは非常に虫が多くて早めにツナクリ分岐まで下がる事にする。

  
         西山山頂はこんな所

西山山頂から南へ出ると急に見晴らしが良くなり、ここの斜面にアケボノツツジのちょっとした群生地がある。ザレた急
な下り坂を慎重に下ると鞍部の分岐があり、左に下がると足谷川源流の沢に沿って銅山越へ帰る周回路となっている。

  
   西山の南斜面で 双子同士       ツナクリ分岐手前のアケボノ展望所

ちょっとバテ気味のおばさん二人を置いてツナクリ山名物、心臓破りのアケボノ坂を這い上がる。両サイドにはアケボノ
ツツジが咲いておりこの時期だけは坂のキツさも我慢できると言うものだ。
坂を登りきってその先にある斜面のアケボノ群落を堪能したあと分岐に向かって転がり帰る。

   
アケボノが両サイドに咲くツナクリ坂  ソクラテスが撮ったショウジョウバカマ

さあ、ここからは帰り道。鬱蒼とした樹林帯を抜けると景色が急に広がり、滑りやすい砂礫地を横切ると牛車道との合流点
に着く。眼下には足谷川沿いに明治13年から26年まで銅鉱石運搬に使われていた牛車道がくねっており、ツツジの花や
アセビの葉が鮮やかに谷間を染める。

 
ツナクリ分岐より牛車道へのザレ場    銅山越に続く巻道にはミツバツツジが・・

左手にあと数週間で開花するであろうツガザクラ群落地を見ながらしっかりした道を進むと歓喜坑からの登山道と合流し
やがて先ほど通過した銅山越の峰地蔵に到着。

ここで昼食とする。連絡ミスで昼食を準備していなかったソクラテス一家に差し入れしながら分け合って楽しく食事。あとは
同じヒカゲツツジの咲く登山道を東平へと下る。


    西山・ツナクリ山をバックに銅山越にて昼食

今年のアケボノツツジは裏年の上に、春先に降った雪の為開花が遅れ心配したが、何とかその片鱗を楽しむ事が出来た
。私にとっては兄弟3人で子供の頃以来初めての山歩きをする事が出来て非常に幸せなる一日だった。


山歩きの楽しさを知った兄貴達 次回から帰省が楽しみじゃわい

   
  何時までも大切にしたいシコクカッコウソウ

      
    阿波のシッタカブッタ写真   登山道のヒカゲツツジ


阿波のシッタカブッタ写真  アケボノツツジ


阿波のシッタカブッタ写真 ミツバツツジ

みんな ありがとう そしてこれからも元気で集まろう〜



            目次に戻る              トップページに戻る